もどる
U 十戒
和田 幹男



 シナイ山といえば、十戒が連想されよう。神が十戒を石の板に書いて、シナイ山でモーセに授けられた話はよく知られている。 実に十戒は、ユダヤ教においても、ユダヤ教から発生したキリスト教においても、その信徒の倫理の基礎としてきわめて重視されてきた。 このようにまたキリスト教徒をとおして、十戒は広く世界中の人々に知られ、その倫理の基礎として大きい影響を及ぼしている。 1948年、国連第3回総会において採択された『世界人権宣言』は、特定の宗教を超えて世界中の人々に、 人間の尊厳と基本的人権を宣言するものだが、その基礎に十戒がある。 アメリカのE・ルーズヴェルト(Eleaor Roosevelt)と共にその草案を執筆したフランスのルネ・カッサン(Rene Cassin)の脳裏にあったのは、 特に第2次世界大戦中言語を絶する残酷さをもって人間の尊厳が踏みにじられたショア(ホロコースト)の体験とあわせて十戒であった。 十戒は歴史上最初の人権宣言と言えよう。ここであらためてその十戒を聖書に基いて、読んでみよう。 ただし、原理主義者のように、聖書の十戒を文字どおり現代に掲げるつもりはない。 それをあくまで歴史的文書としての側面からできるだけ正確に把握し、その真意に迫りたい。 その上で、その真意の現代的意義を読み取るよう努めたい。 (写真は、イタリア、フィレンツェにあるドゥオモ前の洗礼堂東側の「天国の扉」の修復直後の一場面、ギベルティ作、15世紀)
聖書における十戒
 十戒は出エジプト記202−17と申命記56−21に繰り返し書き記されている。 比較すると、幾つか異なるところ(ヴァリエーション、異読という)もあるが、重複記事である。ただし、その文脈は異なる。
 まず出エジプト記の十戒は、すでに見たように、 エジプトを脱出したイスラエルの先祖 (出エ1−1521)が荒れ野の旅をして(1522−1827)、 シナイ山に到着したとき、主なる神が顕現し、 その民と契約を結ばれた(19−2411)という文脈の中で言われる。 その中で十戒は、エジプトの苦役からの解放されたこの民がその解放の恵を与えてくださった神の慈愛と威力ある働きに答える道として、 またその神との新しい関係に生きるために受諾する契約事項として示されている。 しかし、モーセが山に登って2枚の石の板に書かれた十戒を神から受け取っている間に (2412−18:25−3117)、 山の麓にいるイスラエルの民は金の子牛を造って礼拝し(3118 + 321−6)、 十戒の第1戒を破ってしまう。モーセは山を降って、それを見て激しく怒り、石の板を砕いてしまう (327−818−20)。 そのあとモーセはこの不忠実で罪深い民のために必死になって神の憐れみを願い(3232−34)、 主は契約を再確認してくださる(341−10)。 (写真はモーセ像、ミケランジェロ作、ローマ、鎖の聖ペトロ教会蔵、頭に角があるのは、 「光を放つ」:ヘブライ語qaran, エジプト記3429.30.35を、 「角が生える」と翻訳したラテン語ウルガタ訳聖書にしたがって、そこから発想を得たことによる。平井義文氏撮影)
 申命記は、イスラエルの民がシナイ山を発って荒れ野の旅を続け、死海の東にあるモアブの野に来て、モーセが死ぬ前に、 神がその民と新たに結ばれた契約として書かれている(申命記11−5と34参照)。 このように申命記は全書が契約の書であるが、核心部は444−49:5−2869にあって、 これは紀元前622年のユダの王ヨシヤによる宗教改革のとき、 その支持者たち(申命記派という)の中で書かれたものである。 この核心部は、前13世紀前後のヒッタイト帝国をはじめ前7世紀のシリア地方まで広く、 王とその従属諸侯の間で交わされた条約の書式で書かれており、これとの比較から、主なる神を大王とし、 自分たちをその民として書かれていることがわかっている。 つまり、主なる神との契約をその条約のように考えて申命記の核心部は書かれており、これはまさに契約の書である。 その書式にしたがって、それは歴史的序文(444−49:5−1131)、 申命記法典(12−2615)と契約締結(2616−19 + 279−10)、 祝福と呪い(281−68)の部分に分けられる。 その歴史的序文では、過去をふりかえり、神がいかに恵み深くこの民に関わってこられたか、 またこのイスラエルがいかに不忠実であったかを述べ、今から新たに結ぼうとされる契約に忠実であるように説いている。 十戒はその歴史的序文の中で、シナイで結ばれた契約をふりかえりながら述べられる。 申命記では、それはまた神への愛の掟に要約される(申64−9)。神への愛が最大の掟と言われるのは、ここにその根拠がある。 申命記法典もその十戒の詳細を展開したものということができる。
 出エジプト記にしても、申命記にしても、十戒はそれぞれその文脈の中で読むべきものであるが、 いずれも神とその民の間に交わされる契約の文脈の中で、この民が守るべき契約条項として言われている。 それは契約としての十戒であり、単なる自然法としての十戒ではない。 またそれは理不尽な重いくびきとしてではなく、神の恵みに対する応答として考えられている。 それでは、その二つ記述を並べて読んでみよう。

出エジプト記20:2−17と申命記5:6−21の比較
 [ ]は翻訳上の補足、下線は一方に欠けているもの、太字イタリックは異読、太字は後述
出エジプト記20:2−17 申命記5:6−21
『わたしは主、あなたの神、
あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
あなたにはわたしの顔の前で他の神々があってはならない。
あなたはあなたのためにいかなる像も造ってはならない。
すなわち上は天にあり、下は地にあり、
また地の下は水の中にある、
いかなるものの形も[造ってはならない]。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、
それらに仕えたりしてはならない。
わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。
わたしを憎む者には、
父祖の罪悪を子らに、__三代、四代までもとがめるが、
わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、
幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
あなたの神、主の名を空しく唱えてはならない。
空しくその名を唱える者を
主は罰せずにはおかないからである。
安息日を記憶して、これを聖別せよ。
___________________
六日の間働いて、何であれあなたの仕事をなし、
10七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、
いかなる仕事もしてはならない。
あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、
____________家畜も、
あなたの町の門の中に寄留する人々も[ 同様である]。
_________
____________
11主は六日の間天と地と海と、
その中にあるすべてのものを造り、
七日目にお休みになったからである。
それゆえ主は安息日を祝福し、
これを聖別された。
12あなたの父母を敬え。
_______________
あなたが、あなたの神、主が与えられる土地にあって、
長く生き ___るためである。
13殺してはならない。
14姦淫してはならない。
15盗んではならない。
16隣人に対して偽りの証人をもって答えてはならない。
17なたの隣人の家を欲してはならない。
隣人の妻、____その彼の男女の奴隷、牛、ろばなど、
隣人のものを一切欲してはならない。』
『わたしは主、あなたの神、
あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
あなたにはわたしの顔の前で他の神々があってはならない。
あなたはあなたのためにいかなる像も造ってはならない。
____にあり、下は地にあり、
また地の下は水の中にある、
いかなるものの形も[造ってはならない]。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、
それらに仕えたりしてはならない。
わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。
わたしを憎む者には、
父祖の罪悪を子らに、また三代、四代までもとがめるが、
10わたしを愛し、彼の戒めを守る者には、
幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
11あなたの神、主の名を空しく唱えてはならない。
空しくその名を唱える者を
主は罰せずにはおかないからである。
12安息日を守って、これを聖別せよ。
あなたの神、主が命じられたとおりに。
13六日の間働いて、何であれあなたの仕事をなし、
14七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、
いかなる仕事もしてはならない。
あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、
牛、ろばなどすべての家畜も、
あなたの町の門の中に寄留する人々も[ 同様である]。
あなたの男女の奴隷も
あなたと同じように休むためである。
15あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、
あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばして
あなたをそこから導き出されたことを
記憶しなければならない。
そのために安息日を行うように、あなたの神、主は命じられた。
16あなたの父母を敬え。
あなたの神、主が命じられたとおりに。
あなたが、あなたの神、主が与えられる土地にあって、
長く生き、幸いを得るためである。
17殺してはならない。
18姦淫してはならない。
19盗んではならない。
20隣人に対して空しい証人をもって答えてはならない。
21あなたの隣人のを欲してはならない。
隣人の、その彼の畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、
隣人のものを一切欲望の対象としてはならない。』

本文批判(写本上の問題)
 申命記510のケティーブ「彼の戒めを」は、ケレーでは「わたしの戒め」(=出エ20:6)。 このケレーで読むのは死海文書の写本などで確認されており、 また「彼の」と「わたしの」にあたるヘブライ文字がまぎらわしいので、正しいと判断される。
 N.B.ケティーブとは「書かれているとおり読めば」という意味。 「ケレー」は「写本の筆写者が読めと指示した読みかたに従えば」という意味。

