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 年間の聖母賛歌
 ―アンジェルス・ドミニ:お告げの祈り―
和田 幹男


 お告げ(ルカ1:26−38)
 主のみ使いガブリエルは、ガリラヤの町ナザレにいるおとめマリアのもとに遣わされて言った。 「喜びなさい。寵愛を受けているおかた、主はあなたと共におられます」 (ルカ1:28:)。 こう始めて、おとめマリアが聖霊の力によって懐胎し、神の子の母となることを告げた。 おとめマリアは戸惑ったあと、それが神の意志であることを悟り、 「わたしは主のはしためです。おことばどおりこの身になりますように」(ルカ1:38)と、受諾の意思表示をされた。 この瞬間に神の御ことばはマリアの胎内で人となられた。福音記者ヨハネはこのことを、 「御ことばは肉となり、わたしたちの中にお住まいになった」(ヨハ1:14)という。 この驚くべき出来事は「受肉」(incarnatio)と言われる。伝統的には、これを「御託身」と、感嘆と畏怖と感謝の心を込めて呼んできた。

 天使祝詞
 教会は、この人知を超える神の御業(わざ)に驚きを新たにしながら絶えず賛美してきた。 そのとき口を突いて出るのは、あのみ使いの挨拶のほかならない。 ギリシア語のにあたるラテン語がAveで、西欧のキリスト教徒はそれにMariaをつけて、 Ave Maria、「アヴェ・マリア」と始めてきた。そのギリシア語の直訳は「喜んでください」だが、 挨拶言葉であるから直訳はできない。英語のGood Morningを「良い朝」と直訳する者はいない。 その挨拶言葉にあたるラテン語がAve で、日本語で「アヴェ」としか訳せないのではないか。 このように、あのみ使いと同じ挨拶言葉と同じ心をもって、Ave Maria、「アヴェ・マリア」と、マリアに呼びかけてきた。 まさにそれゆえ、この祈りは「天使祝詞」と言われる。 つづいて、それは「寵愛に満ちておられるかた、主はあなたと共におられます」(gratia plena, Dominus tecum)という。 それにマリアが従姉のエリザベトをご訪問なさったとき、この従姉から受けられた祝いのことば(ルカ1:42)を加えてきた。 これが、「あなたは女のうちで祝福されたかた、 あなたの胎内の子(直訳は「あなたの母胎の実のり」)も祝福されています」
)。 「祝福される」は「賛美される」とも訳すことができる。 いずれもヘブライ語の「バルーフ」(baruk)がそのもとにある。 「女のうちで」は、女の中で最も・・・だと、最上級をいうヘブライ語的表現。 このようにエリザベトは、マリアが神の子を懐胎し、その母となったことを称えたのだった。 これを取って、ラテン語でBenedicta tu in mulieribus, et benedictus fructus ventris tui Jesusと唱えてきた。

 マリアと教会
 キリスト教徒が自分の信仰者としてのアイデンティティを求め、その信仰の原点を問うとき、 このマリアの身に起こった受肉という神の御業(わざ)にまでたどりつく。 キリスト教徒の集いである教会がそこに自分の始まりを見たとしても驚くにあたらない。 確かに教会はイエスの受難と復活のあと、聖霊降臨をもって始まった(使2:1−4)。 しかし、この聖霊の働きは、すでにお告げのときにあった。 ルカ福音書の著者自身その教会の起源をお告げのときに遡って見ている。 その証拠に、マリアの胎内における神の子の懐妊も同じ聖霊の働きと見ている。 み使いは戸惑うマリアに「聖霊があなたに臨み、いと高きおん者の力があなたを覆う」と答えている。 マリアはそこで、「わたしは主のはしためです。おことばどおりこの身になりますように」 (Ecce ancilla Domini, fiat mihi secundum verbum tuum)と言って、受諾の意思表示をなさった。 このとき、教会が始まったとも言える。教会は神のことばを受け入れて、それに生きるものの集いであるというなら、 そのおとめマリアは、教会の最初の成員だったと言えよう。またそのマリアは教会の最初の成員であるだけでなく、 その後の教会の成員すべてにとって模範であり、教会の象徴そのものとさえ言えよう。 それゆえ、聖母崇敬は教会にとって単なる情緒的な敬慕ではない。聖母マリアを瞑想しながら、教会を瞑想し、 教会を思いながら、マリアを思わないことはできない。こうしてまた女性とはいかなるものかついても、思いめぐらしてきた。
 聖霊降臨後、教会は年間をとおして、毎日朝、昼、晩とお告げの祈りを唱える習慣がある。 そのとき、天使祝詞も唱え、あのみ使いの挨拶を自分の挨拶として繰り返す。 ロザリオの祈りの主旨も同じである。この天使祝詞の焦点は「胎内の子」、つまり受肉の秘義にある。 この焦点をぼかして、この祈りを唱えることはできない。

