もどる
『神の啓示に関する教義憲章』概説
和田 幹男 


啓示憲章の目次
主な参考文献
『神の啓示に関するの教義憲章』作成の経緯
序言(第1項)解説

 神の啓示に関するの教義憲章』の原題はラテン語で、Constitutio Dogmatica de Divina Revelationeという。 これは略して啓示憲章とする。またこれは「神の言葉」(Dei Verbum)で始まるので、 そのラテン語の『デイ・ヴェルブム』、またはその頭文字を取って、DVと略することもある。 啓示憲章は、第2ヴァティカン公会議(1962−1965年)が公表した文書の中で最も重要な4つの憲章の一つである。 その中でも、この憲章はほかのすべての憲章、教令、宣言の基礎になるものと言える。 神の言葉こそ、公会議のあらゆる発想の基礎となるべきものだからである。 その重要性のため、またこの公会議が目標とした問題解決のため、 この憲章は原案の段階でかなり激しい論争を呼び起こしたが、長い審議を経て成熟し、完成された。
 本憲章は序言のあと、6章に分けられ、26項からなる。 

啓示憲章の目次
序言 (第1項)
第1章 神の啓示そのものについて(第2−6項)
神の啓示とは何か、啓示が目指すのは何か、啓示の方法(第2項)
キリストによる啓示のための準備:自然による啓示とイスラエルの歴史による啓示(第3項)
啓示の完成としてのキリスト(第4項)
神の啓示に対する人間の応答としての信仰(第5項)
啓示が明らかにする真理について(第6項)
第2章 神の啓示の伝達について(第7−10項)
キリストにおいて完成した啓示の伝達を担うもの(第7項)
聖なる伝承の本質(第8項)
聖なる伝承に中で聖書とは何なのか(第9項)
伝承と聖書の相互関係および教会に対する両者の関係(第10項)
第3章 聖書霊感と聖書解釈について(第11−13項)
聖書霊感とは何か、その結果としての聖書の真理性(第11項)
いかに聖書は解釈すべきか、その原則、全聖書の統一性(第12項)
神の「へり下り」(第13項)
第4章 旧約聖書について(第14−16項)
イスラエルの歴史による啓示と旧約聖書(第14項)
キリスト教徒にとっての旧約聖書の意義、旧約聖書の不完全性(第15項)
旧約聖書と新約聖書の相互関係(第16項)
第5章 新約聖書について(第17−20項)
新約聖書の優越性(第17項)
福音書の優越性と使徒的起源(第18項)
福音書の歴史性(第19項)
福音書以外の新約書の重要性(第20項)
第6章 教会の命における聖書(第21−26項)
教会にとって聖書は何か(第21項)
聖書の翻訳(第22項)
聖書釈義家の任務(第23項)
神学における聖書の重要性(第24項)
聖書を読むべきこと、またいかに読むべきかについての勧告(第25項)
結び (第26項)

主な参考文献


基礎資料
 Francisco Gil Hellin, Dei Verbum, Constitutio Dogmatica de Divina Revelatione, Concilii Vaticani II Synopsis in ordinem redigens schemata cum relationibus necnon patrum orationes atque animadversiones, città del Vaticano, 1993

解説書 邦語文献 
1 英知大学編集『神の啓示』啓示教義憲章解説と聖書の学的研究、声社、昭和41(1966)年:執筆者は田口芳五郎司教、佐々木鉄治、 里脇浅次郎司教、A・メルシェ、林篤、田中道雄、渋谷治
2 第二バチカン公会議『啓示憲章』、カトリック中央協議会、南窓社、昭和41(1966)年: 執筆者上智大学神学部による序説、里脇浅次郎司教による翻訳)
3 「神の啓示に関する教義憲章解説」、南山大学監修『世界に呼びかける教会』、 公会議解説叢書2、259−535頁、昭和43年(1968)、 (執筆者はH・クルーゼ、三好迪、濱寛五郎)
4 和田幹男『私たちにとって聖書とは何なのか』−現代カトリック聖書霊感論序説−、 女子パウロ会、1986年:内容は啓示憲章第1、第2章及び第3章第11項の解説。