若干の比較事項
 出エジプト記と申命記の十戒を比較すると、小さい接続詞も加えると20あまりの異読がある。その主要点を指摘する。
 安息日について: a)出エジプト記では「記憶せよ」、申命記では「守れ」。
b)申命記では「あなたの神、主が命じられたとおりに」があるが、 出エジプト記にはない (516bでも;119;4;532;10など)
c)この規定は申命記では「牛、ろば」にも適用される。
d)男女の奴隷については、申命記では繰り返され、「あなたと同じように」と強調されている。
e)安息日規定の根拠は、出エジプト記では天地創造に、申命記ではエジプトの苦役からの救いにある。
 偽証の禁止について: 出エジプト記では「偽りの」、申命記では「空しい」
 隣人の妻と家を欲することの禁止について: 出エジプト記では「あなたの隣人の家」、 そのあと「あなたの隣人の妻」の順序になっているが、申命記ではその順序が逆になっている。

2つの重複記事をいかに考えるか ―- 2つの解釈
 出エジプト記と申命記の十戒はそれぞれその最終編集者の手を経て、現在の文面となっている。 20世紀前半には、そのそれぞれの基本に10の掟が列挙された、原初的な十戒があったと想定し、それを割り出す試みが行われた。 その原初的な十戒にそれぞれ説明的付加がなされて、出エジプト記と申命記の現在の文面の十戒になったというわけである。 20世紀も終わりに近づくと、このような想定が正しいかどうか問題とされるようになった。この二つの説明をみることとする。

@ 原初的な十戒を想定するもの:R・Kittel、A・Alt、E・Sellin、J・T・Stammなど。
 根拠: 聖書にある古代イスラエルの法律には、文学様式としては事例法と断言法があるが、断言法は短く、 内容が凝縮した禁句のシリーズであり、これは聖書の法伝承にのみある。 この断言法のシリーズを聖書の十戒の中から摘出することができる。 それは、出エジプト2013−17に容易に認められるが、 同203−12の中にも203.4a.7.8.12aに割り出すことができる(前掲の翻訳の中で太字)。 それは以下のとおり。
第1戒 あなたにはわたしの顔の前で他の神々があってはならない。
第2戒 あなたはあなたのためにいかなる像も造ってはならない。
第3戒 あなたの神、主の名を空しく唱えてはならない。
第4戒 安息日を記憶して(守って)、これを聖別せよ。
第5戒 あなたの父母を敬え。
第6戒 殺してはならない。
第7戒 姦淫してはならない。
第8戒 盗んではならない。
第9戒 隣人に対して偽りの(空しい)証人をもって答えてはならない。
第10戒 あなたの隣人の家(妻)を欲してはならない。

 このように10の掟のシリーズが摘出されるが、命令文になっている安息日と父母尊重の規定も元来は「働いてはならない」、 「ののしってはならない」と禁句で表現されていたのではないかとの意見もある(A.Alt, G.von Rad, Fr.Horst, E.Sellin)。 これが「10のことば」 (出エジプト3428;申命記413;10)と言われていたものではないかという。 このように「10のことば」を解釈して、新共同訳でもこれを「十戒」と翻訳している。 この10の掟が2枚の石の板に書かれていたという (出エジプト2412;3118;3215−20;341.4.29 申命記413;522;99.11. 15.17;102−5、2歴代誌510)。これを神からモーセが受け取った。 これらの箇所がイスラエル宗教史上どこまで遡って確認されるか問題であるが、 10という数字は手の指の数にあたるので、 きわめて古い時代に遡って十戒があったのではないかと推察する者もいる(R・ドゥ・ヴォー)。この十戒作成の時期について、 モーセの時代にまで遡ってあったという意見もあれば、預言者の影響を見て紀元前7世紀と見る意見もあった。 いずれにせよ、この十戒に説明的付加がなされて、それが出エジプト記や申命記の本文として伝わっている。
 この十戒の"生活の座"(Sitz im Leben)として、つまりこの十戒が受け継がれ、 利用されてきたのがいかなる社会活動においてであったかというと、 まず祭儀(Kult, Cult)が考えられた。古代イスラエルにはその民が定期的に一つの聖所に集まる祝祭がいくつかあって、 その中の一つに主なる神との契約を更新する祝祭があり、ここで出エジプトの救いの出来事を世代を超えて記憶し、 追体験していたが、ここで十戒も記憶され、再公布され、受け継がれてきたのではないかという。 そのほかに生活の座を考える意見もないわけではない。
 このような観点に立って、十戒の解釈が行われてきた。(写真は十戒を授けられるモーセ、サンタ・カタリーナ修道院のモザイク)

 参考までに
 事例法とは、正確にいえば「事例的に成文化された法」(kasuistisch formuliertes Recht)ということで(A・アルト)、 まず解決すべき問題を正確に表現した上で、その場合(=case)にいかに解決すべきかを定めた法律をいう。 日本ではこれを「決疑法」と訳すこともあるが、事例法というほうが適切ではないだろうか。その例をあげよう。 その最も単純な形式は、「人が水溜めをあけたままにしておくか、水溜めを掘って、それに蓋をしないでおいたため、 そこに牛またはろばが落ちた場合、その水溜めの所有者はそれを償い、牛あるいはろばの所有者に銀を支払う。 ただし、死んだ家畜は彼のものとなる」(出エジプト2133−34)にある。複雑な例は、同226−7参照。 この形式の法率は、古代ではイスラエル以外の諸国の法伝承にも広く認められる。 他方、断言法とは、正確にいえば、「断言的に成文化された法」(apodiktisch formuliertes Recht)である。 その例としてまずあげられるのは、「人を打って死なせた者は、必ず死刑に処せられる。 ・・・自分の父あるいは母を打つ者は、必ず死刑に処せられる。人を誘拐する者は、・・・必ず死刑に処せられる。 自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる」(出エジプト2212−17)。 ここで繰り返される「死刑に処せられる」は、ヘブライ語で「モト・ユーマト」といわれるので、 「モト・ユーマト文」といわれる。同様に「呪われる」、ヘブライ語で「アルール」を繰り返して、 犯罪を禁じる句を列挙したもの(申命記2715−26: 秘密裏に犯される罪に宗教的制裁を課したもの)があり、 これは「アルール文」と言われる。同様に「・・・してはならない」(否定詞+未完了2人称単数)と、 禁句を列挙したものがある(レビ記187−18;出エジプト記231−3.6−9; 同2217.20.21.27a..27b)がある。 いずれも、表現は異なっていても、前提としての説明なしに断言的に禁止を言い渡すものである。 この形式の法文は短く、内容が凝縮しており、シリーズないし列挙となっている。これは古代イスラエル以外の諸国の法伝承にはない。 ただし、契約文書に出ることがある。原初的な十戒も、このような断言法のシリ−ズとしてあったのではないかというわけである。

 左近淑「最近の旧約学における「断言法」の諸問題」、日本聖書学研究所編『聖書における言葉と伝承』、聖書学論集 12、山本書店、1977年、5−30頁参照


A  原初的な十戒があったのではないかという想定が、どれほど確認できるかとなると、甚だ疑問である。 こうして別のパラディグマをもって、別のアプローチを探る必要があると考える: F.-L.Hosfeld, C.Levin, W.Johnston, B.Langなど。
 このアプローチでは、十戒の本文そのものをいっそう正確に深く理解しようとすることから出発する。 つまり、モーセが十戒を受けたという聖書の記述がいつ、どのような人々の中で文章化されたかに注目し、 その記述を書いた著者の観点からそれを解釈する。 確かに出エジプト記からレビ記、民数記、申命記と読めば、 シナイにおける神顕現と民との契約(シナイ契約)はモアブの野におけるその契約の更新(モアブ契約)は時間的に先行している。 他方、これがいつ文章化されたかの観点から言えば、申命記に書かれているモアブ契約のほうが先に書かれ、 シナイ契約はそのあとで書かれている。この後者は、モーセ五書研究において祭司文書(略号P)の著者ないし著者たちによるもので、 これは最終的に申命記を作成するに至った申命記伝承(略号D)のあとだったと考えられている。 実際にこの文章化の観点から言えば、 モーセ五書は歴史的人物と想定されるモーセが生きていた時代よりも6世紀ないし7世紀も時代が経ってからの文書である。 そこにシナイ山で神がモーセに顕現して、十戒を授けられたという歴史的事実の報告を求めることは出来ない。 これを事実と想定して伝承されてきたものをそれぞれの時代に書きとめたものが聖書の記述であり、 まずこれに注意深く注目しなければ、聖書は理解できない。 その歴史的起源を問いたければ、その記述を記述としてしっかりと評価したあとでのこととなる。
 さて十戒の文章化に限っていえば、 出エジプト記201−17と申56−21を比べて、どちらが時代的に先なのだろうか。 前者とする学説もないわけではないが、後者とする学説が一般的で、これが正しいであろう。 そうすると、十戒はまずバビロン捕囚期前後の時代に申命記の伝承を担った人々 (申命記派)の中で文書化されたのではないかということになる。 ここで申命記の十戒をあらためて注目してみよう。

