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木にかける刑 (申命記21・22〜23)
NHK学園『聖書の学び』誌 2000年夏号から
和田 幹男



 申命記の法令集(申12〜26)の中に、犯罪者を木かけて死刑にする規定がある。
「ある人が死刑にあたる罪を犯して処刑され、 あなたがその人を木にかけるならば、 死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、 必ずその日のうちに埋めねばならない。 木にかけられた死体は、 神に呪われたものだからである。 あなたは、 あなたの神、 主が嗣業として与えられる土地を汚してはならない」(申21・22〜23)。
この新共同訳の文中、 「木にかけられた死体」は、 ヘブライ語本文では単に「かけられたもの」であり、 ギリシア語七十人訳聖書では「木に」を加えて「木にかけらた者はすべて」となっている。 これがガラテヤ書3・13でイエスの死をいうものとして引用される。 どうして新共同訳で「木にかけられた死体」となっているのだろうか。

 古代イスラエルには犯罪者を死刑にする習慣があった。 人を殺したり、 神を冒涜したり、 両親を辱めたり、 家庭生活を破壊したり、 人身を強奪したりする行為に対して、 死刑をもって答えた。 その執行は、 剣や槍など武器によることもあれば、 石殺しや、 火あぶりにすること、 また首を絞めることもあった。 他方、 木にかける刑があったかどうか、 またあったとしても、 死刑囚を生きたままそうしたのか、 その死後遺体をそうしたのか、 明らかではなかった。
確かに、 古代オリエント諸国には犯罪者を木にかけて処刑する習慣があった(創40・22、エステル2・23、哀5・12参照)。 また、 戦争のときに、 イスラエル人が敵を木に吊したこともあったが、 それは殺したあと見せしめとしてそうしたのだった(ヨシュ8・29、10・26〜27)。
申命記21・22〜23 は、 死刑囚を木にかける刑があったことを示しているが、 それは処刑の前のことか、 後のことか。 イエスが磔にされたのが、 ユダヤの習慣ではなく、 ローマの習慣によるのだったと広く思われてきたので、 申命記でも木にかけられたのは死体にちがいないということで、 「木にかけられた死体」と訳されたのであろう。

 申命記21・22〜23 は、 元来何を意味していたか、 その法解釈を示すものが、 死海文書の中にある。
それは、 長さ8.75メートルもある最大の死海写本『神殿の巻物』の中にある。 この巻物は、 死海文書の獲得にあたり、 発見者である遊牧民と研究者との仲介人となったベツレヘムの商人カンドーが隠し持っていたところ、 1967年、 六日戦争のとき、 イスラエル軍の将軍兼考古学者であるY・ヤディン教授が押収したものである。 そういうわけで、 クムランのどの洞窟にあったのか明らかではない。 これが第11洞窟だろうということで、 11Qの略号が付けられる。 同教授はこの文書を解読して、 1977年に現代ヘブライ語で公表した。 これは1983年に英語に翻訳され、 訂正と補足を加えて出版された。 これが規範版となって、 各国語に翻訳されている (日本語訳は、 高橋正男著『死海文書』甦る古代ユダヤ教、講談社、1999年、235〜268頁参照)。
伝存するその巻物は66欄からなり、 その各欄にもそれぞれ大小の欠損があり、 本来のものからはほど遠い。 内容は、 神殿建造にあたり祭壇をはじめその各部をいかに造るかを指示し、 そこで行われる祝祭日とその日にささげられる捧げ物、 神殿の境内の構造と、 またその神殿がある都について述べてから、 清浄規定など種々の法規をいかに実践すべきかを指摘する。 この法解釈はハラハーと言われるもので、 律法(モーセ五書)にある法規を新しい時代と状況のもとでいかに守るかを明らかにする。
ヤディン教授は、 本書を新しい神殿の構想を描くものとして『神殿の巻物』と命名した。 他方、 本書は新しい律法の構想ではないかということで、 『第十一洞窟出土の律法(トーラ)』と言うべきだとする説もある。 その筆跡から、 筆写の時期は紀元前1世紀後半から西暦1世紀の前半ではないかということを中心に議論されている。 この巻物の作成の時期は、 この筆写の時期より遡るのは勿論である。
それでは、 その申命記のハラハーを見ることにしよう(11Q第64欄の7〜13行)。


