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この論文は、英知大学キリスト教文化研究所『紀要』、 第3巻、昭和63年(1988年)、1−22頁に発表された。 当時、一般に話題になり始めたホ−キング博士の発見したブラック・ホール(宇宙にある暗黒の物質)には、 ここでは言及されていない。このように自然科学は新しい発見を積み重ねていく。 また、その後の聖書学の発展も目覚ましい。たとえば、月本昭男編『創成神話の研究』、 リトン社、1996年、特にその中の月本昭男「古代メソポタミアの創成神話」、 11−60頁、吉田泰「旧約聖書祭司文書の創成物語」、61−154頁参照。 しかし、自然科学と聖書の天地創造の関係は、原理的にここに述べたことに何ら変更はない。 その原理的なことは、カトリック教会では1893年、 教皇レオ13世が発表した回勅『プロヴィデンティッシムス・デウス』によって、 解決済みである。特にその、No.121-122参照。この回勅については、 拙稿「教皇レオ13世の回勅『プロヴィデンティッシムス・デウス』の意義」、 『サピエンチア』英知大学論叢第34号2000年(平成12年)、281−294頁参照。 |
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序 特に最近自然科学の発達は、目覚ましい。 次々と開発される新技術と挨まって、物質界の研究はマクロの分野でもミクロの分野でも加速度を増しながら進んでいる。 その成果は、これまた発達した情報手段によって素早く交換され、収集され、未解決の問題には新たな挑戦がなされる。 科学者自ら極寒の地に出向き、高山に登り、砂漠や奥地に踏み込み、海の深みに潜ったりもする。人が到達しえないところには、 ロケットなどをもってロボットや精密機械を送り込み、データや映像を得る。また研究所では高度な装置を用いて実験をくりかえす。 こうして数々の発見がなされ、古くからあった推論も、実証されることもあれば、修正されることもある。 我々が住んでいるこの世界がどのように形成され、生命が誕生したか、 それがどのように増加、分化、進化して人類の出現を見るに至ったかについても、 現代の自然科学は驚くべき規模と迫力をもって真実に迫る。まだ推論の域を出ない詳細なこともあるが、 その推論の成り立つ範囲は著しく狭められた。その研究の先端を行く科学者の得た知識のおすそわけで、 我々一般人がこの地球の成り立ち、生命の誕生、人類の出現について持つ常識も以前に比べてはるかに確かなものとなり、 幅も広くなった。火星や土星にまで到達したロケットから送られてくる映像や、 高温高圧の深海に生きる生物の映像を目の当りにして、驚きを覚えると共に認識を新たにさせられる。 最近放映されたNHKの「地球大紀行」を見て、これこそ現代の天地創造かと感激せざるをえなかった。 他方、いかに自然科学が発達しても、宗教は衰えを見せない。かえって宗教は益々求められるようにもなっている。 自然科学が神秘のヴェールを取り去り、この宇宙と地球の成立ちを説明し、 生命誕生の条件を明らかにしても、創造主であり、生命の起源である神への信仰はいっこうに消えそうにない。 むしろ神への畏敬の念はいっそう大切なものとして痛感されつつある。キリスト教について言えば、 聖書の冒頭に天地創造があり、キリスト教徒は、今日もこれを愛読する。その天地創造の記述は、 現代の自然科学から見れば、あまりにも単純、幼稚であるかに思われるが、キリスト教徒はこれを啓示されたこと、 神の言葉として受けとめ、それを昔話として一笑に付すことはない。 そこで我々は、現代の自然科学の明らかにする天地創造と、聖書の天地創造がキリスト教徒の頭の中に、 どのように分裂することなしに両立しうるかを考察してみたい。顧れば、この問題は、 西欧において十七世紀前半のガリレオ事件以来論議されてきたものである。 ガリレオは科学と聖書が両立しうると考え、その説明も試みている。しかし、当時の聖職者はそれを認めず、 科学が明らかにすることを認めなかった。このように、その時以来聖書の言うことのみを認める者もいれば、 科学の明らかにすることのみを認める者もいるし、この両方が両立しうると考える者もいるというふうに分かれることとなった。 両立しうると考える者の中には、科学は科学、信仰は信仰というようにこの両方を頭の中で調和させることなく保ちつづける者と、 聖書の記述を自然科学の明らかにするものに、いわば無理に合わせて説明しようとする者がある。 