 申命記56−21をよく注目すれば、主なる神が「わたし」と言って語る文体が貫かれていないことがわかる。 主なる神が「わたし」として出るのは、申命記56−10。 そのあと同511−16では、主なる神は第3人称で出る。 そのあと、主なる神は出ない。 それに「あなたの神、主が命じられたとおりに」(申命記513bと516b)は、 この位置にあって何を意味しているのだろうか。 この句は、モーセ五書全体の文脈の中で読めば、シナイ契約を考えて言われていると解釈されてきたが、 これは再検討する必要がある。それに安息日と父母尊重の規定が命令文になっており、 その前後が禁句のシリ−ズであることも、どうしてか、疑問を覚える。 そのような特徴を考慮すれば、 申命記56−21も申命記伝承の中で複数の著者によって徐々に形成されたのではないかと思われる。 それはおよそつぎの段階で形成されたと考えることできよう。 まず第1段階として、申命記5:6−10(11)+16bが形成された。 これは前述した申命記の核心部にあったもので、 その作成はヨシヤ王の改革の時代に申命記派によるのではないだろうか。 第2段階として、第1段階の申516bを導入部として同517−21が付加された。 第3段階で、祭司伝承から安息日規定、同512−15が付加され、 それと同時にか、そのあとか、同516aの父母尊重規定が付加された(B.Langの説を参考に)。 最後に出エジプト記202−17が祭司文書の著者によって書かれた。 ここでその段階にしたがって、訳文を掲げ、説明しよう。

第1段階 『わたしは主、あなたの神、
あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
あなたにはわたしの顔の前で他の神々があってはならない。
あなたはあなたのためにいかなる像も造ってはならない。
上は天にあり、下は地にあり、
また地の下は水の中にある、
いかなるものの形も[造ってはならない]。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、
それらに仕えたりしてはならない。
わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。
わたしを憎む者には、
父祖の罪悪を子らに、また三代、四代までもとがめるが、
10わたしを愛し、彼の戒めを守る者には、
幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
(11あなたの神、主の名を空しく唱えてはならない。
空しくその名を唱える者を
主は罰せずにはおかないからである。)
16bあなたの神、主が命じられたとおりに。
あなたが、あなたの神、主が与えられる土地にあって、
長く生き、幸いを得るためである。
第2段階 17殺してはならない。
18姦淫してはならない。
19盗んではならない。
20隣人に対して空しい証人をもって答えてはならない。
21あなたの隣人の妻を欲してはならない。
隣人の家、その彼の畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、
隣人のものを一切欲望の対象としてはならない。』
第3段階 12安息日を守って、これを聖別せよ。
あなたの神、主が命じられたとおりに。
13六日の間働いて、何であれあなたの仕事をなし、
14七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、
いかなる仕事もしてはならない。
あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、
牛、ろばなどすべての家畜も、
あなたの町の門の中に寄留する人々も[ 同様である]。
あなたの男女の奴隷も
あなたと同じように休むためである。
15あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、
あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばして
あなたをそこから導き出されたことを
記憶しなければならない。
そのために安息日を行うように、
あなたの神、主は命じられた。
16あなたの父母を敬え。

 第1段階では、イスラエルの民が主なる神に対して守るべき掟のみが並んでいる。 その書き始めは、主なる神がその民をエジプトから導き出してくださったこと(これをExodusという)を言う。 その結びは、「あなたが、あなたの神、主が与えられる土地にあって」と言って、 そのエジプトからの導き出しの目的、つまりこの民を約束の地に導き入れること(これをEisodusという)を言う。 ExodusとEisodusがセットになって神の救いの御業(みわざ)として考えられているとして、 これが第1段階の記述の始めと結びを読み取る目安となる。主なる神の御業は苦役の束縛からの解放だけではなく、 約束の土地への導入も含む。このように自由と命の開花が神の御業による恵として考えられている。 土地こそその命が花を開き、実を結ぶために必要条件だからである。
 この第1段階の記述の著者はすでにその土地にいて、モーセの時代を振り返り、約束の地を前にして死ぬモーセを想定し、 その最後の言葉としてこの記述を書いている。 その土地に入って神に対して守るべき掟として申命記57−10(11)を書いている。 ヨシヤ王の時代に目指されたのは、まさに異教の神々を排して、 自分たちが享受している恵の主なる神への信仰を徹底して国内に行き渡らせることであった。 この掟は、出エジプト3414−26の影響を受けているらしい。
 第2段階で、第1段階の主なる神に対する掟に、民が隣人相互の間で守るべき掟が結びつけられた。 それには預言者の影響がある。エルサレムの神殿を中心として主なる神への信仰を昂揚したヨシヤ王の改革は、 前609年にその王の死をもって潰えた。そのとき預言者エレミヤはエルサレムの神殿の門に立って、 人倫の道を乱れるがままにしておきながら、神殿に参拝するその彼らの信仰の空しさを説いた。 彼は、むしろ神殿があるがゆえに、人倫の道を蔑ろにしているのではないかと責めた(エレミヤ71−15)。 そのため神殿は破壊されると託宣を告げた。このエレミヤの神殿説教は申命記派の人々によって受け継がれた。 前586年、エレミヤが告げたとおりバビロニア軍によるエルサレム占領と神殿破壊が実現した。 そのあと、バビロン捕囚期にその人々によって第1段階の「主が与えられる土地にあって・・・」のあとに、 第2段階の掟のシリーズが加えられたと思われる(エレミヤ7参照、またホセア4も)。
 この2つの掟の列挙が結び合わされたときに、「10のことば」、「2枚の石の板」の考えが浮上したのではないだろうか。 その「10のことば」で、当時どの掟が意味されていたかはわからないが、その観念があったのではないだろうか。 いずれにせよ、神に対する掟と隣人間で守るべき掟を結び合わせた背後に、預言者の影響で、 主なる神とのあるべき関係が隣人関係を律することなしにはありえないという洞察と確信があると言えよう。 ここに他の諸宗教と比べて、 古代イスラエル宗教を受け継ぐユダヤ教とキリスト教が倫理を重視する宗教であるという特徴の出所を見ることができる。
 第3段階で安息日規定が加えられた。安息日規定がイスラエル史の中でいつ、いかに定められたのか、多くの研究がある。 それによると、捕囚期以前のイスラエルに6日働いて、 7日目を休む習慣が導入されていたようだが(出エジプト記2312、3421参照)、 この7日目は「安息日」(ヘブライ語でシャバト)とは呼ばれていない。 他方、捕囚期以前のイスラエルに「安息日」(シャバト)という用語は数回用いられているが (アモス8;ホセア213;イザヤ113;2列王記423参照)、 いずれも新月祭と並んで出るこの安息日が7日目の休日を意味しているかどうか、疑わしい。 それは満月の日のことかもしれない。7日目を安息日と呼んで、宗教的に守るべき日として定められるのは、 バビロン捕囚期のことであることは、広く提案されている(後述の安息日規定の解説参照)。 神殿とそこで行われる祭儀などを失った捕囚民にとって、 割礼と並んで安息日の集会が信仰を維持するために可能な制度として受けとめられたからである。 この習慣は捕囚の祭司たちの中で始まったらしい。そういうわけで、禁句ではなく、 命令文で書かれた安息日規定が十戒に加えられるのは、捕囚期ないしそれ以後と思われる。 それと共に、あるいはそのあと同じく命令文で書かれた父母尊重規定が加えられたのかもしれない(レビ記19参照)。

 このように十戒の記述そのものも、長い時間の経過を経て作成された。 ここに掲載したその具体的な経過は、ひとつの仮説にすぎず、ほかにも提案がある。 しかし、われわれが読む聖書本文には、その作成に至るまで、長い前史があることは否めない。 それはまた、聖書の十戒の記述はバビロン捕囚期またはその後に作成されたものであっても、 そのそれぞれの掟にはそれぞれの前史があることも念頭に入れて、解釈する必要がある。 またその最終編集によって出来上がった十戒の「生活の座」は捕囚期では、もはや祭儀ではないかもしれない。 そのような祭儀を行う場所もないとすれば、「生活の座」を想定すること自体問題であり、 むしろ「文学の座」(Sitz im Litertur)を考えなければならないかもしれない。 つまり、イスラエル宗教の挫折を前提に、以前の預言者たちの言葉も考慮に入れながら、 ある著者がこの記述を書いたのではないかということである。


