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第1表:日本語版聖書に含まれる旧約各書の比較 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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第1欄のプロテスタントの聖書における各書の書名は日本聖書協会訳による。 中央の欄のカトリックの聖書における各書の書名は光明社訳による。 ただしマカバイ記1とマカバイ記2はバルバロ訳とフランシスコ会訳における位置に従う。 それゆえ光明社のマカベ前書とマカベ後書は書名が異なるが同じ書であるから( )に入れた。 +印があるのは、カトリックの第2正典書、*印があるのはヘブライ語本文への付加があるもの。 |
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序 |
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正典の問題 キリスト教徒は聖書を聖なる書として最大の尊敬をもって受け取ってきました。 それはキリスト教徒にとって単なる人生の指針とか、古典とか言うものではありません。 教会の伝統は、聖書をただ単なる人間の著作活動によってではなく、 神の霊が人間である聖書記者に働きかけて作成させた書物と考えてきました。 それは、聖書の各書がその作成において聖霊の息吹を受けたものであり、 従ってその起源から神聖なものというわけです。こういう意味で、 聖書は聖霊の霊感によって書かれた書物、霊感書と言われてきました。 このことについては、拙著『私たちにとって聖書とは何なのか』 ー現代カトリック聖書霊感論序説ー(1986年、女子パウロ会)の中で考えてみました。 それでは、その霊感書はどれとどれなのでしようか。 具体的にどれが霊感書なのか、それを受け取る人間の側に立って考えますと、 必ずしもそのすべてが明らかではありませんでした。 創世記は古来ユダヤ教においてもキリスト教においても聖書として受けとめられてきました。 しかし、雅歌とコヘレトの言葉が聖書かどうかについては、 西暦1世紀のユダヤ教指導者(ラビ)の中で議論があったことが、 ユダヤ教の文書ミシュナに伝わっています。知恵の書やシラ書などについては、 これが聖書かどうか古くからキリスト教徒の中で議論されてきました。 このような事実を前にしてどれが霊感の書なのかというのが正典の問題なのです。 従って、正典とは何かといいますと、こういうことになります。 霊感書として教会によって受容された書が正典書であり、その正典書がどれなのか、 そのすべてを記した目録が正典なのです。この目録にあるすべての書が確かに聖書としてキリスト教の信仰と倫理の基礎とされ、 この信仰と倫理について起こる論争においてその真偽を判断する基準とされてきました。 正典の原語、ギリシア語のカノンの原意は基準ということです。 現在、プロテスタントとカトリックなど諸教会の間に、 新約聖書の正典については相違はありません。 4福音書、1使徒言行録、14のパウロの手紙、7の公けの手紙、それに1黙示録、 あわせて27の同一の書を世界中の教会が聖書としています。 ただし、キリスト教初期から、このようなコンセンサスがあったわけではありません。 もともとキリスト教は礼拝と宣教という共同体の活動から始まったのであり、 やがてその活動が個々の文書に書き留められ、その文書が集められ、 信仰と倫理の基礎、その真偽の基準として受け入れられていったわけですから、 その27書が聖書であると全教会において確信されるに至るまでかなりの年月がかかったとしても驚くにあたりません。 他方、旧約聖書になりますと、事情が異なります。プロテスタントの聖書には39書あるのに対し、 カトリックの聖書には7書多く、46書あります。 さらに、後者の聖書のエステル記とダニエル書には前者の聖書にない付加部があります。 また、この両方において旧約聖書は数のみならず、並べ方も異なっています。 このような相違がどうして生じたのか、 またそれぞれの教会がどのような根拠に基づいて正典を決定したのかを検討するのが聖書正典論なのです。 この正典論を論ずるのは別の機会に譲り、ここではその前提となる基礎知識を確かめておきたいと思います。 ここではプロテスタントとカトリックがそれぞれどういう書を正典書としているか、 事実を正確に把握するよう努めたいと思います。身近なところから始め、 現在日本で流布している聖書において旧約聖書としてどのような書がどのように並べられているか、確かめましょう。 