 お告げを描いた聖画
 最初に掲げた聖画は、お告げを描いた傑作中の傑作、ベアト・アンジェリコのお告げ。 この画家はフラ・アンジェリコとも言われるように、ドミニコ会修道士(1387/8−1455)。 多くの作品を各地に残しているが、フィレンツェのサン・マルコ美術館にその大半を見ることができる。 ここはかつてはフラ・アンジェリコが属するドミニコ会の修道院であった。 その2階への階段を上がると、この絵が描かれた壁の前に立つ。現在もこの絵はその元来の場所(in situ)にある。 その絵の下に、「アヴェと唱えずに通りすぎるな」と書かれている。「アヴェ」とは、天使祝詞のこと。
 福音書にある出来事を自分の身近かに起こる出来事でもあると考えて、フラ・アンジェリコはお告げを描いている。 彼にとって、身近かとは自分の住む修道院であるから、お告げはその修道院で起こるものとして描いている。 これをその背景の修道院の廊下や庭に見ることができる。これこそ、アシジのフランシスコの福音理解ではなかったか。 イエスの身に起こったことは単なる過去の出来事でもなければ、天上の出来事でもなく、今ここに身近かに起こるものである。 したがって、彼はイエスにあやかろうとして、徹底的に人と自然には優しく、自分には清く貧しくあろうとした。 ここに、ジオットに始まるイタリア・ルネッサンスの精神的原点がある。 ドミニコ会士であったフラ・アンジェリコにもこの精神を見ることができる。
 フラ・アンジェリコの絵に特徴的なのは、明るくて崇高、多彩で繊細なその色づかいであろう。 天国は光そのものであって、人の目はそれを見るに耐えないので、その光がプリズムのように色として分けられ、 目に見えるようになったと考えている。そう考えて、その明るく多彩な色を用いて、彼は天国を告げ知らせている。 み使いの翼の色が特に美しいが、ここにそれを見ることができよう。 彼は天国の説教者と言われる。ここに説教者兄弟姉妹会であるドミニコ会士としての面目躍如たるものがある。 ここでは、マリアが受諾の意思表示をなさった瞬間を描いている。 その背後に、どれほど長く、深い受肉の秘義の観想があることか。 もの静かだが、目覚めて重大決意をなさった瞬間のマリアを描いたものとして、ほかに類がない。 説教とは「観想し、観想の実りを他に伝えること」(Contemplata aliis tradere)と、 同じドミニコ会の大神学者トマス・アクイナスは言ったが、フラ・アンジェリコがこの名言を知らないはずはなく、 これを実行している。彼はそれを絵を描くことによって実行したのだった。

 Angelus Domini 御告げの祈り
 Angelus Domini nuntiavit Mariae
 Et concepit de Spiritu Sancto
  Ave Maria, gratia plena, Dominus tecum, benedicta tu in mulieribus,
  Et benedictus fructus ventris tui Jesus.
  Sancta Maria, Mater Dei, ora pro nobis peccatoribus
  nunc et in hora mortis nostrae, Amen
 Ecce Ancilla Domini,
 Fiat mihi secundum verbum tuum.
  Ave Maria,gratia plena, Dominus tecum, benedicta tu in mulieribus,
  Et benedictus fructus ventris tui Jesus.
  Sancta Maria, Mater Dei, ora pro nobis peccatoribus
  nunc et in hora mortis nostrae,Amen
 Et Verbum caro factum est,
 Et habitavit in nobis.
  Ave Maria, gratia plena, Dominus tecum, benedicta tu in mulieribus,
  Et benedictus fructus ventris tui Jesus.
  Sancta Maria, Mater Dei, ora pro nobis peccatoribus
  nunc et in hora mortis nostrae, Amen
 Ora pro nobis, santa Dei Genitrix,
 Ut digni efficiamur promissionibus Christi.
 Oremus, Gratiam Tuam,quaesumus, Domine,mentibus nostris infunde :
 Ut qui, Angelo nuntiante, Christi Filii Tui incarnationem cognovimus,
 per passionem eius et crucem, ad resurrectionis gloriam parducamur,
 Per Christum Dominum nostrum. Amen.

 [直訳調私訳]
 主のみ使いのお告げがあって、
 マリアは聖霊によって懐胎された。

  アヴェ マリア、恩恵に満ちたあなたと共に主がおられ、
  あなたは女性の中で最も賛美され、
  ご胎内の子イエスも賛美されますように。
  神の母、聖マリア、わたしたち罪人のために、
  今も臨終のときも祈ってください。

 わたしは主のはしためです。
 おことばどおり、この身になりますように。

  アヴェ マリア、恩恵に満ちたあなたと共に主がおられ、
  あなたは女性の中で最も賛美され、
  ご胎内の子イエスも賛美されますように。
  神の母、聖マリア、わたしたち罪人のために、
  今も臨終のときも祈ってください。

 みことばは肉となり、
 わたしたちの中にお住まいになった。

  アヴェ マリア、恩恵に満ちたあなたと共に主がおられ、
  あなたは女性の中で最も賛美され、
  ご胎内の子イエスも賛美されますように。
  神の母、聖マリア、わたしたち罪人のために、
  今も臨終のときも祈ってください。

 神の聖なる母、わたしたちのために祈ってください。
 キリストの御約束にわたしたちをふさわしいものとしてください。
  祈りましょう。主よ、み使のお告げによって、
 あなたの子キリストの受肉を知らせていただいたわたしたちが、
 その受難と十字架の死によって、
 復活の栄光にまで到達できるように、  あなたの恩恵をわたしたちの心に注いでください。
 わたしたちの主キリストによって。アーメン。
シモーネ・マルティーニ作「お告げ」、フィレンツェ、ウフィツィ博物館蔵、平井義文氏撮影。 み使いが現れて、戸惑う若いマリアを描く。神経質にも見えるそのお顔が愛らしい。

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