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序 第1ヴァティカン公会議(第20回公会議)は、教皇ピオ9世により召集され、 1869年12月8日−1870年10月20日に開催された。 これは戦争勃発のため中断された。この公会議は未完成のままであるので、 その後、歴代の教皇はこれを補完する必要があることを自覚し、 ピオ11世(1922−1939)も、ピオ12世(1939−1958)もその再開の準備をしようとした。 ヨハネ23世(1958−1963)もその心を継承すると共に、 急激に変動する世界の中で教会がいかなる態勢をとれば、 その使命をはたすことができるのかを全世界の司教たちと共に考える必要性にも迫られ、 第2ヴァティカン公会議(第21回公会議)を召集した。 それは1962−1965年に開催された。 こうして同教皇は、教会のありかた、考えかたを根本から見直そうとした。 したがって、これは教義または倫理上の特定の問題を解決するために開かれた過去の公会議とは異なる。 これは教会の命そのものの活性化という司牧宣教上の目標を目指した公会議であった。 具体的に言えば、キリスト教の生命活動を深めること、 教会組織を時代の現実に即応したものにすること、 キリスト教徒の一致を促進すること、 教会の宣教熱意を強化することを目指した公会議であった(AAS,51,1959,497-531)。 今日なおいっそう激しく変動する世界にあって、この公会議が残した影響は計り知れない。 振り返ると、この公会議は20世紀の教会の歴史にとって最も意義深い出来事であった。 宣教司牧的な公会議であったとはいえ、教会の教えも根底から見直されたゆえに、 教義の再確認と明確化、新しい視点と洞察に欠けるものではけっしてなかった。 特に教会論と聖書論にそれが認められる。 それにその教会論と聖書論をはじめ同公会議が公布した全文書の根底には、 新たに幅広くダイナミックに深められたキリスト論が前提となっている。 ただし、この第2ヴァティカン公会議の根底にあるキリスト論を浮き彫りにすることは、 まだほとんどだれも手がけていない。 これを最終目標に、 今日のカトリック教会における聖書学にとって新たな出発点となった同公会議の聖書論をまず正確に確かめておきたいと思う。 ここでは第2ヴァティカン公会議について一般的なことを確認する。 主な参考文献 公会議決議文書の規範版、日本語訳、準備段階および公会議中の発言
公会議決議文書の語句事典
公会議中に公会議教父および公会議神学者によって著された公会議情報
公会議決議文書の解説シリーズ(ほかに各文書の解説書がある)
第2ヴァティカン公会議を振り返って考察したもの
第2ヴァティカン公会議の歴史
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A)第2ヴァティカン公会議の議事進行
a)準備期間(1959−1962) |
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b)公会議の総会(1962−1965) |
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公会議は1962年から1965年まで4年間、毎年秋に1会期を約10週間として行われた。 第1会期はヨハネ23世のもとで、第2会期以降はパウロ6世のもとで行われた。 全世界の司教がおよそ2300名、それに参加した。彼らは公会議教父と言われる。 それに神学など各分野の専門家がこの会議を支援するため、召集された。 場所はヴァティカンの聖ペトロ大聖堂で、総会の議長は12名の枢機卿会に委託された。 発言はラテン語で行われた。総会は午前中に行われ、それを受けて作業する複数の委員会が設けられ、 その会合は午後ないし総会の合間に行われた。すべての議事進行を調整したのは秘書局で、 その長官をつとめたのはフェリチ枢機卿(P.Felici)であった。第1会期の後、 4名の枢機卿が公会議の議事進行の総指揮者として任命された。 それはアガジャニアン枢機卿(G.P.Agagianian)、レルカーロ枢機卿(G.Lercaro)、 デフナー枢機卿(I.Dopfner)、スーネンス枢機卿(I.L.Suenens)。 1962年10月11日−12月 8日 第1会期 第1会期で討議されたのは聖なる典礼に関する議案(10月22日−11月13日)、 啓示の源泉に関する議案(11月14日−21日)、公報機関に関する議案(11月23日)、 教会一致に関する議案(11月26−31日)、教会に関する議案(12月7日)であった。 10月11日の開会演説の邦訳は解説叢書VI,328-338頁; 10月20日の公会議教父たちのメッセージの邦訳は、同339-342頁、 12月8日の閉会演説の邦訳は同343-349頁参照。 |
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1963年 9月29日−12月 4日 第2会期 第2会期で討議されたのは、教会に関する教義憲章の議案(9月30日−10月31日)、 司教と司教区統括に関する教令の議案(11月5日−15日)、 エキュメニズムに関する教令の議案(11月18日−12月3日)であった。 12月4日、典礼憲章、広報機関教令が公布された。 9月29日の開会演説の邦訳は解説叢書VI,350-368頁;12月4日の閉会演説の邦訳は同369-378頁参照。 |
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1964年 9月14日−11月21日 第3会期 第3会期で討議されたのは、教会に関する教義憲章と司教の司牧任務に関する教令の議案(9月15日−22日)、 信教の自由に関する宣言とユダヤ教徒に関する教令の議案(9月23日−30日)、 神の啓示に関する教義憲章の議案(10月1日−7日)、信徒使徒職教令、司祭の役務教令、 東方カトリック諸教会教令の議案(10月7日−19日)、現代世界憲章の議案(10月20日−11月10日)、 宣教活動教令(11月6日−9日)、修道生活教令、司祭養成教令、キリスト教教育宣言(11月10日−17日)、 婚姻の秘跡に関する教令(11月19日−20日)の議案であった。 11月21日、教会憲章、エキュメニズム教令、東方カトリック諸教会教令の公布。 9月14日の開会演説の邦訳は解説叢書VI,379-391頁;11月21日の閉会演説の邦訳は同392-404頁参照。 