つまりその両立のさせかたに問題がある者もある。その燃え残りが今日もくすぶっていないわけではない。 そういうわけで、自然科学と聖書の天地創造が両立することを、その両立がいかに考えられるべきかをも含めて考察してみたい。 T 予備考察 問題の検討に入る前に、自然科学の発達した現代、常識となっているところでは、 この世界の成り立ちはどう説明されているか、その大まかなことを確認しておこう。 つづいて聖書が天地創造について記述することを要約的に、だが正確に確認しておこう。 この予備考察に基づいて、あとで問題の検討を行う。 (イ)現代の常識による天地創造 現代の宇宙物理学1は、宇宙の誕生の瞬間にまで研究を進め、 その時点まで、現在宇宙に存在する全物質がボ−ルほどの空間に押し込められた、 きわめて高密度状態にあったという。これが大爆発を起こし、拡大をはじめたと考える。 いわゆるビッグ・バン説を想定する。こうして宇宙は誕生したが、それは百五十億年前のことだという。 この爆発後百万分の一秒での温度は約10兆度というから、そのとき宇宙は想像を絶するエネルギ−のかたまりであった。 太陽の中心ですら1500万度にすぎない。こうして始まった宇宙の膨張は今も続いているという。 この大宇宙の片すみで太陽系が誕生したということになる。 現代の地球科学2は、ひとつの星の寿命が終って放たれたエネルギ−により、高熱のガスが広がり、 これが渦巻きとなり、冷えるにつれ、その中心に太陽が、周辺に惑星が形成されたと考える。 はじめガスであったものが冷えるにつれ、徐々に無数の粒子に固まり、これがぶつかりあって大小の固まりとなり、 さらにこれが衝突をくりかえして惑星になっていったという。この太陽系の誕生は四十六億年前と計算されている。 このとてつもなく巨大な空間と時間の中で、太陽系の一惑星として地球は誕生したというのである。 この地球もその原始の状態では次々とぶつかってくる微惑星によってクレ−タ−で満たされ、 その衝突のエネルギ−によって地表は高熱のマグマで覆われていた。それは混沌としたものだった。 微惑星の中には水分を含むものがあって、これが地球にぶつかるとその衝突のエネルギ−で水分は水蒸気となって蒸発し、 地上高く大気中にとどまり、地球を取り巻いた。地上のマグマが冷えてきたある時点で、 その水分が豪雨となって降り注ぎ、洪水となり、海ができた。この水分が雨となるタイミングが微妙で、 たまたま地球だけにその条件が整い、雨が降ったという。 その海の中でおよそ四十億年前に生命が誕生した。それは酸素を必要としないバクテリアのような微生物で、 地球に最初に繁栄したのはこの微生物であった。地球には長い間酸素がなかったが、 およそ三十五億年前に光合成によって酸素を放出する生物が突然変異によって現れた。 これも、ラン藻といわれるバクテリアの一種で、酸素を放ちながらストロマトライトという特徴ある岩をつくるので、 この岩の大きさや分布を調べることによってこの地球上に酸素の供給がいつ頃始まったか、 どれほど長く続いたかがわかる。この微生物が、以前からあった微生物と入れかわって繁栄し、 長い期間をかけて大量の酸素を造った。こうして惑星の中で地球だけが海と酸素に恵まれることとなった。 酸素はまず海の中に、つぎに大気中に供給されるようになり、海で始まった生命が地上に上陸する条件が整った。 こうして地球の形成以来長い間生命の鼓動のなかった地上に植物が現れた。四億年前のことである。 地球は緑で覆われるようになったが、この植物の繁茂がどれほどの規模でどれほど長く続いたかは、 それが石炭となっていることからおよそ想像がつく。植物の出現と共に、 魚類や両性類など水中にしかいなかった生命体も上陸し、虫類から恐竜に至るまで登場するようになる。 植物がその生命体にとって基本的な食料となったことは言うまでもない。 その恐竜はおよそ二億五千万年前から六千五百万年前まで、一億数千万年もの長い間生きていたが、 劇的に突然絶滅してしまった。この地球にどのような異変が襲ったのであろうか。いずれにせよ、 恐竜が絶滅したあと、哺乳類が繁栄する時期が来た。この哺乳類も下等なものから高等なものへ変化していった。 その変化のメカニズムはいかなるものであったか、科学者の説明はいろいろあるが、 発見される古生物の化石が証明するところでは、生物は時代の進行と共にあるものは滅び、 あるものは生き残り、変化してきた事実には疑いをはさむ余地はない。 その変化の過程もかなり我々の時代に近づいてから原始類人猿が現れ、 さらに近づいて最初のヒトといわれるホモ・エレクタスが登場した。