まず第1表を見てください。これを参考にして説明します。 第1章 現在日本で発行されている聖書における旧約聖書 (1)プロテスタントの聖書(第1表の左端の欄を参照) プロテスタントの聖書として、まず日本聖書協会発行の『聖書』(口語、1955年発行)と 日本聖書刊行会(いのちのことば社)発行の『聖書』新改訳(1970年発行)見てみましょう。 これらの聖書を見ますと、まず創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記とモーセ五書が並び、 つぎにヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記上下、列王記上下、歴代誌上下、エズラ記、ネヘミヤ記、 エステル記と12の歴史書、それにヨブ記、詩編、箴言、コヘレトの言葉、雅歌の5つの教訓書、 最後にイザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書、ホセア書、ヨエル書、アモス書、 オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼファニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、 マラキ書の17の預言書が続いています。合計は39書で、 そのすべてがユダヤ教に伝わるヘブライ語聖書にある書ですが、書の順序はこれと同じではありません。 (2)カトリックの聖書(第1表の中央の欄を参照) カトリックの聖書としては、『旧約聖書』(光明社発行、1958年、以下光明社訳という)を取り上げます。 これは、カトリックの伝統を示しているので、これを基本に見ることとします。 それに『口語訳旧約新約聖書』、バルバロ、デル・コール訳(初版1965年、 ドン・ボスコ社、および後に講談社からも。バルバロ訳と略す)と『聖書』原文校訂による口語訳、 フランシスコ会聖書研究所訳注(1958年以来刊行中で2002年分冊発行完成予定、 サンパウロ、フランシスコ会訳と略す)があります。光明社訳においては、 創世記からネヘミヤ記まで書名は必ずしも同じではありませんが、 プロテスタントの聖書と同じ書が並び、その後にトビア書(トビト記のこと)、 ユディット書(ユディト記のこと)が挿入され、雅歌の後に智書(知恵の書)、 集会書(シラ書[集会の書])が挿入され、イェレミヤ哀歌(哀歌)の後にバルク預言書が挿入され、 最後にマカベ前書(マカバイ記1)、マカベ後書(マカバイ記2)が加えられています。 このようにプロテスタンの聖書に比べて7書多くなっています。 この7書はユダヤ教のヘブライ語聖書には含まれておらず、 プロテスタントが聖書として認めないものであり、カトリックが第2正典と呼ぶものです(+はそのしるし)。 合計46書です。第2正典の7書のほかに、 カトリックの聖書のエステル書(エステル記)とダニエル書にはプロテスタントのエステル記と ダニエル書にない付加部(*はそのしるし)があります。エステル記の場合は、 光明社訳ではエステル記が第一章から第十六章まであって、 プロテスタントの聖書のエステル記より六章も多くなっています。 他方、バルバロ訳とフランシスコ会訳ではプロテスタントの聖書のエステル記の始めと終わり、 および中間に4箇所、あわせて6つの付加部があります。ダニエル書の場合、 プロテスタントの聖書のダニエル書の第3章23節と24節の間に『アザルヤの祈りと3人の若者の賛歌』が挿入され、 終わりに第13章に『スザンナ』、第14章に『ベルと竜』が付加されています。 これらの付加部はユダヤ教のヘブライ語聖書にはありません。 第二正典およびこれらエステル記とダニエル書にある付加部もカトリックにとっては正典です。 なお、バルバロ訳とフランシスコ会訳ではマカバイ記1、マカバイ記2はエステル記の後に置かれています。 またバルバロ訳では『バルク書』の後、『エレミヤの手紙』を載せていますが、 従来光明社訳のようにこの小さな書はバルク書の中、その第6章1ー72節に含まれてきました。 それゆえ、エレミアの手紙は独立した書名として出ていないことがあります。 (3)プロテスタントとカトリック共同の聖書(第1表の右端の欄を参照) プロテスタントとカトリックが協力して完成した『聖書』新共同訳(1987年発行、日本聖書協会) には旧約聖書続編なしと旧約聖書続編付の二通りが出版されています。この後者を見てみますと、 従来のプロテスタントの聖書ともカトリックの聖書とも異なる書の順序になっている上、 新しい書も入っています。