「 (7) もし自分の民に反する情報を流し、 自分の民を外国の異邦人に引き渡し、 自分の民に対して悪を行う者がいれば、 (8) あなたは彼を木にかけ、 彼は死ななければならない。 2人の証人の証言によって、 3人の証人の証言によって (9) 彼は死ななければならず、 彼らは彼を木にかけなければならない。
[空白]
 もしある人に死に裁かれる罪があり、 (10) 異邦人の中に逃げ込み、 自分の民、 [すなわち] イスラエルの子らを呪うなら、 あなたは彼も木につけなければならず、 (11) 彼は死ななければならない。
 彼らの遺体は夜を過ごしてはならず、 あなたはその日のうちにそれらを埋めなければならない。 なぜなら (12) 木につけられた者は神と人々によって呪われたものだからである。 あなたは、 わたしが (13) 嗣業としてあなたに与えた土地を汚してはならない。」


ここでは、 申命記21・22に手を加えて引用し、 「あなたは彼を木にかけ、彼は死ななければならない」とあるように、 明らかに犯罪者を生きたまま木にかけて死刑にすることが言われると共に、 この刑が執行されるのは、 次の二つの場合であると限定される。 その一つは、 「自分の民に反する情報を流し」(レビ19・16参照)、 つまり敵国のスパイになり、 「自分の民を外国の異邦人に引き渡し」、 つまり自分の民を裏切り、 それに「自分の民に対して悪を行う者」の場合である。 この場合、 二人または三人の証人を必要とし(申17・6参照)、 この彼らがその死刑の執行者となることが示唆される(申17・7参照)。
もう一つは、 死刑の判決を受けたが、 異邦人の中に逃げ、 自分の民を呪った者の場合である。 その「彼も」同じ刑を受けると言われる。 死刑の判決を受けた者が異邦人のもとに逃げるということ、 その犯人を異邦人から引き渡してもらうということは、 実際にはほとんど考えられないので、 「異邦人の中に逃げ込み」は偶像崇拝者になるということであろう。 死刑の判決を受けた者が神への信仰を失い、 「自分の民、すなはちイスラエルの子らを呪う」場合が考えられているのであろう。

 この二つの場合、 生きたまま木につけて死刑にするが、 その遺体について、 「その日のうちに」埋葬しなければならないと言われる。 その理由として「なぜなら・・・」と続く文の中で、 まず「木にかけられた者」とあって、 ヘブライ語本文ではなく、 ギリシア語七十人訳の本文を支持している。
つぎに申命記では「神によって呪われたもの」とあるところを、 「神と人々によって呪われたもの」、 つまり神のみならず、 人間によっても呪われたものとされている。 これは「自分の民、すなわちイスラエルの子らを呪った」ことの報復として書かれたのであろうか。
以上が『神殿の巻物』による申命記の解釈で、 死刑囚を生きたまま木にかける習慣が当時のイスラエルに実在したことを実証している。
それゆえ、 はじめに指摘したように「木にかけられた死体」と訳すのは根拠がないことになる。 「かけられた者(人物)」と訳すべきであろう。