それは百万ー百五十万年前のことである。 十万年前になってホモ・サピエンスといわれるネアンデルタール人やクロマイニョン人が登場するが、 ここまで来ると、現生人類までほんの一歩である。 これまでの長い生命体の変化の道のりは、進化といわれる。 この進化の過程で種の絶滅や変化があり、科学はこれを、自然淘汰かどうか議論を戦わせるが、 すべて大自然のメカニズムによって説明しようとする。この長い道のりを経て、五千年ほど昔に、 人類はエジプトとメソポタミアの大河の流域に最初の文化の花を咲かせるに至った。 それ以来人類は自己と自己を取り巻く世界の起源を絶えず問題にしてきたが、 現代人がはじめてその発達した科学と技術のおかげでその雄大で驚くべき謎を解くことに成功しつつある。 今述べてきたことがその成果の概略でこれを現代の天地創造と呼ぶこととする。 (ロ)聖書による天地創造 聖書は、天地創造の記述をもって始まる。 これはよく知られているが、 正確に言えば創世紀第1章第1節から第2章第4節前半(以下創1の1ー2の4aと略し、 聖書の他の箇所もこれに準ずる)にその記述がある。それに続く創2の4bー3の24も創造の第2記述と言われるが、 ここでは人間(アダム)とその妻(エワ)の創造、その人祖の堕落、 その結果としての罰が主要テーマとなっているので、ここでは論外とし、必要があれば言及することとする。 さて、創1の1ー2の4aをそのまま単純に読めば、こういうことが言われている。 「初めに」と切り出し、その初めに神は天地を「創造された」という(1の1)。 これは、これから述べようとすること全体に付されたタイトルのようなものである。 つぎに、神が創造の御業を始める前に何がどういう状態にあったかを言う(1の2)。 「地」は「混沌」の状態にあり、「暗闇」が「深淵」の上に立ちこめていたという。 つまり混沌と暗闇の状態で、地は地と言えるものではない。深淵、ヘブライ語でテホムつまり原始の水のみがあった。 だが、その水の上に「神の霊」があったという。この神の霊、 息吹きが神の創造の御業すべての根源であるかのようにその上で「動いていた」という。 そこで神は創造の御業を初め、六日間でこの宇宙のすべてのものをお造りになり(1の3ー31)、 七日目に安息された(2の1ー4a)という。その際、「神は言われた、「......」、 「そのようになった」を何度もくりかえし、神がその力ある言葉と、 これに沿った行為によってこの宇宙の個々のものをお造りになったことを強調する。 その個々のものについては、第1の日に光が(1の3ー5)、 2日目に原始の水の中の「大空」(空間)が(1の6ー8)、3日目に「地」と呼ばれる陸、 それに海、そしてその陸上に植物が(1の9ー13)、4日目に太陽、月、星々が(1の14ー19)、 5日目に魚類と鳥類が(1の20ー23)、6日目に陸上の生き物、そして最後に人間が(1の24ー31)が造られる。 このように、混沌と暗闇にまず光を与え、つぎに水の中に空間を、その空間の中に陸と海が現れるようにされ、 まず生命のない世界が造られたことを言う。生命がないといっても、それは生命を受けとめるにふさわしい世界で、 その準備は植物の出現で頂点に達する。「地」が植物を生え出でさせる力を持つようにされ、 神はこの地上を緑で覆うようにされた。こうしてこれから現れる生き物の食料も整えられた。 聖書はつづいて天体が造られたことをいう。そのあと、神は海も空も生命で満ちるようにされたこと、 最後に陸上の生き物、そして創造の御業の頂点として人間が創造されたことが言われる。 この混沌と暗闇の状態から光輝き、調和のある生命に満ちた世界が出来上がる過程がここで見事に書き記されている。 全体を通じて神の言葉と行動が強調され、神がすべてを直接お造りになったかのように書かれているが、 よく見ると、「地」が植物を生え出でさせるように、「地」が陸上の生き物を産み出すようにと言われており、 この大地に生産力が込められているかのように考えられている。また植物、魚類、鳥類、陸上の生き物については「それぞれに」、 つまり「それぞれの種類に従って」(1の11ー12、21、25参照)と種類別に造られたことが指摘されている。 これが直接的か間接的か場合によって異なるが、最終的には神によるものであることが言われる。 人については特に詳しく書かれ、人間が他の生き物と異なる仕方で、直接神によって造られたと言われる。 