まずプロテスタントの旧約正典書39書があり、 つぎに旧約聖書続編の名のもとにカトリックの第2正典であるトビト記、 ユディト記、付加部つきのエステル記(従ってエステル記は二度載せられている)、 第2正典のマカバイ記1、マカバイ記2、知恵の書、シラ書[集会の書]、 バルク書と並べられています。ただし、このバルク書はカトリックの伝統的な聖書におけるバルク書と異なり、 このバルク書第1章1節から第5章9節を載せており、 それに続く第6章1−72節は『エレミヤの手紙』という名のもった独立した書として載せています。 つぎにダニエル書補遺として、従来カトリックの聖書ではダニエル書第3章24ー90にあった『アザルヤと3人の若者の賛歌』、 第13章にあった『スザンナ』、第14章にあった『ベルと竜』の3つの付加部がそれぞれ独立した書として出ています。 最後に、カトリックにとっても正典ではない『エズラ記(ギリシア語)』、『エズラ記(ラテン語)』、 『マナセの祈り』の3書が載せられています。このように『聖書』新共同訳旧約聖書続編付きでは、 プロテスタントの聖書にある39の旧約書のほかに、カトリックの7つの第2正典書、 それに付加部付きのエステル記、エレミヤの手紙、ダニエル書の3つの付加部、 それに正典ではない3書、あわせて15書が旧約聖書続編として添えられています。 聖公会とハリスト正教会はこの続編の書を正典として認めませんが、聖書に載せています。 教会の公式典礼でこれらの書を用いるからです。 第2章 諸教会、諸教派における第二正典、外典、偽典 プロテスタントは39書を、カトリックは46書を旧約正典書として受け留めていますが、 それに応じて正典書以外の古代ユダヤ教の宗教書の扱いが異なっています。 そこでプロテスタントとカトリックにおいてその扱いがどう異なっているか、 はっきりさせておきましょう。ギリシア正教やロシア正教をはじめ東方の諸教会における扱いについては別の機会に述べましょう。 書名は、諸教会・諸教派で異なりますが、ここでは新共同訳のものに統一しました。 (1)プロテスタントの聖書 プロテスタントの聖書においては、正典39書をほかの書から厳密に区別し、 日本のプロテスタント発行の聖書ではどれを取っても、この正典39書しか載っていません。 西欧ではルター訳聖書など、39の正典書とは明確に区別しながらも、 「アポクリファ」の名のもとにほかの書を載せてきた伝統があります。 プロテスタントでは正典書以外の書をアポクリファとプセウドエピグラファに分けます。 前者は、カトリックの第2正典とエステル記への付加部、ダニエル書への付加部およびスザンナ、 ベルと竜、それにカトリックが偽典とするマナセの祈り、エズラ記(ギリシア語)、 エズラ記(ラテン語)からなる一群の書を意味し、 後者はこの一群の書以外のソロモンの詩編やヘノクの書など古代のユダヤ教宗教書を意味します。 (2)カトリックの聖書 カトリックの聖書においては、プロテスタンの聖書に比べて7書多く正典書が載っています。 このプロテスタントにとっては正典でないが、カトリックにとって正典である7書を第2正典と言う習慣があります。 しかし、この7書は正典書としては、ほかの正典書と同等であると受けとめられていますので、 一群にまとめられることなく、他の正典書の間に混じって配置されています(第1表の中央の欄を参照)。 この7書のほか、プロテスタントにとって正典でなく、 カトリックにとって正典であるものとしてバルク書6:1-72に含まれるエレミヤの手紙はもちろんのこと、 エステル記への付加、ダニエル書への付加であるアザルヤと3人の若者の賛歌、スザンナ、ベルと竜があることも指摘しておきます。 エレミヤの手紙を含んだバルク書、付加部つきのエステル記と付加部付のダニエル書はカトリックにとっては正典です。 従って、エステル記とダニエル書は、プロテスタント発行の聖書とカトリック発行の聖書では同じではないのです。 カトリックは第二正典書とこれらの付加部をすべて霊感書として同じ価値を認めて正典書とし、 この全書をほかの書から厳密に区別します。ほかの書とはマナセの祈り、エズラ記(ギリシア語)、 エズラ記(ラテン語)、ソロモンの詩編、ヘノクの書などです。正典書、第2正典書ではないすべての書は、 アポクリファと呼び、出版される聖書には載せられてはいません。 (3)用語の意味の違い プロテスタントとカトリックにおいて旧約正典書以外の書の扱いがどのように異なっているかが明かになりました。 その扱いの違いから同じ用語でも、意味するものが異なることがあるのです。 アポクリファという用語は、プロテスタントで言われる場合とカトリックで言われる場合とで、 その意味内容が異なるので、注意する必要があります。