 最近に至るまでの十戒の研究史概略についての参考文献
 art."Dekalog"," Zehn Gebote", in Neues Bibel-Lexikon, hrgn von M.Görg u.B.Lang, 1988-2001, Dusseldorf/Zürich, col.400-406, 1186-1188;B.Lang, Neues über den Decalog, ThQ 164(1984), 58-65;E.Otto, Alte und neue Perspektiven un der Dekalogforschung, Der Evangelische Erzieher 42(1990)125-133(= Id.,Kontinuum und Proprium, Studien zur Sozial- und Rechtsgeschichte des Alten Orients und des Alten Testaments, OBC 8, Wiesbaden, 1996, 285-292
影響史:十戒の掟の順序について
 ユダヤ教とキリスト教は「10のことば」を10の掟と理解し、十戒と呼んで親しんできた。 ギリシア語でο または (「10のことば」の意), ラテン語でdecalogus,  英語でDecalogueあるいはThe Ten Commandementsという。 ユダヤ教とキリスト教の過去の賢者たちによる十戒解釈も深い洞察を残してくれていて、 歴史批判学的聖書解釈を行う現代の聖書学の十戒解釈だけでは物足りない。 ここでは十戒の掟の順序の問題に限って、影響史に触れる。聖書の本文を見れば、 そのどこに「10のことば」があるのか、10より多いのではないか、 どこに第1戒、第2戒、第3戒・・・の掟があるのか、疑問を覚える。 それはその後のユダヤ教とキリスト教の中で定められることになるが、それは一様ではない。 (写真は、中世ローマの教会の壁画にあったモーセ、ヴァティカン博物館蔵)


@ ユダヤ教のラビ伝承(タルグムのプセウド・ヨナタン、エルサレムのタルムード・ベラコット)によると、 第1戒=神の領域でのこと(出エ20:申5)、 第2戒=主なる神の礼拝と偶像禁止(出エ203−6:申57−10)、 第3戒=偽誓禁止(出エ20:申511、)、 第4戒=安息日礼拝(出エ208−11:申512−15)、 第5戒=父母尊重(出エ2012:申516)、 第6戒=殺人禁句(出エ2013:申517)、 第7戒=姦淫禁句(出エ2014:申518)、 第8戒=窃盗禁句(出エ2015:申519)、 第9戒=偽証禁句(出エ2016:申520)、 第10戒=隣人の家への欲望禁句(出エ2017:申521)。 この影響が西欧中世のキリスト教徒の一部にも見られる。

A アレキサンドリアのフィロン(De decalogo,『十戒総論』参照、ただし邦訳なし) とユダヤ人歴史家F・ヨセフス(『ユダヤ古代誌』V, D, 5; 秦剛平訳、同著、旧約篇、 1983年、山本書店、36頁)によって知られるイエス時代のユダヤ教によると、 第1戒=主なる神の礼拝と.異教の神の排除(出エ20:申5)、 第2戒=神像作成の禁句(出エ204−6:申58―10)、 第3戒=.偽誓禁句(出エ20:申511)、 第4戒=.安息日礼拝、第5戒=.父母尊敬規定、 第6戒=.殺人禁句、第7戒=姦淫禁句、 第8戒=.窃盗禁句、第9戒=.偽証禁句、 第10戒=隣人の妻、家への欲望の禁句となっている。 この順序を踏襲するのは、キリスト教護教教父テオフィルス、 それにアレキサンドリアのクレメンス、オリゲネス、ナジアンズのグレゴリオス、ヒエロニムス、 スルピキウス・セヴェルス、アンブロジアステル、カルヴァン、改革派教会、英国聖公会など。 (ただし、フィロンでは、この第6戒と第7戒が入れ替わっている)。

B 西欧のキリスト教ではアウグスティヌス (『説教』9, c. V, と『説教』250, n.V:PL XXXVIII, col.79, et col1165-1167;  『7書の諸問題』 II.q.LXXIcol.620:CC, XXXIII, 102-105参照)以降、 第1戒=主なる神の礼拝と.異教の信仰の排除(出エ203−6)、 第2戒=神の名の悪用禁句(出エ20)、第3戒=.安息日規定(出エ208−11)、 第4戒=父母尊重規定(出エ2012)、第5戒=殺人禁句(出エ2013)、 第6戒=姦淫禁句(出エ2014)、第7戒=窃盗禁句(出エ2015)、 第8戒=偽証禁句(出エ2016)、第9戒=隣人の妻への欲望禁句(出エ2017a)、 第10戒=隣人の家への欲望禁句(出エ2017b)の順序が一般的となってきた。 たとえば偽ヒエロニムス、イシドルス、ドゥン・スコトゥス、ボナヴェントゥーラ、 トマス・アクイナス、ローマ・カテキスムス、それにルター、ルター派の教会など。
(art.Decalogue, in DTC 4 , Paris, 1924, col.161-176 E.Dublanchy参照)

 日本でもドチリーナ・キリシタン、明治時代以降の伝統的な公教要理など、 われわれが伝統的に習い、朝の祈りのときに唱えてきたのも、アウグスティヌスに従う西欧の教会の十戒である。 それをここに掲げる(昭和35、1965年発行の『カトリック要理』による)。
第一
第二
第三
第四
第五
第六
第七
第八
第九
第十
われはなんじの主なる神なり、われのほか、何者をも神となすべからず。
なんじ、神の名をみだりに呼ぶなかれ。
なんじ、安息日を聖とすべきことを覚ゆべし。
なんじ、父母を敬うべし。
なんじ、殺すなかれ。
なんじ、かんいんするなかれ。
なんじ、盗むなかれ。
なんじ、偽証するなかれ。
なんじ、ひとの妻を望むなかれ。
なんじ、ひとの持ち物をみだりに望むなかれ。

 この伝統的な十戒は、カトリック倫理神学においても大きな位置を占め、この第三戒の実定法による掟を除いて、 自然法の理論によって解説されてきた。それに基いて事例研究が盛んにおこなわれてきた。 それに対して洗礼を受けたキリスト教徒に求められるのは、「キリストの法」というべき倫理で、 自然法の倫理を超えるはずのものだと主張された。これはこれで正しいが、 他方、科学と技術の進歩により、これまでなかった難解で微妙な諸問題が倫理的判断を求められる一方、 伝統的な事例研究は陰を潜める傾向にある。こうして十戒そのものものも疎かにされるきらいがある。 そこで聖書の十戒を注目すると、そこには自然法としての十戒というより、契約としての十戒がある。 われわれは、まずこの契約としての十戒をできるだけ正しく深く理解するように努めなければならないが、 同時にまたユダヤ教またはキリスト教の信仰を共有しない世界中の人々にも、 その十戒が重要なものであることをいかに示すことができるか、考えてみたい。 その際、比較宗教的な研究も大いに参考になろう。たとえば仏教には五戒(Pentalogue)、 つまり不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒があるが、 これは上掲の十戒の第五戒から第八戒と比較することができる。 このように東西の宗教を越えて、人間にとって基本的な倫理とその基礎を問い、それに迫れるかもしれない。
 なお、『カトリック教会のカテキスムス』(カトリック中央協議会、2002年)聖書と伝統的な十戒を併記し、 解説している(同書606−617参照)。(写真はジェベル・セルバル、もう一つの神の山候補)。
 出エジプト記202−17の解釈の要点:

契約としての十戒
 出エジプト記202−17の十戒は、すでに述べたその文脈の中で読めば、 同19の「わたしの契約を守るなら」の「契約」を意味する。 「契約」は一般的には広く、 慈愛と威力に満ちた救いの御業を働きかけた神に、 その御業に恵まれた民が答える関係をいうが、 同19ではその民がどう答えなければならないかに限って、 つまり民が守るべき契約条項の意味で、同201−17の十戒を考えて言われている。 この意味では、契約とは十戒のことであり、十戒とは契約のことなのである。 それは契約という神と民との関係は、神のほうから破られることはなく、 破られるとすれば、それは民のほうからであり、この意味で民が十戒を守っている限り、 契約は守られるということである。また同19の「わたしの契約を守るなら」と共に言われる「わたしの声を聞くなら」は、 その十戒への従順をいう。「聞く」はもちろん物理的に音声を耳にするということではなく、 心で受けとめ、心から答えることを意味するからである。

十戒に先立って前提されているもの:出エジプト20:申命記5
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」

翻訳の問題: イ)「わたしは主、・・・」(LXX、Syr、Vulgなど)
ロ)「わたしが主、・・・」(A.Altなど)

 ロ)の場合、ここに十戒の第1戒があるとしての訳なら、問題であろう。 イ)は、詩編50;8111 神聖法典(レビ17−26)やエゼキエル書に出る  YHWH を考慮すると、 この翻訳しかできないであろう。

文学様式: イ)契約の文学様式と見る者(G.E.Mendenhallなど)。
 申5:6a=前文、6b=歴史的序文、7−21=契約箇条(十戒)
ロ)主なる神の自己顕現の文学様式(W.Zimmerli、K.Elliger、左近、大野など)。
 その「生活の座」(Sitz im Leben)として「祭儀集団全体が会合する祝祭」(左近)が考えられる。