人間についてのみ、神に「かたどって」、「似せて」創造されたと特別に表現され、 また「男と女に」と言ってその性別も神によると言われる。この人間には他の生き物を支配する権力も委ねられ、 養いとして穀物が与えられている。こうして完成されたこの世界は、人間によって維持され、 発展させられていくものだともされている。 この聖書の天地創造もその読者に大きな感銘を与えるものである。 この天地万物が神によって造られたものであるという強い信念に心打たれるし、 この世界が輝かしく秩序あるものであり、大地は緑に覆われ、空も地も海も生命にあふれ、 その頂点に神のかたどり、似姿として人間が立っているのだという世界像にキリスト教徒でなくとも賛同を覚えるであろう。 だからこそ、聖書の天地創造も単なる昔話、あるいは過去の芸術の一主題ということだけでなく、 現代人の心にも訴える力を保ち続けているのであろう。 実際にこの物質界に対する深いインサイトを聖書から汲みとる科学者も少なからずいる。 U 科学と聖書に対する問題になる態度 前項で述べた現代の天地創造と聖書の天地創造を前にして、いかなる態度を取るべきか、 キリスト教徒のみならず、多くの現代人にとっても興味ある問題であろう。 キリスト教徒にとっては、この問題は深刻なことがある。学校で地球科学や進化論を学び、 教会では天地創造の聖書の一節を開き、その食い違う世界像をうのみにしたものの、 お腹の中で消化しきれずにいるかもしれない。キリスト教徒でないものは、聖書の天地創造を知って、 キリスト教徒はまだこんな昔話のようなことをそのまま信じているのかと、容易に誤解し、 キリスト教の真の価値を見逃してしまうかもしれない。あるいは的はずれの批評をあびせてしまうかもしれない。 そこで科学と聖書を前にしていかなる態度を取るべきか、解答を求めて、まず問題になる態度から見ることにしよう。 (イ) 二者択一 まず考えられるのは二者択一という態度である。これはどちらを選ぶかによって、 二通りが考えられる。科学の明らかにするもののみを認め、聖書など全く価値なしとする場合と、 逆に聖書の天地創造のみを認め、科学の成果など全く顧みない場合とがある。 この両方ともラデイカルな態度を取るということで、共通している。 前者は、この地球が何億年もの生成の歴史をもつことが明らかになった今日、 6日間で神がこの世界を造ったなどという聖書の記述に何の価値も認めず、非常識で幼稚な昔話として片づける。 西欧の無神論的唯物論者がこのカテゴリーに入る。日本の科学者や一般人には、 むしろ問題回避ないし態度保留の傾向が強いように思われる。彼らは宗教の価値に目覚める機会がなかったりなどしてか、 態度を決定するには至らず、賢明に保留しているようで、このカテゴリーには入らない。 他方、後者は、聖書の記述を文字通り受けとめ、24時間を1日とする日を6日で、 神がこの世界をお造りになったと、そのまま信じるキリスト教徒のことである。 進化論など自然科学が明かにすることなど頭から拒否し、これを反信仰的と敵視さえする。 このようなキリスト教徒は米国をはじめキリスト教国にかなりいる。 最近も進化論と同様に聖書の天地創造も公立学校で教えることを立法化しようと要求した人々が、 米ルイジアナ州などにいて、米連邦最高裁によって拒否されたとの報道があった5。 この人々はそのカテゴリーに入る。このようなキリスト教徒は信仰を持っていても、 大人として聖書を読めるように教育されることはなかったのではないか。 勿論、すべてのキリスト教徒がこのような態度を取るわけではない。 たしかに、百年余り以前1859年C.ダーウインが「種の起源」を、 1863年にT.H.ハックスレーが「自然における人間の位置」を発表したとき、 その進化論に対し嘲笑を混じえた拒否反応を示したキリスト教徒が多くあった。 進化論は当時の常識にとっては衝撃的な新説、新しいヴィジョンであったからやむをえない。 その後、進化論も冷静に事実を提示し、説得力を増すと共に、 必ずしも反信仰的なものではないことを明らかにすることになり、 他方キリスト教徒もいかに聖書を解釈すべきか、またいかに信仰を理解すべきかを見直した。 こうして今日のキリスト教徒は一般に科学と聖書が両立するものであると確信している。 (ロ)誤った両立観 科学と聖書が両立すると確信していても、その両立をいかに説明するのかとなると、 とうてい認めるわけにはいかないものがある。 その一方には、科学は科学、 聖書は聖書と割りきってその両方の世界像をそのまま受けとめることを信条とするものがあれば、 他方には聖書の天地創造を自然科学の明らかにする事に合わせて説明しようとするものがある。 