すでに述べましたように、 プロテスタントでは39書の正典書以外の古代のユダヤ教宗教書はアポクリファ、プセウドエピグラファと分け、 カトリックは第2正典を含む正典以外の書をアポクリファと呼びます。 このことからアポクリファは、プロテスタントではカトリックが第2正典とする全書とエステル記への付加部、 ダニエル書への付加部、スザンナ、ベルと竜のみならず、正典としないマナセの祈り、 エズラ記(ギリシア語)、エズラ記(ラテン語)も含む一群を意味しています。 この意味でアポクリファは、カトリックの第二正典とおおよそ重なりますが、同じではありません。 カトリックではアポクリファはカトリックが正典とする書以外の書を意味していて、 プロテスタントがアポクリファとするマナセの祈り、エズラ記(ギリシア語)、 エズラ記(ラテン語)から、プセウドエピグラファとするすべての書を意味します。 このようにカトリックではアポクリファは、プロテスタントにおけるプセウドエピグラファとおおよそ重なっています。 このように意味内容の異なる用語が日本語にどのように翻訳されているのでしょうか。 最近、日本ではカトリックもプロテスタント用語を使うようになっていますが、 従来アポクリファはプロテスタントではそのままアポクリファないし外典と呼んできたのに対し、 カトリックでは偽典と呼んできました。他方、プセウドエピグラファがプロテスタントで偽典と呼ばれてきました。 幸いにもプロテスタントにおける外典はカトリックの第二正典とおおよそ同じ意味内容です。 ただし、マナセの祈り、エズラ記(ギリシア語)、エズラ記(ラテン語)は外典であっても第二正典ではありません。 偽典もプロテスタントとカトリックでほとんど同じ意味内容で用いられています。 ただし、新約文書に関してはプロテスタントでアポクリファは外典と、 カトリックで偽典と翻訳されてきました。このように新約文書に関しては外典と偽典はまったく同じ一群の書物を意味しています。 なお、新共同訳聖書は「旧約聖書続編」という新語を使っていますが、 これはプロテスタントにおける旧約聖書のアポクリファを翻訳したもので、外典とまったく同じ意味です。 それゆえ、カトリックにとって偽典のマナセの祈り、エズラ記(ギリシア語)、 エズラ記(ラテン語)もこの聖書には載っているのです。新語を導入することによって、 キリスト教用語はますます複雑になった感があるので、外典という用語を用いたほうがよかったのではないかと思っています。 ギリシア正教会のアナギノスコメナはほぼプロテスタントのアポクリファにあたり、 ギリシア正教のアポクリファはほぼテスタントのプセウドエピグラファに、ほぼカトリックのアポクリファにあたります。 (4)新共同訳聖書がとった道 旧約正典についてきわめて異なる立場を主張してきたプロテスタントとカトリックが協力して翻訳、 発行した聖書が新共同訳聖書です。そこでは双方の正典が同時にどのように取り扱われているのでしょうか。 プロテスタント諸教会の間では世界教会協議会(WCC)などの結成があったところに、 カトリックも第二バチカン公会議(1962ー1965年)で諸教会・諸教派との対話促進の方針を打ち出しました。 このようにエキュメニズム(教会一致運動)が進む中でキリスト者が共通して用いることのできる聖書への要望が高まりました。 この潮流の中で第2次世界大戦後、1947年に各国の聖書協会がオランダのアマースフォルトに集まって創設した聖書協会世界連盟 (United Bible Society)とバチカンのキリスト教徒一致推進秘書局 (Secretariatus ad Christianorum Unitatem Fovendam)は、共同訳聖書の可能性を検討し始め、 1968年に合意に達したのでした。その結果、つぎのような指針が出されました(小泉達人「UBSの聖書翻訳の指針」、 『聖書翻訳研究』第1巻(1970年)、日本聖書協会、46ー58頁参照)。 その内容は要約しますと、つぎのとおりです。 イ) 明確な事情のある場合、多くの聖書協会が第2正典ないしアポクリファ付きの聖書を発行できること、 さらにカトリックの出版許可(imprimatur)を得るためには第2正典をすべて含んでいなければならないこと。 ロ) それに対してアポクリファを使用する習慣のある場合を除いて、 大多数のプロテスタントは第2正典ないしアポクリファとヘブライ語聖書の正典を明らかに区別しない聖書は受け入れられないこと。 ハ) この2つの立場を実際に両立させるには、カトリックの出版許可を得る出版では第2正典を別にして新約聖書の前に配置してもよいこと。 