 このイ)とロ)は排除しあうものではない。主なる神との契約を典礼として祝う宗教儀式があったと思われる。 ここで十戒はどこで民に告げられ、受け継がれたのかの問題に触れる。それは家族の中でか、 賢人が先生となって教える学校か、それともほかの何か。最も妥当性があるのは、典礼であろう。 これについては「十戒と祭儀」(Decalogue and Cult)という主題で別に取り上げなければならない。

「わたしは主」: 主は、YHWHの訳。その神名については、R・ドゥ・ヴォー著、西村俊昭訳『イスラエル古代史』、 475−509頁参照。
「あなたの神」: 神が自己を顕現して目指しておられるのは、「あなた」と呼びかける相手との関わり にある。それはこの相手の救いに関わりがある。その相手は、祭儀に集まっているイスラエルのこと。 ここで「あなた」は集合人格である。
「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した」:
M・ノートやG・フォン・ラートが明らかにしたように、 ここにイスラエルの信仰の核がある。後者がいう小歴史的信仰告白 (申命記265−9など、ゲルハルト・フォン・ラート著、荒井章三訳『旧約聖書の様式史的研究』、 1969年、日本基督教団出版局、3ー125頁参照)は、 どれほどそのイスラエルの歴史の初期に遡ってあったものと言えるか、 問題だが、主なる神が自分たちの歴史に介入してくださったという内容に、彼らの神信仰の特徴がある。 その中でも出エジプトの出来事は最も基本的な救いの体験であり、 イスラエルの信仰する神とはいかなるおかたであるかを示す出来事であった。 つまり、その神は古代オリエントの人々がイメージする神話の神でもなければ、 カナンの農耕民にあった自然をとおして周期的に自らの働きを示すと考えられていたバアル神のようなものとは、根本的に異なる。
 出エジプトの出来事は、語りとしては出エジプト記1−1521に伝えられているが、 それを一言で要約したものが、この句である。この救いの歴史の体験が、神との契約の前提となっている。 またその中でなぜ契約条項として十戒を守らなければならないかの前提となっている。 つまり、十戒は神の特別な介入によってエジプトの束縛から解放されたイスラエルが、 その神に答える当然の具体的な道として示されている。ここに聖書による十戒を守る動機が要約されている。 このように聖書は解放を告げて実現することのみならず、その解放された民が何をなすべきかも示している。 申命記の十戒も、この出エジプト記の十戒を前提としている。
 出エジプトの出来事をいう鍵言葉として「導き出した」 ( のヒフイル形「出す」)は旧約聖書では277回、 その中少なくとも83回出エジプトに関して用いられている)と「導き上った」 ( のヒフイル形「上らせる」は旧約聖書では41回出ており、約束の地を念頭に、 この土地への導入を指向しての神の介入を言う)がある。「導き出した」は、 その目的語として「イスラエル」ないしこれにあたる用語。どこからかというと「エジプト」ないしこれにあたる用語。 なお、W・L・モランによると、「導き出す」は、「来る」、「入る」を意味する と対語となっており、 これによってエジプトからの解放と約束の地への導入という一連の救いの出来事の前半を言うものである。 それゆえ、「導き出す」は、すでに約束の地に入ったことを前提として、その前半の消極的な側面を表現し、 後半の積極的な側面を予想するものと言える。

契約としての十戒から学ぶもの
 十戒は人間に課せられたくびき、重荷ではない。むしろ、その逆である。 それはエジプトの苦役の束縛から解放していただき、自由になった人間に向けられた呼びかけにほかならない。 そえゆえ、神は十戒、つまり契約を課さない(出エジプト記19の「今、もし・・・」を参照)。 それは自由に、納得して受諾すべきものである。ここで神が人間に与える救いは、自由と、命そのものとして考えられている。 この神の解放の御業(みわざ)に、人間が応答すること、ここに十戒の真意があり、聖書が呼びかける倫理の本意がある。
 そこにある人間観は、単なるホモ・サピエンス、「知恵を具えたものとしての人間」(homo sapiens)ではない。 それでは人間はその知恵を用いて、何をしでかすかわからない。そこにあるのは、ホモ・ヴォカートゥス」(homo vocatus)、 「呼びかけられたものとしての人間」である(Nathan Rotenstreich)。 この人間の本質を見失えば、人間はどこに向かえばいいかわからず、ただ右往左往するばかり。 倫理とは、人間が人間として呼びかけられているものに応答することである。
 応答を英語でresponseという。ここからresponsibilityという英語がある。 これを直訳すれば、「応答性」。神に応答し、隣人に応答するところに人間の人間らしさがあるので、 responsibilityはまさに人間の固有性を意味していて、倫理を語るときには必ずresponsibilityということも附随する。 たとえば教室にいる女子学生の足に犬が噛み付けば、犬にはreponsabilityは問われないが、わたしが噛み付けば、 わたしはその行為のresponsibilityを問われる。この英語を日本語で「責任」と訳すのが通常であるが、 これではresponsibilityの前提となっているものが抜け落ちていて、ただ「くびき」、 「重荷」の側面しか表していない。このように倫理は法律のように、ただ社会秩序を守るためだけではなく、 人間各個人の人間としての品性、品格に関わるものである。 そういうわけで人間は与えられている命と自由など多くの恵みを知らないか、無視するか、忘れるとき、 倫理がわからなくなり、自己の品性、品格を傷つけてしまう。


十戒の個々の掟について
 個々の掟と言っても、原初的な十戒が断言法のシリーズとしてあったと前提できない。 ここでは前に影響史で述べたAにしたがって数えることとする。 これにしたがえば、TーWでは、神に対して人間が守るべき掟が、 X―]では人間が人間相互の間で守るべき掟が述べられている。 そのTーWは、エジプトの苦役から解放してくださった神に対して、 解放していただいた人間はいかに応答すべきかということが根底にある。 これを一言でいえば、神に対する誠(まこと)、忠実、忠誠ということにほかならない。 これは人間相互間で守るべき掟を守ることなしにあり得ない。 この人間相互間で守るべき掟の根底にあるのは何だろうか。それは人間の命の尊厳である。 その命が守られ、花を開き、実を結ぶための基本が言われている。個々の掟を解釈するとき、 この根底にある一貫した信念を見逃してはならない。ここではまずその前半を読むための要点を指摘する。


T 神々への崇拝禁止(唯一の真の神を礼拝すべきこと)
出エジプト記20(申命記5
「あなたにはわたしの顔の前で他の神々があってはならない。」
「・・・にあってはならない」: ヘブライ語には「持つ」(英語のto have )という動詞がなく、 同じことを「・・・にある」と表現する。
「他の神々」: 「他の」('aher,複数 )は、 「他者」、「よその」。同義語としてzar,nekarがある。 「他の神々」は文法的には複数だが、意味内容として単数か、複数か? 70人訳(ギリシア語)、 ペシータ(シリア語訳)、ウルガータ訳(ラテン語)は複数で訳す。タルグム・オンケロス(アラマイ語訳)では単数で訳す。
単数:出3414;詩編8110;イザヤ42
複数:ホセア3(十戒を知ってか、4;13;12:10参照);申命記では複数。
「わたしの顔の前で」: 古代訳、また現代訳において、さまざまな翻訳がある。 「わたしのほか」(70人訳、タルグム、ペッシータ)、「わたしの目の前で」(ウルガタ訳)、 「わたしにさからって」(シュタム、レヴェントローブ)、 それも法的な意味でと、祭儀的な意味でとある。
ここではまず祭儀的な意味が込められているといえよう。 「顔」とは神の現存を意味し、この現存があると考えられていたのが聖所である。 このように「あつかましくもわたしの前にきて」という意味が込められているようである。 それに法的が意味もあろう。主なる神はイスラエルに対して自分に仕えることを要求する権利がある。 したがって、単に「わたしのほかには」の訳は、足りない。
この掟の意味: イスラエルの民をエジプトの苦役から解放してくださったのが主なる神であるから、 イスラエルの民にとってこの神以外に神はいないということ。ほかの神々が存在しているかどうかとの理論の問題ではない。 バビロン捕囚期以前のイスラエルには、ほかの神々は存在しないという意味での唯一神信仰(monotheism)はなかったと思われる。 そういうわけで、この掟で主張されているのは、実践的唯一神信仰(monolatria)であろう。 神は唯一であるが、人間がこれを学ぶには歴史を必要とした。その大きな第一歩としてこの掟を見ることができる。