前者は精神的に消化不良を起こしているかのようで、このような態度を受け入れることはできない。 どうしてこの地球が数十憶年もの生成の歴史をもって現在に至っているということと、 文字通り神が世界を6日間で創造されたということを同時に確信として持つことができるであろうか。 これはもはや両立ではなく、並立であって、正常な思考をする者はそういう確信はもてない。 他方、後者は符号主義ないし調和主義(コンコルデイズム)と言われるもので、 西欧で自然科学が発達してくると共に現れ、現在もその誘惑に陥るものが絶えない。これを少し詳しく見ておこう。 符号主義の提唱6は、フランスの生物学者キユヴィエ(C.Cuvier, 1769-1832)によって始められ、 その後あいつぐ自然科学上の新発見にあわせて次々と改訂されて現れた。 その提唱者たちは聖書の天地創造にある1日を、文字通りの24時間の1日としてではなく、 一定の期間ないし時期と解している。従って、神が6日で天地を創造されたということは、 この世界の成り立ちが6つの時期にわけられてなされたことだとする。 こうしてこの6つの時期を自然科学が明らかにする地球の歴史に合わせて説明しようと試みる。 符号主義による説明の一例を上げよう7 。ここにあげるの一九00年代のものだが、 現代でも同じパタ−ンで最新の科学知識に合わせた説明が可能である。 それはおよそ次のように創1の1から2の4aを解釈する。 光の創造をいう1日目は、ラプラスの星雲説を考えてか、光熱で渦巻くガス状の物質が造られ、 続いた時期のことをいう。これが、4日目に言われる太陽の創造以前にあった光のことだという。 2日目は、水蒸気が地球を取り巻いていた時期のことだという。3日目は地上に大陸が現れ、 植物が繁茂した時期のこと、4日目はその植物によって空気が澄むようになり、 太陽や月、星々がはっきりと見えるようになった時期のことだという。この3日目と4日目は、 自然科学のいう古生代のデボン紀、石炭紀、二畳紀にあたる。5日目は海の怪物、水生の爬虫類、 および鳥類の栄えた時期のことで、これは中生代の三畳紀、ジュラ紀、白亜紀にあたる。 6日目は陸上動物の現れた時期のことで、これは新生代の第三紀以降のことだという。 このような説明は一見正しいように見え、歓迎されたこともあった。 実際に、聖書は「日」を厳密に24時間の1日ではなく、 あいまいに「時期」という意味で用いることがあり、神の創造の御業も無生物から生物、 そして人間という順でなされたように言っているからである。 しかし、まもなくその説明にあわない自然科学上の事実が指摘された。たとえば、 生命体は植物が現れる前にあったことが明らかにされた。 また太陽など天体が見えるようになったのは植物の繁茂した時期のあとだとは、空想にすぎない。 このように符号主義は科学と聖書を両立させるには誤った路線にあるものと見ぬかれた。 そもそもその誤りの根源は、聖書を自然科学の書と同じように見るということにあった8。 しかるに、聖書は自然科学の書でもなければ、聖書記者も自然科学者ではない。 このことを知らぬまに忘れてしまった結果、このような誤りを犯すことになった。 また、天地創造のことは、造り主である神が啓示された聖書に出ているはずだという単純な発想から 様々な符号主義の聖書解釈が出されることもある。しかし、聖書の天地創造は、 何憶年に及ぶ地球生成の過程を啓示しようとして神がお書きになったものかどうか、 今一度その記述の仕方を見て再吟味する必要がある。 符号主義は今日カトリック教会ではほとんど消え、皆無と言ってよい。 それはプロテスタントの一部で、ファンダメンタリズムの解釈を標榜する信徒の中に残っている。 しかし、それは聖書の正しい理解を妨げる以外の何ものでもない。 カトリックでは、ファンダメンタリズムの聖書解釈法は、 1993年に教皇庁聖書委員会が発表した 『教会における聖書の解釈』という公文書の中で退けなければならないものとして警告されている。 V 科学と聖書の正しい両立観 自然科学がこの百年飛躍的に発達したように、聖書学も目覚ましい発達を遂げた。 聖書が形成された時代のイスラエルの歴史もそれと関連のある古代オリエント文化圏の歴史もきめ細かく、 かなり明らかにされた。当時の人々の問題としていることや世界像、信条、宗教がどういうものであったかも、 輪郭がはっきりしてきた。これを背景に、聖書の本文に古代言語学などいろいろな研究法が適用され、 紆余曲折があったものの、その本文が本来言わんとするところのものの把握は的を得たものとなり、深められた9。 