エステル記については、ギリシア語を底本としたものは第2正典の区分の中に置き、 ヘブライ語本文を底本としたものはヘブライ語聖書の正典の中に配置し、 ダニエル書の第2正典の部分もヘブライ語聖書の正典とは区別された部分に入れること。 この中でイ)はカトリック側の主張を確認したもの、ロ)はプロテスタント側の主張を確認したもの、 ハ)は双方の主張を否定することなく発行できる聖書とはどういうものかを指摘したものです。 この指針にしたがって日本でもプロテスタント代表とカトリック司教協議会が共同で聖書を翻訳し、 1987年に日本聖書協会により『新共同訳聖書』されましたが、 同協会は従来どうりのアポクリファ(外典)なし聖書と共に、アポクリファ付きの聖書も出版しました。 これが『新共同訳聖書、旧約続編付き』です。ここではまずプロテスタントが正典とする39書がまとめられており、 これとは明確に区別されたアポクリファ(外典)が旧約続編の名のもとに集められ、 その後に新約書が置かれています。これは日本の一般の読者にとってのみならず、 プロテスタント、カトリック双方にとっても真新しいものですが、 キリスト教の伝統にとってはかなり古くからあったものです。 この『新共同訳聖書』旧約続編付きは、実はルター訳聖書、 カルヴァンが深く関わった仏訳ジュネーブ聖書と同じく旧約正典、アポクリファ(外典)、 新約正典と並べ、16世紀のプロテスタントの伝統を再現したものになっているのです。 第3章 ヘブライ語聖書および古代ギリシア語およびラテン語訳聖書における旧約聖書 どうしてプロテスタントとカトリックの間で旧約正典に関して相違が生じることになったのかと言いますと、 プロテスタントは、ユダヤ教のヘブライ語聖書にしたがって正典を定め、 カトリックはラテン語訳ウルガタ聖書にしたがって旧約正典を定めたのですが、 そのヘブライ語聖書とウルガタ聖書の間に旧約正典に関して違いがあったからだと答えることができましょう。 この二つの聖書だけでなく、古代において聖書はそこに含まれる書の数についても、 またその本文についてもそれぞれの地域でかなり多様なものでした。 同じ聖書と言いながら、そこに含まれる書物や本文が異なりますと、 キリスト教の信仰はばらばらになり、あるときには内容的にもうキリスト教ではなくなる危険さえ起こります。 そこで各地の教会に共通して伝承されている書物を確かめあって、 それを信仰問題の真偽を判断する基準としようとして正典が定められるようになりました。 正典の原語カノンとは基準ということです。その正典のリストが古代の教会教父の著作や教会会議の決議文によって伝わっています。 正典書のリストを作って、正典を確かめあったとき、 ある一地方の教会にしか伝承されていない書は正典とはされないが、 捨て去られずその地方教会の写本に保存される場合もありました。この正典形成の歴史的経過や、 ある書を正典とし、別の書を正典としなかった背後に働いた動因が何であったのかなど、 問題はまた別の機会に考えることにして、ここではヘブライ語聖書とウルガタ聖書においてはどのような書が、 どのような順序で並べられているのか、明らかにしておきたいと思います。 それにウルガタ聖書はギリシア語訳70人訳聖書の伝統を受け継ぐものですから、 この70人訳聖書もあわせて、見ることにしましょう。 70人訳聖書にはヘブライ語聖書にある書の位置が変わっているのみならず、 新しく加えられた書物もあり、それがウルガタ聖書で位置を変えられていたり、なくなっていたりしています。 その関係を第2表を見て確かめてください。 第2表:ヘブライ語および古代訳聖書 |
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第2表中央と右端の欄の中で強調文字で書かれているのは、ヘブライ語聖書にない書のこと。 *印のあるものは付加部を含む書。プロテスタントの正典は、この表の中でヘブライ語聖書の欄にあるもの。 ただし、書の順序はここにあるものと異る(第1表左端の欄と比較参照)。 カトリック教会の正典はラテン語訳ウルガタ聖書の欄にあるもの。 ただし付録は除く(第1表の中央の欄と比較参照)。カトリックにとっては正典だが、プロテスタントにとっては正典でない七書、 つまり第ニ正典は+印のあるもの。書名は新共同訳聖書に従って統一した。 |