  U 神の像を造ることを禁止
出エジプト記204−6(申命記58−10
 「あなたはあなたのためにいかなる像も造ってはならない。
 上は天にあり、下は地にあり、
 また地の下は水の中にある、
 いかなるものの形も[造ってはならない]。
 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、
 それらに仕えたりしてはならない。
 わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。
 わたしを憎む者には、
 父祖の罪悪を子らに、また三代、四代までもとがめるが、
 10わたしを愛し、彼の戒めを守る者には、
 幾千代にも及ぶ慈しみを与える。」

 まずこの掟(は神の像を造ることを禁じている(出エ204a)。どの神の像を造ることを禁じているのか。 ここで考えられているのは、主なる神の像か、それとも主なる神以外の神々の像か。 主なる神以外の神々を排除すべきことは、前の掟で定められているので、 ここでは礼拝すべき主なる神の像が考えられていると思われる。 断言法のシリーズでは、意味内容が重複する掟はない。 十戒が元来断言法のシリーズであったとは言えなくても、そう判断できよう。
「像」(pesel): 木または石を彫って造られた像をいう(複数は )。 他方、「鋳像」 () は金属性の像をいう。この二つの用語が共に用いられる場合がある (申2715;士173.4;1814.17.18など)。 それは元来木像を金属で覆った場合の像を意味していたのかもしれない。 あとで、金属で覆われた場合もpesel と言われたらしい。 またこれは鋳像も意味するようになった場合もあるらしい(イザヤ4019;4410)。
並行箇所:出2023:「銀の神々も、金の神々も造ってはならない。」
出3417:「あなたは鋳像の神々を造ってはならない」
申2715: 前述
レビ19: =出3417
このように古代イスラエルにおいては主なる神の像は、持つことが許されなかったが、 それは逆にそのような像があったことも窺がわせる。 考古学の発掘調査によって主なる神の像はほとんどみつからないが、 ハツォール出土の青銅製の男性の神の像はイスラエルの神の像かもしれない(Cfr..Y.Yadin.BA 22, 1959, pp.12-14)。

この掟の意味: 古代の人々にとって神の像は何であったのか。それは特別に神が現存するところと考えられていた。 ここでその神の力が宿っており、その恵を求めることができると信じられていた。 このように神とその像の間に深い関連性があると思われていた。 それは当時のカナン地方に広くあった宗教的信念であった。バアルの宗教の神々の像が数多く出土している。 これに対し、イスラエルの神は歴史の出来事をとおして自らの力を表す神である。 このように自分たちの神は、カナンの神々とは根本的に異なる。 さらにまた、神の像を持つ者は神を左右することができると考えられていた。 イスラエルの信仰は自分たちの主について、このように考えることを禁じる。 写真はシリアの海岸に近いラス・シャムラ(古代都市ウガリト)出土のバアル神像、パリ、ルーブル博物館蔵。
「上は天にあり、下は地にあり、また地の下は水の中にある、いかなるものの形も」:
前に出る「像」(pesel)を詳しく説明する。形 () は、頻繁に出る用語ではない。 これは物の外観、形相を意味する。したがって、「・・・の外観をもつ(像)を」という意味。 「天」、「地」、「水」は当時の世界像にしたがって、被造界を三区分して、その全体をいう。 このように被造物はいかなるものであれ、主なる神の像にしてはならないという。
「あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない」(出エ204b):
これは独立した文ではない。「それら」とは何か、前の文がなければ理解できないからである。 したがって、これは付加かもしれない。もし付加なら、これは前の二つの掟を考えて言っているのかもしれない。 この場合、この付加を書いた人は、その二つの掟を一つとして見ていると言えよう。
「ひれ伏す」(語根はhwy )は、祭儀において礼拝する行為をいう。 この用語が、「仕える」と共に27回で、その目的語は「他の神々」をはじめ、異教の神々である。 したがって、この対語は、イスラエルの主なる神を目的語としては用いられない(それぞれ単独ではそうではない)。 この対語は申命記用語である(W.Zimmerli )。
「わたしは熱情の神である」:
熱情の神」( 'el qana' )は「ねたみの神」とも訳される。この表現は出エ3414; 申424;615;ヨシュ2419;ナホム1に出る。 これは自分の所有物を、これを奪おうとするものから守ろうする心の感情、 ないし自分のものである人の不忠実のゆえに、その人を罰しようとする感情をいう。 それゆえ主なる神が自分の民に対してもつ情熱的な愛を、この民を誘惑する異教の神を考えながらいう。
「憎む」と「愛する」: この反意語の対語は感情的な憎しみと愛というより、客観的な反発や反抗と同意や奉献をいう。 そのいずれの場合も、受けることになる祝福にしても、呪いにしても、連帯性があることをいう。
「子らに、また三代、四代まで」:
ひ孫までの意。それは、ひ孫まで含む家族全体に及ぶことをいう。
「幾千代にも及ぶ」: 神の慈しみが及ぶのに限界がないことをいう。
「わたしの戒め」: 掟のこと。


参考文献
S.Schroer, In Israel gab es Bilder, Nachrichten von darstellender Kunst im Alten Testament, OBO 74, Freiburg/Göttingen, 1987


 V 偽りの誓いの禁止
申命記511(出エジプト20
 「あなたの神、主の名を空しく唱えてはならない。
 空しくその名を唱える者を主は罰せずにはおかないからである。」

ここで主の名は第3人称で出る。これは契約文書でもあるので、不思議ではない。
「唱える」: 直訳では「(声を)上げる」、つまり「発声する」、「呼ぶ」。 従って、神の名を唱えること自体は禁じられていない。
「空しく」: 無駄に、内容なしに。これで何を禁じているのか。
 偽りの誓い(Targum, Peshita, Josephus)
 呪うこと:神の名をもって呪うこと(ホセア4参照)
 ある場合、他の神々の名による誓いも含めて理解されていたらしい(例、申613参照)
 おそらく迷信、魔術も含めて理解されたらしい。災いをねがっての魔術。
 神の名の乱用、悪用。
おそらく元来の意味は狭く、偽りの誓いを禁じるものであったが、広く解釈されるようになったかもしれない。
この掟の意味: 名前とその名前の持ち主は、特に古代では密接な関係にあるものと受けとめられていた。 それゆえ、神の御名は尊く、この神の御名をもって誓う場合、偽りをいうことはないと前提できるほどであった。 エフタの場合を参照のこと(士師記第11章)。それでも偽りの誓いがないように、ここで禁じている。 言葉の価値が失われた現代では考えられない掟である。
「主」の名は、聖別されるべきもの(イザヤ2923)、生活の基本(ミカ4)、 救いの源(詩編54)、 支えであり避けどころ(詩編20)、 諸国に告げ知らされるべきもの(イザヤ12;詩編1051−2)、 メシア時代にすべての人にあがめられる(ゼカリヤ14)。その御名が神殿にある。



 W 安息日規定

出エジプト記208−10(申命記512−15
 安息日を記憶して、これを聖別せよ。
 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をなし、
 10七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、
 いかなる仕事もしてはならない。
 あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、
 あなたの町の門の中に寄留する人々も[ 同様である]。
 11主は六日の間、天と地と海と、
 その中にあるすべてのものを造り、
 七日目にお休みになったからである。
 それゆえ主は安息日を祝福し、
 これを聖別された。 


 安息日規定は禁止としてではなく、命令として書かれていて、つぎの父母尊重と並んで、ほかの禁句の掟のシリーズとは対照的である。 さらにこの安息日規定は十戒の中心部を大きく占めていて、これだけでもどれほど重要視されていたかを示唆している。 申命記の安息日規定と比べて見ると、かなりの相違があり、そこにはそのそれぞれの安息日神学の相違を見ることができるが、 ここでは出エジプト記の安息日規定を中心に見ることとする。 これは時代的には申命記の十戒より新しく、祭司文書(P)の著者によるものだから、 この著者によるモーセ五書全体の文脈の中でその意味を読みとる必要がある。
       
「安息日」: 安息を表すヘブライ語を動詞と名詞を区別して考えると、動詞に関して特に重要なのは 。 ウガリト語をはじめ古セム語系諸言語にその語根が認められる は、 物理的な意味でも精神的な意味でも安らぎの状態をいう。ヘブライ語とフェニキア語にその語根が認められる は、 「休止する」ことを意味する。他方、名詞 は週の七日目の「安息日」としてよく知られているが、 動詞 「休止する」から由来するかどうか疑われる。 他方、この動詞でその名詞の意味が説明されるところもある(創22−3)。 その名詞 は、安息日以外の祝祭日(レビ1632;2332では贖いの日、2324では新年祭、 2329では仮庵の祭の1日目と8日目)、 それに7日(レビ2315)とか7年(レビ25)の期間をいうこともある。 聖書のギリシア語訳では、 は接頭語anaーおよびkataー のついた動詞pauein「休む(ませる)」と訳され、それに対応する名詞もあり、 (名詞)はsabbaton,sabbatismos という造語が用いられている。捕囚期以前の安息日は、 前述したように週の7日目ではなく、満月の日のことであったらしい。 そこで安息日が週の7日目を意味するようになったのは、いつ、どのような状況のもとでのことだったのだろうか。
神聖法典(レビ記17−26章)とエゼキエル書、 第3イザヤ(イザヤ56−66章)で安息日というヘブライ語が複数で用いられるようになっている。 ここに安息日が週の七日目を意味するようになった制度的移行の示唆があるのではないかと思われる(J・ブリアン)。