現代の聖書解釈は100年前は言うに及ばず、50年前、30年前のものと比べてみても、はるかに我々を納得させるものとなっている。 現代の聖書学が聖書の天地創造を理解して提示することは、 自然科学が明らかにする地球とその生命体の驚くべき生成発展の歴史と矛盾するどころではない。 またそれは安易な符号主義とも縁がない。聖書学は聖書が人間に貢献する固有の領域を弁え、 その中で聖書が含みもつ貴重なインサイトを明らかにし、自然科学の領域に口出ししたり、 そこから我田引水と言われるようなこともしない。聖書学は自然科学がその固有の領域で目覚しく発達し、 人間に貢献することを喜び、歓迎する。このように科学も聖書も異なる領域にあって、 ともに人間に貢献するものとの自覚をもっている。異なる領域と言ったが、 それは聖書は人間の全面的救いを扱い、自然科学は人間の一面がかかわっている物資界のしくみを扱うものだということである。 この両方の領域での研鑚が人間にとって必要かつ有用であることは説明を要しない。 またそれがそれぞれ別々に平行してあるべきものではなく、 人間のためにという旗印のもとにそれぞれの領域の研鑚が位置づけられ、 相互に関連づけられなければならない。具体的に言えば、自然科学の研究成果はそれ自体人間にとって脅威ともなれば、 恩恵の約束にもなるものである。しかるに、人間あっての科学なら、科学は人間のためのものでもあるはである。 そうだとすれば、科学も人間の全面的救いということを考える必要がある。 これを考える領域は、もう科学の領域を越え、別のところにある。この別のところに哲学や倫理学などがあり、 聖書とその学もある。従って、科学者がこの別の領域でなされる発達を喜び、歓迎するのも当然であろう。 それでは、現代の聖書学は聖書の天地創造をどのように理解しようとしているのか、紹介しよう。 (イ)著者とその著作意図 聖書の天地創造は、光や空、陸、海などこの物質界の成り立ちを言っているので、 一見自然科学の扱うことと低触するかに見える。しかし、現代の聖書学はそれを表現の手段であるとし、 言わんとするところは別にあって低触することはないと見る。聖書学は学として聖書の言葉を神の言葉としてよりも10、 まずもって人間の言葉として評価する。つまり、これを書いたのは誰かということ、 その著者を問題とする。この著者は誰であったかは、伝わっていないが、その書き残したものを見れば、 その文体や好みの用語や思想傾向などによっておよそいつの時代のどのような人物であったかがわかる11。 聖書の天地創造についても、その著者は以前からの伝承を受け継ぎながらモ−セ五書全体を その最終的なかたちにまとめあげた歴史家であることがわかっている。また彼は祭司の伝承に属するもので、 これに特別の関心を有し、バビロンの捕囚期以後のペルシャ支配下のひとりのユダヤ人であることもわかっている12。 それゆえ、その著者は祭司文書史家と言えよう13。このように著者をわり出してから、 その著者はこの天地創造の記述で何を言おうとしているのか、その著作意図を読み取ろうと進む。 これはきわめて重要なことで、聖書の正確な解釈を左右する鍵がここにある。 つまり、著者は神が6日間で天地を造り、7日目に安息されたと書くが、このことを言おうとしたのか、 それともこう書くことによって何か別のことを言おうとしたのか、この区別をするということである。 この区別によって聖書の解釈は明らかに大いに違ってくる。現代の聖書学はこの著者の著作意図を読みとろうとする14。 (ロ)著者の背後にある世界像 今述べたように著者を問題にすれば、著者の背後にあるものも問題にしなければならない。 祭司文書史家も一古代イスラエル人として当時の世界像を無意識の中にも有し、これを前提として考えている。 従って、彼の言わんとするところを正確に把握するためには、我々もその世界像の中に入り、 そこから彼の言葉を読み取る必要がある。ところで、当時のオリエント文化圏にあった世界像は、 コペルニクス的転換以後自然科学が明かにして現代の我々が抱く世界像とは全く異なるものであった。 聖書の他の箇所15や古代オリエント出土の絵画16や文書17からわかるのだが、 当時の世界像はこういうものであった。 まずは永遠の昔から無限に広がる水があった。原始の水の広がりである。 その中に天と地が密着したような宇宙の丘が生じ、やがて天と地から気が生じ、 この気が天と地の間に入ってその二つを上と下に引き離した。