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福音書の歴史的真理性に関する指針 |
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644 「真理の柱、基礎である」聖にして母なる教会は、 645 大いに喜ぶべきことには、今日教会の忠実な子らのうちに、 現代の要求に応じて聖書に関する専門家が数多くいる。 彼らは諸教皇の勧告に従いながら、 不屈の働きをもってこの重大で困難な任務に心を尽くして取り組んでいる。 「主のぶどう畑におけるこのたゆまぬ働き手たちの努力は、公平と正義の心だけでなく、 最大の愛をもって評価すべきものであることを、 教会のほかの子らは心に留めなければならない」。 福音書に含まれる事実と言葉の真理性を問題とする著作が数多く出版されるだけに、 今日、聖書学者の働きはいっそう求められるようになっている。 それゆえ、教皇庁聖書委員会は歴代の諸教皇によって委ねられた任務を果たすために、 以下の事項を提案し、説明することを適宜と考えた。 646 1.カトリック聖書学者は、教会に導かれて、 先達の聖書注解者、 とりわけ教父や教会博士が聖書を理解するために貢献したすべてのことから有益な示唆を受け、 彼らの働きを続けなければならない。福音の恒久の真理と権威を十分に明らかにするために、 解釈上の理性的でカトリック的な原則を厳密に守りながら、 新しい釈義の補助手段、特に広い意味での歴史学的方法がもたらす補助手段をつとめて利用しなければならない。 この方法とは資料を綿密に研究して、その性格と価値を明確にし、 これを本文批判、文学批判、言語研究のための補助手段として用いることである。 聖書学者は、教皇ピオ12世が 「・・・聖書記者によって用いられた表現形式ないし文学様式がどこまで真にして紛いものでない解釈につながるかを賢明に追求するように。 またこれは自分の任務の一部であり、カトリックの解釈を損なうことなしに、 これを疎かにすることはできないと納得しなければならない」 647 場合によっては、聖書学者は福音書のいっそう十全的な理解のために適正に用いることができる 「様式史的方法」にある健全な要素を研究することができる。 しかし、この方法には証明できるにはほど遠い哲学的かつ神学的原理がしばしば混在し、 その文学性の研究において方法自体も、また結論もゆがめることが稀ではないから、 よく注意してかからなければならない。この方法を標榜する一部の学者は、 唯理主義の先入観に欺かれて、超自然的秩序の存在と、 この世界の中に固有の意味での啓示の働きによってなされる位格神の介入、 奇跡と預言の可能性と存在を認めることを拒否する。 ほかの学者は、信仰にとって歴史的真理はどうでもよいものであり、 しかも信仰がこの真理とは両立できないというような、誤った信仰概念から出発する。 また一部の学者は、啓示の文書にある歴史書としての価値と性格を先験的(アプリオリ)に否定する。 最後に一部の学者は、キリストの証人としての使徒たちの権威とその任務、 初期の教会共同体へのその影響を過小評価して、この共同体の創造能力を誇張する。 このすべてはカトリックの教えに反するだけでなく、 学問的根拠に欠け、正しい歴史学的研究方法の原則ともかけ離れている。 648 2.聖書学者は、福音書の中に伝えられる事柄の確実性について正しく断定するために、 イエスの教えと生涯がわたしたちまで達する伝承には3つの時期があったことを、 つとめて考慮する必要がある。 649 主キリストは、弟子たちを選んでご自分の同伴者とされた。 650 使徒たちは、イエスの証しを立てながら、 651 この最初の教えはまず口頭で、 つぎに−まもなく多くの者が主イエスに関する《事柄の記述を整理しようと》 652 この福音書の起源と作成に関するすべてのことに注目せず、 最近の研究が貢献した賞賛すべきあらゆる成果を適正に用いなければ、 聖書学者は聖書記者が何を意図し、 実際に何を言ったのかを見抜く自己の努めを果たすことができない。 新しい研究が貢献した成果により、 イエスの教えと生涯がただ記憶されるようにと単に報告されたものではなく、 教会にとって信仰と道徳の基礎となるようにと「宣教された」ものであるから、 聖書注解者は福音記者たちの証しをたゆまず探求しながら、 福音書がもつ不朽の神学的価値をいっそう深く示すとともに、 教会の解釈がどれほど必要であり、重要であるかを、このうえもなく明らかにすることができる。 653 多くの、しかも重大な問題が残っており、 その解明と説明にあたってカトリック聖書学者は英知と才能を自由に働かすことができるし、 また働かさなければならない。 