1964年12月2日−5日 パウロ6世、インドのボンベイにおける国際聖体大会参加 1965年 9月14日−12月8日 第4会期 まず9月15日に教皇は自発令『アポストリカ・ソリチトゥード』 (Motu proprio Apostolica Sollicitude)をもって司教シノドスを設置した。 第4会期で討議されたのは、まず信教の自由に関する宣言の議案 (9月15日−21日)と現代世界憲章の議案(9月21日−10月8日)で、 この間の10月4日−5日に教皇はニュ−ヨークの国連本部を訪問。 つづいて宣教活動教令の改定案(10月8日−13日)、司祭の役務教令の改定案 (10月14日−16日、25日ー26日)であった。 10月28日、第7総会において5つの公会議文書が公布された。 それは司教司牧教令、司祭養成教令、修道生活教令、キリスト教教育宣言、諸宗教宣言である。 11月18日、第8総会において、啓示憲章、信徒使徒職教令が公布された。 12月7日、第9総会において、コンスタンチノポリス総大主教アテナゴラスとの共同宣言が発表され、 また4つの公会議文書が公布された。それは現代世界憲章、司祭の役務教令、宣教活動教令、信教の自由宣言である。 12月 8日、第10総会をもって閉会した。 9月14日の開会演説の邦訳は解説叢書VI,405-415頁;10月4日の国連における演説の翻訳は同416-426頁; 10月28日の演説の翻訳は同427-431頁;11月18日の演説の翻訳は同432-439頁、 12月7日の演説の邦訳は同440-448頁、12月8日の閉会演説の翻訳は同449-452頁、 現代人に対する公会議教父たちのメッセージの翻訳は同453-464頁参照。 |
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B)第2ヴァティカン公会議が発表した公文書
a)第2ヴァティカン公会議文書の総数、種類 |
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第2ヴァティカン公会議が公表した文書は16を数える。
その中で憲章(constitutio)と言われる文書が4つある。
これは最も重要で基礎的なものである。それに教令(Decretum)と言われる文書が9ある。
これは憲章と関連がある幾つかの主題をさらに深く検討したものである。
それに宣言(Declaratio)と言われるものが3つある。これも重要な主題を扱うが、
第2ヴァティカン公会議の目標からみて宣言にとどめられた。 ・憲章(Constitutio) |
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・教令(Decretum) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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・宣言(Declaratio) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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b)第2ヴァティカン公会議文書間の関連 |
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第2ヴァティカン公会議で、教会は現代の世界の中で何を、 いかに行動すべきかを総合的に見直して、それに適応した体制をとろうとした。 その現代化にこそ、その目標があった。当時よく用いられたアッジョルナメント (aggiornamento)という言葉がそれを的確に表現している。この現代化は、 その後も常に行われなければならないもので、同公会議は教会をこの現代化の動きの中に送り込んだのだった。 当時よく言われたもうひとつの言葉、「教会はたえず改革されなければならない」 (Ecclesia semper reformanda)が、このことをまた的確に表現している。 実際に、これは現在のわれわれの耳にも新鮮に響くではないか。 同公会議は、そのためにまず教会とは何なのか、その本質をその源泉に戻って問うた。 その源泉とは教会の創始者イエス・キリストであり、その心にあったものを証しする聖書である。 このように教会が自己を見直して、まとめたのが教会憲章である。この教会の内省を前提として、 教会がその外に向かって、現代の世界に何を、いかに行動すべきかをまとめたのが現代世界憲章である。 ここに示された教会の行動原理は世界各地で実行に移されたが、目標としたものからはほど遠い。 それに当時予測できなかった新しい諸問題が世界のいたるところで起こり、 これとの取り組みが新たな課題となっている。遺伝子操作、臓器移植、 人口の移動と諸民族、諸宗教の共存、兵器と通信手段の革新、 いわゆるグローバル化に伴う経済的、社会的悪弊、それに環境破壊と問題は多様化し、深刻化している。 同公会議は、教会の自己反省と行動のすべてが聖書に基づいているので、あらためてその聖書とは何なのかを問うた。 その聖書は広く神の啓示の中に位置づけられるので、この啓示とは何なのかをあらためて問い直し、 こうしてまとめられたのが啓示憲章である。教会がその本質を最も明らかに表し、 その命の源泉になっているのが典礼であるから、その典礼をいかに現代人に適応し、 効果的にその恵に与らせようとして検討し、まとめられたのが典礼憲章憲章である。 この4つの憲章は相互に深く関連しあっている。 特に教会憲章を基礎として、司教、司祭、神学生、修道者、 信徒の役務と生活についてそれぞれに教令がまとめられた。 それが司教の役務教令、司祭の役務教令、司祭養成教令、修道生活教令、信徒使徒職教令である。 教会に属するすべての者がかかわらなければならない宣教活動についても教令がまとめられた(宣教活動教令)。 これらはすべてラテン典礼のカトリック教会に関わるものである。 他方、ローマの教皇と交わりを守りながら、 ラテン典礼以外の東方の諸典礼を保持しているカトリック諸教会についても、 別に教令がまとめられた(東方教会教令)。 さらにローマの教皇との交わりが断たれたままになっているキリスト教の諸教会との関係について (エキュメニズム教令)、またキリスト教以外の諸宗教とカトリック教会との関係について (諸宗教宣言)も討議され、まとめられた。それに信教の自由についても宣言が公表された。(信教の自由宣言) 現代その重要性が増す主題として、広報機関と教育機関に宛てた教令ないし宣言が作成された(広報機関教令、キリスト教教育宣言)。 |