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エウカリスチアの年
−2004年10月−2005年10月−
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 教皇ヨハネ・パウロ2世は、2004年10月−2005年10月を「エウカリスチアの年」と宣言された。 2005年の新年はその真っただ中で明けた。 全世界のカトリック教徒に呼びかけられたこの教皇の牧者としての心遣いが、どこにあるのか、注意深く耳を傾け、その期待にこたえるようにしたい。 大天災や民族紛争がもたらす悲劇が相次ぎ、その救援のために休む暇もないが、わたしたちの信仰そのものを見つめ、反省し、 深めることを怠ってはならないという呼びかけとも言えよう。
 エウカリスチアとはラテン語であり、そのもとはギリシア語で、一般的には感謝を意味するが、 ここでは特に主イエスが最後の晩餐のときに唱えられた「感謝の祈り」(ルカ22:19;1コリ11:24)に由来する。 それは日本語で「感謝の祭儀」とか、「聖体」とか、「ミサ」とか、「主の晩餐」とか、「聖餐」とか訳されるが、これらの個々の訳語では翻訳し尽せない、 主イエスの最後の晩餐を記憶(記念)して秘跡として行われる教会の典礼行為の意味を総括して言う。 それゆえ、教会はこのギリシア語をそのまま用いてきた。 英語で the Eucharist、フランス語で l'Eucharistie、 ドイツ語で das Abendmahl 「晩餐」と並んで、die Eucharistie と言う。 したがって、わたしたちもこの機会にエウカリスチアという用語に慣れ親しむことにしたい。
 エウカリスチアが教会にとってどれほど重要なものか、教皇ヨハネ・パウロ2世は就任以来強調されてきたが、 特に2003年4月17日発布の回勅『教会に命を与える聖体』(Ecclesia de Eucharistia、2003年7月、カトリック中央協議会発行)を公表して、その胸の中を明らかにされた。 この回勅は内容的に凄いと思う。 それは、神学的に聖書学を前提として典礼学のみならず教会論、秘跡論、マリア論の組織神学各論を総合し、 司祭、修道者、信徒を含めた教会全体が霊性的に深められるよう呼びかけている。 その内容は、第2ヴァチカン公会議(1962−65年)の典礼憲章、教会憲章、啓示憲章に基いているが、 それだけでなく同公会議後40年その決議に沿って教会が生きることによって深めた信仰理解も示している。 その教会の歩みの中で、西暦2000年の大聖年は最も意義深い出来事であった。 そのとき全世界の信徒に理解を深めるよう呼びかけられた主題が「受肉の秘義」であった。 それは、1994年11月10日発布の教皇ヨハネ・パウロ2世の使徒的書簡『紀元2000年の到来』(カトリック中央協議会、1996年)と、 1998年11月29日発布の『受肉の秘義』−2000年の大聖年公布の大勅書−(東門陽二郎訳、カトリック中央協議会、1999年1月20日)で明らかにされている。 ナザレのイエスが「肉となった御ことば」(ヨハネ1:14)であるという信仰とそれが意味するものを深く瞑想し、反省するよう促された。 実は、その延長としてエウカリスチアがある。 エウカリスチアをとおして、「肉」、つまり儚く脆い人間となられた神の御ことばとしてのイエスがパンとぶどう酒として、 時代と地域を越えてわたしたち一人ひとりの養いとして現存しておられる。 このエウカリスチアにおいて聖別されたパンとぶどう酒は神の御ことばであるイエスにほかならない。 教会はこのエウカリスチアにこそその命の源泉をもつ。 またここにキリスト教信仰の核心があり、キリスト教とはこのイエスを礼拝する宗教と言わなければならない。 つまり、キリスト教はイスラーム教のように天にいます唯一の偉大なる神アッラーの前に額ずくのでもなければ、 ユダヤ教のようにただ天にいます父なる神の前に額ずくのでもなく、 その父なる神の御ことばとして受肉し(人間となり)、 エウカリスチアにおいて聖別されたパンとぶどう酒として現存するイエスの前に額ずく宗教にほかならない。 このイエスを神として礼拝することによって父なる神を礼拝する宗教である。 このように受肉(インカーネイション)の秘義を前提として、その延長としてエウカリスチアの秘義がある。 したがって、教皇ヨハネ・パウロ2世は、2000年の大聖年の企画の締めくくりと統合としてエウカリスチアの年を宣言された。
 このエウカリスチアの年をいかなる心構えで迎えるべきか、 教皇ヨハネ・パウロ2世は、2004年10月7日発布の使徒的書簡『主よ、一緒にお泊りください』 (Mane nobiscum Domine、カトリック中央協議会、2004年12月25日)を世に送られた。 この教書は、前述の回勅などを引用しながら、また特に福音書のエマオの記事の中の句を解説しながら、 司牧者としてエウカリスチアの秘義を説いており、感動的でさえある。 比較的短いので、是非一読していただきたい。エウカリスチアの年は、2004年10月10−17日、 メキシコのグアダラハラで開催された国際聖体大会で始まり、2005年10月2−29日にヴァチカンで開催される世界司教シノドス会議で締めくくられる。 したがって、2003年の国際聖体大会は特別な意味のあった催しであり、 司教シノドス会議の主題も「教会の命と使命の源泉かつ頂点としてのエウカリスチア」である。 また、2005年8月16−21日にドイツのケルンで開催されるワールド・ユース・デイもエウカリスチアの年の行事として位置づけられている。 また各国司教団、各教区、各小教区、修道会、修道院でも「エウカリスチア的霊性」を深めるよう呼びかけておられる。 それを受けて典礼秘跡省はいっそう具体的にいろいろな実践上の提案を行っているが、 そこには「エウカリスチア的霊性」とは何かの基本も提示されていて、現教皇が希望するカトリック教会の霊性の深まりへの配慮が現されている。
 また教皇ヨハネ・パウロ2世は2002年10月16日に使徒的書簡『おとめマリアのロザリオ』(カトリック中央協議会、2003年1月17日)を公表し、 2002年10月−2003年10月をロザリオの年として宣言されたが、 この聖母マリアへの信心とエウカリスチアの秘義との関係も深いものであることを示された。 教皇によると、ロザリオの信心は孤立した祈りではなく、聖母マリアの目でイエスの御顔を眺めるところにその重点があり、キリスト中心的な祈りにほかならない。 そのマリアの目こそ教会の目となるべきものである。 このように聖母マリアが教会にとってどういうおかたであるかを説いた上で、エウカリスチアの秘義とも整合性があることを説かれた。 結論的で言えば、エウカリスチアにおいて聖別されたパンとぶどう酒は聖母マリアの胎内で肉となられた御ことばであるイエスであり、 それはわたしたちへの聖母マリアの贈り物でもあるという。
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