それはだれもがそれぞれ貢献することによってすべての人が利益を得、 聖なる教えが日増しに発展し、教会の教導職による判断を準備し、 さらにこれを支え、教会が守られ、誉れを帰せられるためである。 654 3.神学校やその類の教育機関で教える務めを託された教師が、 「まず心がけなければならないのは、 まさにこの学問の重要性と時代の要求に応じて聖書を教える」ことである。 655 4.キリスト教徒の民を聖なる説教をもって教える者は、 このうえもなく賢明である必要がある。 「あなた自身と教えとに気をつけよ。このことをしっかり守れ。 そうすれば、あなた自身も、 あなたの言葉を聞く人々も救うことになる」 656 この賢明の徳は、特にキリスト教徒の中に出版物を広める人々が特に重視しなければならない。 神の言葉の高い次元の宝を注意深く提供し、 「信徒たちが正しい生活に励むよう動かされ、燃えるように」 657 すでに当教皇庁聖書委員会は、以下のことを思い起こさせることを適切と考えた。 つまり、聖書に関して出版される書物と雑誌や新聞の論文が、 宗教的な内容であり、信徒の宗教的養成に関わるものであるかぎり、 教区裁治権者の権威と裁治権のもとにあると。 658 5.聖書関連組織の運営を任されている者は、 教皇庁聖書委員会が定めた法規を厳守しなければならない。 659 このすべてが守られるなら、聖書の研究は信徒たちの利益となろう。 聖書は、「キリスト・イエスにおける信仰によって救いに至るよう教えることができます。 聖書はすべて霊感によるもので、人を教え、戒め、誤りを正し、 正しさに導く教育をするために有益です。 それは神の人があらゆる善良な業を果たすために教えられ、 完全な者となるためです」 この指針は、パウロ6世教皇聖下が1964年4月21日に下記の顧問に寛大にも謁見をお許しになったとき、 承認し、その公表をお命じになったものである。 ローマにて、1964年4月21日 |
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顧問 ベニヤミン・N・ワンバック、O.Praem ., |
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福音書の歴史的真理性に関する指針解説 |
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1964年4月21日、教皇庁聖書委員会は『福音書の歴史的真理性に関する指針』を発表した。
それは聖書の中でも、福音書研究に関するもので、
カトリック教会にとってきわめて意義深いものである。
その意義は、この指針が1943年にピオ12世が公布した回勅
『ディヴィノ・アフランテ・スピリトゥ』の指導方針に沿い、
特にその中で未解決の問題としたものに答えると共に、
第2ヴァティカン公会議の啓示憲章第5章第19項(福音書の歴史性)
を直接準備するものであったということにある。
こうして、これはその後のカトリック教会における福音書研究にひとつの貴重な方向を示した。 指針発表のきっかけ この指針の発表のきっかけは、 遠いものとしてはプロテスタントの聖書学者ブルトマン(R.Bultmann)が提唱した福音書の様式史的研究法にある。 カトリック教会はこの指針でその問題をどう受けとめるかについて、 基本的な態度を表明した。ブルトマンは、1921年その著作において福音書の文学様式に着目し、 これを詳細に分析し、その文学様式が原始キリスト教の生きた諸活動の中で産み出されたものであることを明らかにした。 それと同時に、そのような文学様式で書かれた福音書からは、 原始キリスト教がどのようなイエスを信じていたかがわかるが、 歴史的な人物としてのイエス実像は知ることができないし、 また問うてもならないと主張した。この学説はプロテスタント聖書学者の間で論争を巻き起こしたが、 カトリック聖書学者の中にも飛び火した。カトリック教会がそれにいかに答えるのか、 その答える時期が熟したと言えよう。 さらに近いものとして、カトリック教会では 1960年歴史批判学的方法をもって聖書研究の最先端を行く聖書学者を非難する声があげられたことがある。 それは、ラテラノ大学の聖書学教授ロメオ(A.Romeo)で、 彼は特に教皇庁聖書学研究所をやり玉にあげた。1961年6月20日に、 検邪聖省は聖書解釈にあたっては教会の教導職に従うよう勧告(Monitum)を発し、 同年8月24日付け『オッセルヴァトーレ・ロマーノ』紙上でルッフィーニ枢機卿(E.Ruffini)は ピオ12世の回勅『ディヴィノ・アフランテ・スピリトゥ』の撤回を求めるような論文を掲載し、 同年9月に同枢機卿は新しくヴァティカンの国務長官になったチコニャーニ枢機卿に手紙を送り、 前国務長官のタルディーニ枢機卿が教皇庁聖書研究所の二、三人の教授を退任させることになっていたと知らせた。 