この空間の中に人間をはじめ生き物の住む世界ができた。 大地は山あり谷あり、でこぼこしていてもおおよそ平坦な広がりで、大きな岩の柱で支えられている。 天上にも水があるが、金属を伸ばしたような天が張りめぐらされていて、 神の命令がなければその水は落ちてくることはできない。地下にもその深いところには水があり、その底は深淵と言われる。 このように巨大な水に囲まれた小さな空間が、我々が目で見て、住んでいる世界である。 このような世界像を前提としてこそ、創1の6−7で水の中に大空があるようにと言われていることがわかる。 また創1の2で、神の創造行為の前に水や深淵のことが言われているのがわかる。 このように、古代の文書は、その著者が持っていた世界像を考えることによって、 はじめてその本来の意味を読み取ることができる。換言すれば、 自然科学の洗礼を受けた現代の世界像を昔の著者も持っていたと勝手に前提して、古代の文書を読むと、 著者が言わんとするところのものを誤解してしまうのは火を見るより明らかであろう。 (ハ)異なる世界像による各語の意味の違い 祭司文書史家が我々のものとは異なる世界像を前提として天地創造をつづっているとすれば、 彼の用いるすべての用語の意味内容も我々のものと異なっているのではないかということになる。 創1の1−2の4aのすべての用語の解明は別の機会にゆずるとして、ただ2、3の例もあげて考えてみよう。 たとえば創1の1で「初めに神は天地を創造された」と言われるが、 その「初め」はどういう意味内容をもって言われているのであろうか。我々の考える時間の「はじめ」のことであろうか。 そうだとすれば、数十億年も前のこととなる。むしろ著者は彼なりに、ある時間の観念をもっていて、 その時間の「はじめ」と言っているのではなかろうか。こう考えるほうが妥当性がある。 この彼の時間と我々のそれとは同じではない。そうするとその著者のもつ時間の観念を調べてからでないと、 その「初めに」の本来の意味を把握できないということになる。彼の書き残したものから、 彼はアダムが死んだのが天地創造後930年目(創5の5)、 その後の先祖たちの寿命を計算してノアの洪水が起ったのが天地創造後1656年目、 アブラハムの誕生が1949年目、出エジプトが2666年目と考えていたことがわかる18。 またこの2666年目をおよそ四千の三分の二として彼は天地創造後四千年頃に生きていると思っていたのではないかとも言われる。 この時間のくわしいことは議論の余地があるが、彼が「初めに」と言ったとき、 我々の考える時間を考えてそう言ったのではないことだけは確かである。 従って、彼の著作に現代の自然科学が明らかにするこの宇宙と地球の歴史を読み込むのは、 いかに的はずれなことかがわかる。彼の考える時間は、当時のユダヤ人の祭儀の暦とも深い関係があり、 従って祭儀によって原初のことが現在化される時間でもあるようである。 従って、聖書の天地創造で言われていることは過去の出来事であるだけでなく、 現在もくりかえされる出来事と考えられているようである19。 それでは「創造された」という言葉は何を意味しているであろうか。キリスト教では創造というと、 無よりの創造ということであり、一般的にこの意味で受けとめられている20。 創1の1を読むときにも、その意味で取る。しかし、祭司文書史家がここで「創造された」、 ヘブライ語で{バラー}と書いたとき、はたして無よりの創造を考えて、こう書いたのであろうか21。 彼がこの用語にどのような意味内容を込めていたかを、彼の考えに従って確かめる必要がある。 ところで彼が創1の3ー2の4aで書くところを見ればそれがわかる。 そうすると、創1の1の「創造する」は、混沌と暗闇の状態を光輝き調和がとれ、 生命に満ちた世界に造り上げる行為の意味で用いられていることがわかる。 「創造」とは混沌から秩序を構築する行為と言えよう。これが、これからの考察の展開に基礎となるのであるが、 はじめから無よりの創造の意味で「創造する」を理解してしまえば、もうそこでつまずいてしまって、 考察は終わり、深い意味を捉らえきれない。 また、創1の2の「混沌」とはどういう意味だろうか。 ヘブライ語はトフワボフ、これをギリシャ語七十人訳は「見えず、形なく」22と、 ヒエロニスムは「空しく空っぽで」23と訳し、その後の西欧における翻訳聖書に大きな影響を及ぼした。 だが、祭司文書史家は何を考えて、トフワボフと書いたのであろうか。彼がそのあと書くところから見れば、 この表現の意味は、大空も陸も海もなく、それぞれの植物も、生き物もない状態で、 すべてがそれぞれの形を現す前のことだということになりはしないか。 