イ) 神聖法典(レビ記17−26章)
レビ記19
「あなたたちは各自父と母を敬いなさい。
わたしの安息日 (複数)を守りなさい。 わたしはあなたたちの神、主である。」

(説明〉「あなたたち」とあるように、二人称複数で呼びかける文であり、命令(肯定)文である。 このように、それはひとつの民としてではなく、その民のメンバーに呼びかけている。 それは捕囚期に各地に散らばっているイスラエルの人々を考えてのことであろうか。 「わたしの安息日」といって、それが主なる神と安息日の関係を強調する。 この安息日が七日目毎の祝いを意味しているかどうか、この文からだけでは証明できないが、 ここではもう捕囚期以前の満月の日の意味はないのではないかと思われる。

レビ記1930
「わたしの安息日(複数)を守り、わたしの聖所 ()を敬いなさい。
わたしは主である。」

〈説明〉これは捕囚後のエルサレムの神殿が出来てからの付加であろう。 つまりレビ記19に加えられた変更と思われる。 ここでは「父と母」が「わたしの聖所」に変えられている。 これで、捕囚期以前ではなく以後のエルサレムの神殿が考えられていると思われる。 レビ記26にある同じ文も同様であろう。

参考:出3113
「あなたたちはわたしの安息日(複数)を守りなさい。
それは代々にわたってわたしとあなたたちとの間のしるしであり、
わたしがあなたたちを聖別する主であることを知るためのものである。」

〈説明〉出エジプト記25ー3118は、 祭司文書に属し、モーセが神から受けた祭儀の制定の指示を記載する。 その最後に安息日について言われる(出3113−17)。 この部分は、13節が神聖法典と近似する内容を持ち、それに後に14節(単数の安息日)が加わり、 最後に15−17節(単数の安息日)が加えられたと考えるのが当を得ていると思われる。 「わたしがあなたたちを聖別する主であることを知るためのものである」は レビ20;21;2232;また 2115.23;229.16;エゼキエル3728も参照)。 このように出3113も神聖法典と同様の人々のもとからきた言葉であろう。


ロ)エゼキエル書:安息日は複数で12回、単数で3回。 特にエゼキエル書第20章に出る:12、13、16、20、21、24節。 これはエゼキエルがイスラエルの歴史を振り返り、 それほど神に対して背信的であったかを説く説教の一つである(エゼ201−31のほかに 161−63;231−27)。 しかし、安息日の言及がある文は、エゼキエル自身の言葉ではなく、 その言葉への付加文と思われる。それゆえ、それはエゼキエルの弟子たちの言葉と思われる。 第22章8節、26節なども同様である。しかし、エゼキエル自身の考えがその弟子の言葉によって伝わっているとも言える。


ハ)イザヤ562−6:ここには単数(2、6節)と複数(4節)で安息日が繰り返し言われる。 これは捕囚期直後に言われた言葉である。ここで安息日が七日目であることが前提とされていることは、疑いの余地がない。


これら神聖法典にしても、祭司文書にしても、エゼキエル書にしても祭司たちの伝承を伝えるものである。 複数形の安息日が七日目を意味するようになったことを示唆しているとすると、 それは祭司たちのもとでそうされ、強調されたのではなかろうか。 しかも、捕囚期の祭司たちのもとでそうされた。エルサレムの神殿に仕えていた祭司たちはバビロンに連行されたが、 その中にエゼキエルもいた。彼らは祭司の伝承をもってバビロンに来た。 その彼らがどうして七日目を宗教的に特別の日とし、それを安息日と呼ぶようになったのには、理由があったと思われる。 彼らは従来の祭りを祝うことができなくなり、バビロンの宗教的習慣を取り入れ、 それと共にその宗教そのものに染まる危険にさらされた。そこで彼らは捕囚の地でも守られる七日目の習慣を取り上げ、 これを安息日と呼んで祝いの日としようとしたのではないか。 捕囚期以前の満月祭の安息日にはこの祝いの性格があったからである。 捕囚期以前の安息日は、聖所に参拝する祭りでもなく、 法典にその祭儀の規定がなされているのでもないので、 新しく導入された七日目が祝いであることをいうために適していたともいえよう。 このように、七日目毎に祝うべき安息日の宗教的慣習は、 バビロンの宗教的慣習の影響を受けて始まったというよりも、むしろそれに対抗して始まったというべきであろう。 中央聖所を失った捕囚の地のイスラエル人は、七日目毎に集まって主の礼拝を行い、信仰を守った。 この安息日は、割礼と共に捕囚中のイスラエル人の宗教にとって独特な制度であった。
「記憶せよ」: ヘブライ語zkrは祭儀用語。したがって、一般的な「記憶する」ではなく、「祭儀として記憶する」という意味。
「聖別せよ」: ヘブライ語 は、 語源的には「切る」を意味する。そこから「切って神のために保留し、奉献する」ということ。 この意味で7日目を、ほかの6日と区別して、神のために奉献すること。 それゆえ、「六日の間働いて、・・・、10七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、 いかなる仕事もしてはならない」と言われる。特にこの7日目は「あなたの神、主の安息日である」と、 神との関係で意味が説かれている。このように時間の聖別と聖化が指示されている。 これはキリスト教、特にカトリック典礼において重要視されて継承されている。 聖別は、具体的に日常の仕事をしないで休み(出2312;3421)、 火をたかず(出35)、薪を拾い集めず(民1532−36)、ぶどうを踏まず、 荷物を運ばず(ネヘ1315;エレ1721−27)、商売せず(アモス8)、 喜び祝う(ホセア213)ということ。違反した場合、死刑(出エ3114;民1532−36)か、 破門(出エ3114)ときわめて厳しい。この刑が実際に実行されたのだろうかは疑問。 これに基き、ユダヤ教では安息日礼拝が発展し、またこの日をいかに守るかについてのラビたちの指導もきめ細かく出されることとなる。 それがハラハーとしてミシュナーに伝わっているが、これに先だつものが死海文書の中にも認められる。 イエスはこのラビたちの教えに対しては自由な立場を取られたが、それは律法の真意を守るためであった。 キリスト教は安息日を、主イエスの復活を「記憶する」日として安息日の翌日、つまり日曜日とし、 これを「主日」dies dominica)と呼んで、受け継いできた。 それが西暦6世紀に(東)ローマ帝国内で全員が守るべき日として制度化され、今日に至っている。 このバビロン捕囚期にその捕囚民であるユダヤ教徒の中で始まった安息日は、 日曜日としてキリスト教を経て全世界に広がり、日本でも明治6年の改暦以来守られてきた。 平安時代初期に中国から日本に伝えられた「七曜」の考えは、単なる偶然であろうか。 日曜日の元来の意義、つまり時間の聖別、聖化を現代の日曜日に取り戻すのが、現代の教会の使命であろう。
「あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、・・・寄留する人々も」:
「あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も」は家族全員、「家畜」は家族が所有する物。 「寄留する人々」は家族以外の者。安息日規定が適用されるのは、家族を超えてみんな。 「寄留する人々」とあるのは、特に社会的弱者も含めてという意味であろう。 この安息日に参加すべき人々の列挙は、申命記1611と1614 (ここでは家畜がない代わりにレビ人、孤児、寡婦が加わる。1212.18も参照)と共通するところが多い。 この申命記の文脈(161−17)は、過越祭(すぎこしさい)と種なしパンの祭り(無酵母のパンの祭り)、 七週際(ななしゅうさい)、仮庵祭(かりいほさい)という伝統的な農耕民の祭りをイスラエルの民がいかに祝うかを指示するものであるが、 申命記1611では七週祭のとき、 1614は仮庵祭のときに家族以外の特に社会的弱者も含めて全員で喜び祝うように定めている。 十戒を書いた著者はそこから発想を得て、安息日に適用したものと思われる。このように安息日は喜び祝う日だと言う。
11主は六日の間、天と地と海と、その中にあるすべてのものを造り、 七日目にお休みになったからである。それゆえ主は安息日を祝福し、これを聖別された。」:
まずここと創世記11ー24aの天地創造の記述の間に相互に関連しあっている。 天地創造の記述を書いた著者は、神が6日お働きになって7日目に安息されたと意図的に書いたとき、 安息日の意味を説こうとしてそう書いたことには疑いない。その記述は安息日を考えることなしに理解できない。 その天地創造における神の労働と安息は、 その創造された世界において人間も同じように労働と安息を続けるための基礎である。 その基礎に基いて、十戒で安息日を祭儀として覚えるよう命じられた。 このように創造された世界は祝福され、聖別されたものとして続く。 つまり神に結びついたものとして、救いの保証となる。特にその記述の締めくくりの創21−3ではこう言われる。
天と地とそのすべての装いは完成された。
2a神は、七日目に御自分のなさった仕事を完成し、
七日目に御自分のなさった仕事を離れて安息された。
3aは、七日目を祝福し、これを聖別された。
この日に神は御自分の創造なさった仕事を離れ、
安息されたからである。」
 つぎにイスラエルの民はエジプトで苦役に束縛されていたとき、安息はなかった。 その束縛から解放されると、安息日に恵まれることとなる ( 出エ161−3、6−7、9−27、30、35a;171abα)。 ここでは荒れ野の旅を始めると、すぐに神の不思議な養いも始まり、マナとうずらが毎日与えられるが、 6日目には2日分与えられる。このように神の養いは安息日に働かなくてようように十分与えられる。 したがって、安息日は神の恵の豊かさを思う日でもある。こうして十戒の安息日規定に続いていく。
 モーセが再び山に登るよう言われて登っていくと、 主の栄光が現れたのが7日目であった (出エ2415bー18a)。 7日目は主の栄光、つまり主の現存が現れる日であることを示唆する。 安息日はしるしである(出エ3113−17)。神とその民との関係、つまり契約のしるしである。 永遠に続くその契約のしるしである。それゆえ、安息日を厳しく守らなければならない。 このように安息日の神学が祭司文書(P)の文脈の中に展開している。