 また、 この『神殿の巻物』の写しが断片であるが、 第4洞窟で見つかっている。 その断片(4Q524)は第11洞窟出土の本書より百年ほど古く、 紀元前2世紀後半に筆写されたものである。 その断片はきわめて小さいものだが、 本書第64欄の7〜10行の一部の文字が読み取れる。 他方、11行以下の「彼らの遺体は・・・」の文はない。
この断片の意味は、 きわめて大きい。
死海文書はエルサレム神殿と決別して死海周辺に移り住んだユダヤ教徒の所有していたものだが、 その古い断片は彼らが決別する以前にエルサレム神殿にあった法解釈を証しているからである。 それは紀元前2世紀後半にユダヤ教がファリサイ派やサドカイ派、 エッセネ派などと分かれる以前に共通してあった法解釈でもある。
確かに、 ファリサイ派系統のラビ文書の中には木にかけるのを、 死刑執行後とするものが幾つかある。 「もしだれかが死刑の宣告を受けると、石殺しにして、そのあと木にかける」(パレスチナのタルグム)と。 しかし、 これは時代が下がってからのラビたちの観点を示しているようである。
他方、 古タルグムのネオフィティは民数記25・4を「死罪に価するものがいれば誰でも、 彼ら(最高法院に集まった民の長たち)は木につけて、 日が沈むときにはその遺体を埋めなければならない」とある。

 生きたまま木にかけて死刑することが法的に認められる場合があったということだけではなく、 実際にそれが実行されたという歴史的事実もある。
ユダヤの歴史家ヨセフスの『ユダヤ古代誌』第13巻380〜382によると、 紀元前88年頃にユダヤ王アレキサンドロス・ヤンナイオスは、 アンティオキアの王デメトリオス三世エウカイロスに助けを求めたファリサイ派800名を木にかけて殺したが、 死海文書の所有者はナホム書を解釈しながら、 その事実に触れるだけでなく、 それが合法的であったと見ている(第4洞窟出土ナホム書注解断片3〜4の1の6〜8行)。 そのほかにも木にかけて処刑した事実がある。
紀元前75年、 ファリサイ派寄り賢人シェタの子シモンがアシュケロンで80名の魔女、 つまりサドカイ派祭司たちに対して(ミシュナの『サンヘドリン』6・4、ヨセフスの『ユダヤ戦記』第1巻113ほか)、 またすでに紀元前162年に大祭司アルキモスが60名の敬虔なユダヤ人に対して(一マカ7・16)行っている。 それに、 およそヘロデ大王時代の、 釘あとのある人骨も、 エルサレム近くで見つかっている。 したがって、 木にかけると言っても、 釘で磔にする死刑があったことが実証されている。

 これまで述べてきたことは、 イエスの裁判と処刑を伝える福音書の記述を理解するために、 無関係ではない。 まず『神殿の巻物』はエルサレム神殿の祭司階級およびサドカイ派の習慣を伝えていて、 これまで知られていたラビ文書よりもイエスの裁判と処刑を理解するために参考になる。
イエスが生きたまま木に磔にされたのは、 ローマではなく、 ユダヤの習慣にしたがって、 申命記の当時の解釈に則って行われたと言えよう。 詳しい検討は別の機会に行うが、 イエスは証人を立てられ、 自分の民を裏切った者、 また神を冒涜した者として磔の宣告を受けたと理解される。 ピラトの最終的承認を得る前に、 裁判を行う権限がユダヤの最高法院にあり、 最高法院としては合法的に判決を下したのであろう。 それによりイエスは、 十字の形に磔にされかどうかは別にして、 釘で木に打ち付けられたことはほぼ確かである。 バライタというユダヤ教文書によると、 西暦70年にエルサレムがローマ軍に陥落する40年前、 最高法院は死刑囚を生きたまま木にかけることを取りやめたという。 あまりにも残酷だったからである。 それは、 丁度イエス処刑の時期にあたるので、 これがきっかけで取りやめたのであろうか。
また、 最高法院がイエスの裁判を進め、 死刑と磔刑を要求したことを伝えるユダヤ教文書のタルムードが見つかったという報道がある。 長年、 ユダヤ教徒はキリスト教徒から「神殺し」という非難を受けないため、 そのような文書を隠したり、 破棄したりしたであろうから、 それが見つかるのはきわめて稀なだけに、 その報道は注目に価する。



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