つまり、今説明した意味の創造の行為が行われる前の無秩序な状態を表しているのではなかろうか。 聖書はギリシャ、ローマ、西欧と色々な文化圏を経て我々に伝わり、そのそれぞれの文化圏で解釈されて訳されてきた。 しかし、いつも出発点になるのはその第一の著者の与えた意味なのである。そこに立ち帰ってその意味を見直し、 新共同訳はトフワボフを「混沌」と訳している。この訳語にも、東洋の文化圏の意味あいが必然的に込められているが、 ギリシャ語訳やラテン語訳より著者の考えに近いように思われる。 以上のように現代の聖書学は聖書本文の著者の思考世界に立ち帰って、 その著作意図を把握することから聖書の言わんとすることを理解しようとする。 その手がかりは色々あり、それが現代飛躍的に増えたと言える。 しかし、その手がかりの基本はいつも著者の書き残した本文であり、その分析から始まる。 これまで、その著者による各語の意味を2、3吟味したが、文単位、節単位と吟味を広げる必要もある。 創1の1ー2の4a全体も分析して見れば、必ずしもその書き方(様式)は歴史的な時間の順序に従うものではない。 たしかに1日目、2日目というように時間の順序に従うかに見える構造もあるが、 それはあくまで文学的構造というべきものである24。また構造はそれだけではなく、 1日目と4日目と7日目は時間を刻む基礎となるものの設置について、 2日目、3日目、5日目、6日目は生命に満ちる空間の設置について述べるという構造でもって書かれている。 つまり創1の1ー2の4aの文学的構造は重構造になっている25。それがまた実によく出来ていて、 機械的ではなく秩序を構築するとはどういうことかを表現するにはまことにふさわしい文学として傑作となっている。 そういうわけでここに自然科学と同じような地球の誕生とその生命体の歴史を読みとろうとすることは、馬鹿げたことの一言に尽きる。 (ニ)著者の意図とその現代的意義 今まで述べてきたことを前提として、はじめて著者の意図がどこにあったかを追求することができる。 「はじめに神は天地を創造された」と書き始め、混沌と暗闇の状態があったが、神の霊はその上にあり、 力強い言葉と、行為によって調和ある世界をお造りになったと言うことによって、 著者は何を言おうとしているのであろうか。考えてみれば、この著者が語りかけているのは、 国家組織を奪われ、宗教制度も失い、社会的にも精神的にもめちゃくちゃになり、 絶望のどん底にあえぐ捕囚期後のユダヤ社会ではなかったか。 そうすると混沌と暗闇という表現でそのユダヤ人の社会的・精神的状態を暗示しているのではなかろうか。 こうして著者は天地創造を書きながら、その人々に神は決して彼らを離れ去ってはおられないと言って、 神への信頼を呼びさまし、その神は秩序を整え、 またもやすばらしい世界を築こうとしておられるのだと希望を与えようとしているのではなかろうか。 著者自身絶望のどん底にあったが、イスラエルの歴史をふりかえって神のみが御自分の言葉を裏切らず、 御自分の民をくりかえし顧みてくださったという事実を確認し、 これに裏付けられて神への確固たる信仰をもったのであろう。この信仰に基づいて明るい未来への展望が心に開け、 同胞に希望と励ましを与えざるを得ない気持ちになり、天地創造を書いたのではなかったか。 その確信に満ちた彼の言葉は、現代の我々の心にも響き、感動を与える。 その際、古代人にとって物質界と精神界は別々のものではなく、同一のものであったことも忘れてはならない。 この目に見える世界の秩序と人間のモラルの秩序は一つのものと考えられていたということである。 そうすると、著者はこの天地創造を書きながら、 神が混沌と暗闇を秩序ある美しい世界に造りあげられると言いつつ同時に破壊されたモラルの秩序も 構築してくださるのだということも告げていることになる。聖書の天地創造には多くのメッセージが込められているが、 ここに著者の言わんとすることの主眼があるように思われる。 聖書の天地創造の現代的意義もそこから汲みとるべきであろう。 混迷と絶望、モラルの秩序の崩壊に現代も多くの人が苦しんでいる。 この苦しみからの救いを自然科学に求めても得られまい。自然科学はむしろ混迷と絶望を増し、 秩序の破壊にまわることすらある。 聖書の天地創造の澄んだ、力強い言葉が現代も必要なわけはここにある。 註
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