 このように第1戒から第4戒まで神に対して守るべき掟にも関連性があり、 その内容には進展がある。イスラエルの主なる神のみを、その像を造ることなしに信仰しなければならないだけでなく、 安息日をもって天地を創造なさったのイスラエルの神とその御業を記憶しなければならない。

安息日規定についての参考文献
N.-E.A., Andreasen, The Old Testament Sabbat :A Tradition-Historical Investigation, SBL 7, Cambridge, 1972
A.Lemaire, Le sabbat à l'époque Israelite, RB 80(1973), 161-185
N.Negretti, II settimo giorno, Rome, 1973
Art.Sabbat, Suppl.Dict.Bible, X, col.1132-1170(J.Briend), Paris,1985


 X 父母尊重

出エジプト記2011(申命記516
 「あなたの父母を敬え。あなたが、あなたの神、主が与えられる土地にあって、長く生きるためである。」

文体: 禁句ではなく、命令文である。それゆえ、元来は出エ2117;レビ記20、 それに申2720にあるように「あなたの父母を呪ってはならない」となっていたのではないかと提案されたことがあった。 しかし、レビ記193?に「(父と母とを)畏れ敬え」とあるので、命令文でいう習慣もあったことが確認される。
意味: 「敬う」 () は「重んじる」の意。他方、レビ記19の「畏れ敬う」 ()は、 畏敬、畏怖を意味し、神にも言われる動詞である。それは「打たず」(出エ2115)、 「呪わず」(同2117)、はずかしめず(申2720)、 親孝行すること(申2118−21参照)だが、具体的にはほかにいろいろある。 実は、親に対する子のつとめは、生きる知恵としての倫理を教える賢人たちの教訓を集めた箴言の中に、 ことわざに凝縮して多く書き残されている (箴言10;13;155.20; 1926;2020;2315.19.22.24−25;2824;3017)。 他方、そこには子に対する親のつとめも言われる (1324;1918; 22;2215;2313−14)。シラ31−16も参照。
問題は、十戒のこの掟がだれに宛てて何を言おうとするものかにある。 かつては未成年者に宛てて、家父長や両親の権威に対する軽蔑と家族が蒙る不名誉を排除するため、 あるいは権威というよりこの民の存続のために民に与えられている約束を担い、受け継ぐ両親を重んじるため、 従順を要求する掟だと理解された。しかし、十戒は未成年者ではなく、成人に宛てた掟であるから、 この掟はむしろ老齢に達した両親を扶養する義務をいうものだと解釈されるようになった。 その例証として申命記2118―21が、老人の両親のための規定として浮き彫りにされたG.Beer,M.Nothなど。 これを古代オリエントの家族法との比較から実証しようとする試みもある(R.Albertz)。 またこの掟が十戒に加えられた背景に前の世代への不信が増大したバビロン捕囚期かその後で、 老齢に達した両親の扶養のみならずその埋葬の義務までいうものではないかとの解釈もある。 しかし、それが正しくても、それはいっそう深い人間本来の確信の一適用例ではないだろうか。 申命記2118−21も、まずは老齢に達した人の命もその尊厳を守らなければならないこと、 さらにそれが両親なら、自分の命とその発育の直接の恩人としてその両親の命とその尊厳を守るのは当然だということから言われている。 この根底にある考えは十戒の父母尊重にもあろう。それゆえ、父母尊重に関連して、 「あなたが、あなたの神、主が与えられる土地にあって、長く生きるためである」と、 約束の土地との関連が言われているのであろう。「長く生きる」とは長寿のことで、 これは命の開花として、この世で考えられる最も大きな幸いとみなされていた。 「あなた」、つまり次世代の命の開花は、「父母」、つまり自分の前世代の命を尊重することなしにあり得ない。 それゆえ、「父母を敬え」とは、命を大切にせよと言うことではないか。 自由も恵、土地も恵、その恵を受けた人間は命を繁栄させるよう呼びかけられている。ここに天地創造の意味もある。
順序: この父母尊重の掟が第5戒に位置づけられていることに、聖書学者は注目してきた。 第1戒から第4戒の神に対して守るべき掟のあとに位置づけられるこの掟は、 これを守らなければならない人にとっては上位にある者に対して守るべきものということで共通する。 これは神のつぎに、先ず父母が尊重すべきものだということ。この尊重は命の根源のつぎに、 その命の直接の恩人に対して当然求められることであろう。解放され、自由を恵まれた今、 その命を「主があたえられた土地で」結実させなければならない。そこでは隣人の命も、 その尊厳を守らなければならない。こうして第6戒の「殺してはならない」、第7戒「姦淫してはならない」、 「盗んではならない」に繋がっていく。このように第5戒が、 神に対して守るべき掟と人間相互間で守るべき掟の中間に位置づけされており、 その土地に注目することによって自由と命の尊厳が十戒全体を貫いていることがわかる。
この第6戒から第10戒は、契約の民の中で相互に守るべき掟が並んでいる。 ただし、第5戒の父母尊重の掟も、第6戒から第10戒の掟も、 すべての人間に普遍的に通用する掟であって、諸文化の中にその表現を見ることができる。 それゆえ、これらの掟は自然法として説明されてきた。 聖書に基くユダヤ教とキリスト教はこの自然法を神との契約における契約条項として取り込み、 広く信徒の倫理教育に努めてきたと言えよう。

参考文献
B.Lang, Alterversorgung, Begräbnis und Elterngebot, ZDMG Suppl.3/1, 1975, 149- 156(入手できず)
R.Albertz, Hintergrund Bedeutung des Elterngebots im Dekalog, ZAW 90(1978), 348-374
E.Otto, Theologische Ethik des Alten Testaments, Berlin Stuttgart Köln, 1994, 33-35

Y―]の人間相互間で守るべき掟については、その掟と約束の土地について教えた預言者たちの解釈を経て、 その個々の掟の解釈を行たいと思っているが、それは別の機会に譲る。個々の掟については、以下の参考文献の該当箇所参照のこと
シュタム、アンドリュウ著『十戒』、左近淑、大野恵正訳、新教新書155、新教出版社、1970年
ヨゼフ・シュライナー著、酒井一郎、宗代訳『十戒とイスラエルの民』、日本基督教団出版局、1992年
大野恵正「出エジプト記20章2−17節」、『聖書と教会』誌(現在廃刊)1974年7月−75年6月号 および「十戒ーその成立と背景」、同誌1989年7月

 キリスト教徒にとってイエスが新しいモーセ。この新しいモーセも山の上に立って、 ご自分の律法を新しい神の民である教会に授与された。このイエスの律法授与の主題は、 古代キリスト教の石棺やフレスコ画にしばしば登場する。 それは遡れば、マタイ福音書のイエス観の一つでもある。マタイ福音書51−48;2816−20参照。 ここで「山」は地理的な山ではなく、シナイ山を考えての神学的な「山」である。 またイエスが十戒をどう受けとめられたかについては、マルコ1017−22とその並行箇所参照。 さらに旧約の民にとって出エジプトの救いの出来事は、十戒を当然で感謝して守る動機となるものであるが、 新約の民にとっては、キリスト・イエスの復活秘義こそ新しい出エジプトとして救いの体験となる。 写真は、ヴァティカン、聖ペトロ大聖堂地下教会にある「律法授与」(Traditio Legis)。

もどる