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ここにあげた旧約聖書の書名リストは、ヘブライ語聖書については Biblia Hebraica Stuttgartensia, edidit K.Elliger et W.Rudolph, Stuttgart, 1977による(BHSと略す)。 これは西暦10世紀に筆写されたレニングラード写本B19aに基く。 70人訳聖書については、Septuaginta, edidit A.Rahlfs, Stuttgart, 19658(Rahlfs と略す)による。 これは西暦4−5世紀に筆写されたヴァティカン写本やシナイ写本などに基く。 ラテン語ウルガタ聖書については、Biblia Sacra iuxta Vulgatam Versionem, Stuttgart, 19752(Vulgataと略す)による。 いづれも Württembergische Bibelanstalt Stuttgart 発行。書の順序は写本の間で必ずしも同じではない。 第2表のヘブライ語聖書、70人訳聖書、ウルガタ訳聖書の間に書名、書の総数、書の順序が異なっている。 (1)書名の問題 |
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(2)書の総数と特に注意すべき書 ヘブライ語聖書には39書、70人訳聖書には53書、ウルガタ聖書には46書、 それに付録3書があります。このことは、ヘブライ語聖書にない書物が70人訳聖書にあったり(第2表中の強調文字)、 70人訳聖書にある書の幾つかがウルガタ聖書にはなかったりしていることを示しています (マカバイ記3、4、詩歌、ソロモンの詩編)。ただし、同じ書名でも内容が異なることがあります。 前述したエズラ記のほか、エステル記、ダニエル書、バルク書、エレミヤ書、詩編については以下の注意が必要です。 |
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(3)書の順序 |
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(4)トリエント公会議の決議文 カトリックは、トリエント公会議(1545ー1563年)においてこのウルガタ聖書に基づいて正典を決定し、 今日に至っています。その背後にあった事情や神学の説明はまた別の機会にゆずり、ここではその決議文のみを紹介しましょう。 1546年の第4総会で出された決議文 (Decretum de libris sacris et de traditionibus recipienndis)の旧約正典に関するところはこうなっています (Denzinger-Schönmetzer, Enchiridion Symbolorum Definitionum et Declarationum de rebus fidei et morum, editio XXXIV, No.1502, 1504より私訳)。 「本公会議は、この会議によって受容される聖なる書がどの書であるのか、 その書の目録をこの教令に付記すべきだと考えた。それは以下に書き記されたものである。 旧約では、モーセ五書、つまり創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、 それにヨシュア記、士師記、ルツ記、列王記4書、歴代誌2書、第1エズラ記、ネヘミヤ記と言われる第2エズラ記、 トビト記、ユディト記、エステル記、ヨブ記、ダビデの詩編150編、箴言、 コヘレトの言葉、雅歌、知恵の書、集会の書、イザヤ書、バルク書と共にエレミヤ書、 エゼキエル書、ダニエル書、それに12小預言書、つまりホセア書、ヨエル書、 アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼファニヤ書、 ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書、それに第1、第2のマカバイ記2書。(続いて新約27書の目録)。 もし誰かが、カトリック教会において朗読する慣習となっており、ラテン語訳ウルガタ聖書の古い出版にあるものである限り、 そのすべての書をそのすべての部分も共に聖なる書、正典書として受容せず、 前述した諸伝承を知りながら、弁えがありながら蔑むなら、排斥される」。 この中に哀歌の書名が見えませんが、当時ウルガタ聖書の一部の写本では哀歌はエレミヤ書に含ませてありましたので、 明示されなかったのだと説明されます。 エステル記、ダニエル書、バルク書もウルガタ聖書にあるものが前提されていますので付加部つきのエステル記、 付加部および『スザンナ』、『ベルと竜』が加わったダニエル書、エレミヤの手紙を含んだバルク書が考えられております。 |
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