欧文文献
1 O.Semmerlroth, M.Zerwick, Vaticanum II über das Wort Gottes, Die Konstitution "Dei Verbum", Einführung und Kommentar, Text und übesetzung, Stuttgart, 1966
2 La Costituzione Dogmatica sulla Divina rivelazione, ed.by G.Favale, Torino-Leumann, 1966(U.Betti, P.Dacquino, E.Galbiati, A.M.Javierre, C.M.Martini, A.Penna): 本憲章作成の経緯(U.Betti)、 草案の並置とイタリア語訳、解説:概説と第1章(A.M.Javierre)、 第2章(U.Betti)、第3章(P.Dacquino)、第4章(A.Penna)、第5章(E.Galbiati)、第6章(C.M.Martini)
3 Lexikon für Theologie und Kirche, Das zweite Vatikanische Konzil, Dokumente und Kommentare, II, Freiburg Basel Wien, 1967, pp.497-583(J.Ratzinger, A.Grillmeier, B.Rigaux)
4 La Revelation Divine, sous la direction de B.-D.Dupuy, Tome.I.II, Unam Sanctam 70a, b, Paris 1968:Tome I :啓示憲章の羅仏対訳、憲章の作成過程(B.-D.Dupuy)、 キリスト教一致事務局の貢献(J.Feiner)、解説第1章(H.de Lubac)、第2章(Ch.Moeller);  Tome II :第3章(P.Grelot) 、第4章(L.A.Schökel)、第5章(X.Leon-Dufour)、 第6章(A.Grillmeier)、同憲章のエキュメニカルの意味(複数の著者)、参考資料。
5 L.Alonso-Schökel et al., Concilio Vaticano II Commentarios a la constitución Dei Verbum sobre la divina revelación, Madrid, 1969
6 DEI VERBUM, Genesi della Costituzione sulla Divina Rivelazione, Schemi annotati in sinossi, a Cura di L.Pacomio, Roma(Marietti), 1971
7 Vatican II Bilan et Perspectives, vingt-cinq ans après(1963-1987), sous la direction de R.Latourelle, Montreal Paris, 1988, t.1, 139-388
8 La palabra de Dios en la Historia de los hombres, Comentario Tematico a la Constitución "Dei Verbum" del Vaticano II sobre la Divina Revelación, Edición de los XXV años de la promulgación(1965-1990), Bilbao, 1991
9 La "Dei Verbum" trent'anni dopo, Miscellanea in onore di Padre Umberto Betti o.f.m., a cura di N.Ciola, Lateranum, Anno LXI, n.2-3, Roma, 1995

『神の啓示に関するの教義憲章』作成の経緯


 1961年:  神学委員会による『啓示の諸源泉に関する憲章草案』(De Fontibus Revelationibus)作成
 1962年7月: 『啓示の諸源泉に関する憲章草案』(De Fontibus Revelationibus)、公会議教父たちに発送。

 1962年11月14日ー21日:  第2ヴァティカン公会議第1会期第19−24総会において 『啓示の諸源泉に関する憲章草案』(De Fontibus Revelationibus)の議案総体と第1章について討議。 賛成1368、不賛成822、無効19。この草案はきわめて不評であった。そこで新しく草案が作成されることとなった。

 1963年2月25日:  新しい議案が作成される。

 1963年5月24日: 『神の啓示に関する教義憲章草案』(T)が公会議教父たちに発送される。

 1963年9月29日−12月4日に第2会期が開かれたが、 『啓示に関する教義憲章草案』は討議されなかった。 しかし、多くの公会議教父たちはこの草案について書面で意見を提出し、それは1964年1月31日まで続いた。

 1964年7月14日、公会議教父たちに『神の啓示に関する憲章草案』(U)が送られる。

 1964年9月30日―10月6日:  第2ヴァティカン公会議第3会期第91−95総会において 『神の啓示に関する憲章草案』について討議された。

 1964年11月20日: 『神の啓示に関する教義憲章草案』 (V)が公会議教父が投票するに相応しいものとして配布された。 しかし、時間切れで投票は第4会期にもち越された。