こうして、1961−62年の学年度が終わり次第、同研究所の教授S・リヨネ(S.Lyonnet)、 M・ツェルヴィック(M.Zerwick)が教職追放となった。その間の教皇ヨハネ23世の考えはあまり明らかではないが、 同究所の学長フォークト(E.Vogt)を公会議の神学委員会の委員に選出し、 また教皇庁聖書委員会の無為無策に不快感を抱いたと言われる。 1963年6月に教皇に選出されたパウロ6世は、 教職を追放された二人の聖書学者をすぐに復帰させ、 同教皇のもとで教皇庁聖書委員会がこの指針を作成し、発表することになった。 指針の要点 ブルトマンの問題に対してカトリック教会が取ったのは、 プロテスタント聖書学者における論争の推移を参考にしながらの取捨選択の態度といえよう。 福音書の様式史的研究法が有効であり、重要であること、 福音書に読み取れるのは原始キリスト教が信仰するキリストであることは認められるだけでなく、 認めなければならない。 しかし、それによって歴史的人物としてのイエスはまったく知ることができないという結論は認められない。 その研究法は正しく、原始キリスト教における福音伝承の理解に大きな貢献をしたが、 その結論は正しいとは言えない。R・ブルトマンによるこの結論には、 アプリオリ(先験的)な哲学があって、 それは当時大きい影響を及ぼしていたM・ハイデッガーの初期の実存主義哲学で、 そこにきわめて優れた側面と共に問題が潜んでいた。 このブルトマンの貢献と限界については、 1984年の教皇庁聖書委員会発表『聖書とキリスト論』(1.1.8と1.2.8)の中に、 また1993年の同委員会発表『教会における聖書の解釈』(第2章、A)の中に、繰り返し指摘がある。 この指針は、まず単純に福音書にイエスについて歴史的で客観的な真理が記述されているとは言っていないことに注目しなければならない。 つまり、福音書が記述するまま、そのまま歴史的事実であるとは言っていない。 実は、このようにファンダメンタリズムの聖書解釈を退けている。 これはきわめて重要な指摘で、今日でも堅持されている。 1993年の教皇庁聖書委員会発表『教会における聖書の解釈』(第1部、F)の中でも、 その聖書解釈に対する警告が言われている。ここにR・ブルトマンが説いた学説の積極的な意義がある。 この指針では「客観的」という用語もなく、「歴史的」という用語もきわめて少ない。 しかも、「歴史的真理」ではなく、「歴史的真理について」を問題としている。 この福音書の歴史的真理について判断するために、 この指針が積極的に指摘していることが、さらに注目に価する。 つまり、歴史的人物としてのイエスから始まって福音書が作成されるまで、 三つの時期ないし段階があったことを自覚しなければならないということである。 つまり、まずイエスが人間として生きて活動した時期、 つぎにそのイエスを死と復活後キリストとして弟子たちが信じ、 宣べ伝えた時期、最後に福音記者が福音書を作成した時期を区別するということである。 これが意味する重要なこととして2つを指摘したい。 その第一は、歴史的人物としてのイエスの言葉と活動そのものを確認するためには、 福音書がどのような経過を経て作成されたものであるかを十分意識する必要があるということ。 この指針は、歴史的な人物であるイエスから福音書の内容が由来することを確信しながらも、 信仰をもって書かれたこの書物からさかのぼって歴史的なイエスの事実を確かめるのは微妙な問題であると、 注意しているといえよう。福音書はただ単なる歴史的事実の報告ではなく、 あくまでイエスを証言するものであるから、それは当然である。 こうして、どこまで歴史的イエスの事実を確認できるか、 個々の場合については聖書学者の今後の研究に委ねたのであろう。 第二は、特に福音書が作成された段階を指摘することによって、 当時聖書学者が福音書研究において採用しはじめた編集史的方法の有効性と重要性を推奨したことである。 それまでプロテスタント聖書学者の中で支配的であった様式史的研究法では、 福音の内容が原始キリスト教の中でどのように伝承されたかを明らかにしようとしたが、 福音記者がその福音書の作成にあたりどのような活動を行ったのかは軽視されていた。 実際には福音記者は口頭ないし書面で伝承されたものをただ受け渡すだけではなく、 これを資料として用い、それぞれ著者として福音書を作成している。 ここに注目してそれぞれの福音書のメッセージを読み取ろうとするようになった。 