 1965年9月20日: 第2ヴァティカン公会議第4会期の第131総会において、 『神の啓示に関する教義憲章草案』が公会議教父たちの投票にかけられた。
序と第1章: 2079票中 賛成1822、 不賛成3、 修正により賛成248、 無効6
第2章: 2246、 1874、 9、 354、 9、
第3章: 2109、 1777、 6、 324、 2、
第4章: 2233、 2183、 47、 3、
第5章: 2170、 1850、 313、 3、
第6章: 2132、 1915、 1、 212、 4、

 1965年10月20/22日:公会議教父たちが提案し、教理委員会が検討した訂正のrelationesを提出。

 1965年10月25日:公会議教父たちが提案し、教理委員会が検討した訂正案と公式のrelationesの冊子の配布。

 1965年11月13日:第160総会において、『神の啓示に関する教義憲章』の最終案(W)が配布された。

 1965年11月18日:『神の啓示に関する教義憲章』は、総会において公会議教父による投票にかけられ、 その結果は投票総数2350名、賛成2344、不賛成6であった。こうして同憲章はその日教皇により公認され、公布された。

N.B.
 1961年に配布された『啓示の諸源泉に関する憲章草案』から、 1963年に作り直された『神の啓示に関する教義憲章草案』(T)、 さらにそれをつぎつぎと改良した1964年の『神の啓示に関する憲章草案』(U)、 1965年の『神の啓示に関する教義憲章草案』(V)、 『神の啓示に関する教義憲章』の最終案(W)と順に見ていけば、 公会議中公会議教父たちがいかに考えを改めていったかが伺える。 これらの草案を並行して掲載しているものとして、 La Costituzione Dogmatica sulla Divina rivelazione, ed.by G.Favale, Torino-Leumann, 1966;L.Alonso-Schökel et al., Concilio Vaticano II Commentarios a la constitución Dei Verbum sobre la divina revelación, Madrid, 1969, pp.36-99があり、またいっそう徹底した資料として、Francisco Gil Hellin, Dei Verbum, Constitutio Dogmatica de Divina Revelatione, Concilii Vaticani II Synopsis in ordinem redigens schemata cum relationibus necnon patrum orationes atque animadversiones, Città del Vaticano, 1993があり、参考になる。

序言(第1項)解説


 1965年の草案(V)から、啓示憲章は冒頭の「神の言葉」(第1項)で始まり、 結びの「神の言葉」(第26項)で終わる。それゆえ、この神の言葉が本憲章全体を貫く主題である。 神の言葉が主題であるが、人間の言葉の理解を前提とし、これとの類比で神の言葉の瞑想に入っていく。 高い次元の高尚なことがらを瞑想する場合、人間は五官に触れる身近なものから確かな知を求めて考察を始めるしかないからである。
 「言葉」は人間にとってその存在の核心に触れる。言葉は単なるコトノハではなく、言葉の内容を意味する。 その言葉を発する人間は心にあるものをほかの人間に打ち明ける。 ほかの人間はその言葉を介してこれを発した人間の心を受けとめる。 こうして人間の心と心は通いあうことになる。言葉を考えながら、この心の交わりも考えざるを得なくなるが、 啓示憲章もまさにその「啓示」ということを、心の交わりとして捉える。 啓示を単なる神からの知の伝授ではなく、 神である位格(persona)と人間である人格(Persona)との相互の交りとして捉えるところに、本憲章の最初の重要事項がある。
 人間の言葉は人を生かしもするし、殺しもする。わたしたちは朝起きてから晩寝るまで、 何と多くの言葉を発し、また耳にすることだろう。その中にはまた、何と多くの空しい言葉があることだろう。 隣人を騙し、欲望を秘め、無神経にも人の心を突き刺す言葉が氾濫し、人間相互の不信は募るばかりである。 人を生かす言葉がどれほどあるだろうか。それゆえ、人間の心と心の交わりは傷つき、ときには断絶する。
 そのような人間の言葉のほかに、「神の言葉」がある。それは神がご自分の心の内奥を打ち明けるもので、 これは人間を欺くことはけっしてない。これは厳しいこともあるが、人間を殺してしまうことはけっしてなく、 最終的に人間を生かす。またこれは所詮空しい人間の言葉を信じるに価するものにする根源的な言葉である。 神がいて、その言葉がなければ、人間の言葉は果たして信じることができようか。
 心にあるものを打ち明ける行為に対して、「聴く」という行為が対応する。 この行為も単に音声を耳で受信するだけではなく、その心にあるものを心で受けとめることを意味する。 こうして心と心が通いあうものになるのだが、この行為も人間にとってその存在の核心に触れる。 これは人間にとってあまりにも原初的なものであり、根源的なものである。 人間とは何か。古来哲人はこの問いに答えようと、いろいろと人間を定義してきたが、近代になって、 「言葉を聴く者」としての人間が注目されるようになった。これは確かに的を射ている。 わたしたちは両親や親族の言葉を聴くことから始め、隣人、友人から見知らぬ人、 異国の人の言葉まで聴くようになる。人間の心は広く開かれていて、その志向するところは無限であるかのようである。 かつてアウグスティヌスは神を無限なるものとして、 「あなたの中に憩うまで、わたしの心は安らぎを得ない」と呼びかけたが、 これは人間の心の志向性を見事に表現している。これはまた神の言葉を予想するものでもある。 人間の心の志向性が根源的に無限に向かっているというなら、無限なる神の言葉を「聴く」ことがなければ、 その人生は不完全燃焼で終わるのではないだろうか。この神の言葉を聴くことこそ「信じる」ということなのである。