これが編集的方法と言われ、福音書を福音書として理解するためにどれほど有効であるかは、言うまでもない。 それ以来プロテスタントでもカトリックでも書かれる福音書注解はすべてこの編集史的方法による。 この指針が書かれたのは、まずはカトリックの聖書学者に向かってであった。 それに神学校や同類の教育機関の聖書の教師、教会で説教する者、 出版に携わる者にも向けられている。しかし、特に聖書の読者が多くいる日本では信徒は勿論のこと、 一般人にもこの指針は広く知られることが望ましい。 それによって福音書についての様々な誤解が正され、理解が深められる。 たとえば、編集史的方法によって書かれた福音書注解書に、 歴史的人物としてのイエスの言葉や行動がどうだったのかを求めるというような見当ちがいが見受けられるが、 それを正すだけでも、福音書の理解は深められる。 他方、イエスの言葉と行動そのものがどうだったのかは、 別の判断基準をもって追求されることを知っておく必要がある。 この指針は、カトリック教会の聖書関連公文書の中で1943年教皇ピオ12世が公布した回勅 『ディヴィノ・アフランテ・スピリトゥ』の延長線上にある。 カトリック教会はそれまで近代に始まった聖書学に対して、 これをまだ試行錯誤の段階にあるものとして信仰にとって必ずしも有益であるとはいえず、 むしろ危険なものと見なしてきた。同教皇はこの回勅をもってその成果を認め、 初めて積極的に評価し、具体的にその研究方法を指摘もした。 それは聖書言語を修得すること、本文批判(Textual Criticism)が重要なこと、 聖書の字義的意味(sensus litteralis)の追求が基礎的な作業であること(Philological Studies)、 これを基礎として聖書の霊性的意味(sensus spiritualis)も追求しなければならないこと、 さらに聖書記者の性格、生活環境を考慮し、 特にその表現法ないし文学様式に注目して彼らの言おうとするところを読み取る必要があることである。 さらに古代オリエント研究の中で聖書関連の諸学を深めるよう奨励した。 このすべての研究法は、この指針では当然のことして前提されている。 福音書研究に文学様式史的研究法を用いることに関しては、 前述したR・ブルトマンの学説に問題があり、態度を保留しながら論争の推移を見守った末、 この指針で答えを出したと言える。こうして、福音書も含めて全聖書の研究のために、 歴史批判学的研究方法がカトリック教会において公認された。 その後、この研究法により、聖書研究は大いなる発展を見た。 しかし、その後で新たな問題が生じた。それは聖書学の発展があまりにも細分化し、高度化したわりに、 一般信徒や読者に単純に聖書の生き生きとした豊かなメッセージが伝わって来ないということにもなった。 その聖書学に対する拒否反応として、ファンダメンタリズムを招く結果にもなった。 また、歴史・批判学的研究方法を補完するものとして、 あるいはまったく別にいろいろな研究法や聖書に近づく道が提案され、 盛んにそれが推し進められた。その結果として、 さまざまなイエス観ないしキリスト論が提唱されるようになった。 第2ヴァティカン公会議は聖書を主たる基礎として教会とは何かを見直したが、 その教会の創始者であるイエスの理解がさまざまと提唱されると、 教会とは何か、また教会はいかなる活動をすべきかについても多様な主張がなされることになる。 そこでその多様なキリスト論を前にして、いかなる判断をすべきかについて、 1984年に教皇庁聖書委員会は『聖書とキリスト論』を発表した。 またそのイエスをいかに理解するかは、聖書をいかに解釈するかにかかっているので、 1993年に同委員会は『教会における聖書の解釈』を発表した。 その多様なキリスト論と多様な聖書解釈法を前にして批判的に識別する必要があるが、 開放的な心の目と平衡感覚をもって眺めれば、 現代世界が突きつける多様な問題に答えるための鍵が与えられよう。 この多様で複雑な現状を理解するためにも、 1964年の時点でカトリック聖書学が達していた実情を踏まえておくのも参考になろう。 この指針は、公布後まもなく解説と共に翻訳され、上智大学神学部の学術雑誌『カトリック神学』、 第6号(1964年)、376−393に発表された。 この記事を入手するのは容易でなく、 その日本語も古くなった感があるので、ここにあらためて翻訳を試みた。 | |||||||||||||||||||||||||||||
ラテン語原文: |
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主な参考文献 |
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