 その神の言葉はどこにあるのだろうか。それは人間自身とこれを取り巻く世界にある。 この大自然にある。これはその創造主なる神を前提して、被造物とも言われる。 その神はまずこの大自然をとおして人間に語りかけている。 その言葉を聴く者は、すでに信仰者なのである。 本啓示憲章もまずこの被造物による啓示があることを確認している(第3項前半)が、これはまことに当を得ている。 したがって特定の宗教に属さなくても、真の信仰者がいることを認めていると言えよう。 イスラエルの宗教伝承は、さらにその上に神の言葉があるという。 父母が幼い子供に優しい言葉をかけるように、人間に語りかける神の言葉があるという。 彼らはそれを書きとめておいた。これを集めたものが聖書である。 キリスト教の創始者、ナザレのイエスもその聖書に親しみ、そこにある呼びかけに答えて生き、人生をまっとうされた。 こうして死んで復活したイエスの言葉と行い、その教えも書きとめられ、聖書に加えられた。 それはナザレのイエスをとおして神が語られたという信仰を前提としている。 こうして旧約聖書と新約聖書からなるキリスト教の聖書が形成され、受け継がれることになった。 本啓示憲章が「神の言葉」というとき、このように書きとめられた神の言葉を考えていることに疑いの余地はない。
 ユダヤ教を母胎として生まれたキリスト教の信仰によれば、神は天の高みにいて、 預言者などを介して語りかけるだけでなく、最後には神ご自身人間となって語りかけられたという。 この人間となった神の言葉こそ、ナザレのイエスにほかならない。 福音記者ヨハネは、ナザレのイエスについて言う。「御言葉は肉となり、われわれの中に宿った」(ヨハネ1:14)と。 ここで「肉」は人間を意味する。それゆえ、イエスは受肉した神の言葉とも言われる。 「はじめに、ことばがいた」(ヨハネ1:1 岩波書店発行の新約聖書III)とは、まさしく同じ理解に基く名訳だと思う。 啓示憲章が神の言葉というとき、この受肉した神の言葉としてのナザレのイエスを考えていることにも疑いの余地はない。
 そのイエスは死んで復活し、復活者として今も現存しておられる。 その聖書はそのすべてにおいて受肉してわたしたちの中に留まる神の言葉を証しするものであると同時に、 時代を超え、地域を越えて今もたえず語りかけておられる神の言葉そのものでもある。 このように神の言葉が意味するところは、重層的で、奥深い。その最奥に神のはかりしれない心がある。 公会議に参集した司教たちは、まず自分たちもこの神の言葉を「恭しく聴く」という。 こうして「確信したことを公言する」という。このことを啓示憲章はその始めに宣言する。
 神が語りかけて人間に伝えようとなさっているのは、単なる真理ではなく、命そのものである。 これをヨハネの手紙の1節を引用して明示する。

 第1章第2項から第3章第11項までの解説は、拙著『わたしたちとって聖書は何なのか』 ―現代カトリック聖書霊感論序説―、女子パウロ会、1986年に詳しく説明しておいた。ここではその要約を試みる。

もどる