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エウカリスチアの年の学び(3)
−聖書とエウカリスチア−
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   エウカリスチアの起源はイエスの最後の晩餐にある。 この最後の晩餐がいかなるものであったかを証言しているのが聖書で、聖書に基いて、エウカリスチアに関するカトリック教会の信仰理解とその実践がある。 聖書と言っても、それは新約聖書である。そのときのイエスの意図と意志が、時代と地域を超えて主の晩餐の起源であるばかりでなく、絶えざる力と恵みの源泉である。
 歴史的人物としてのイエスは、12使徒たちと共に最後の晩餐を行なわれた。 それは、さし迫ったご自分の十字架上の死を目前にしてのことであった。 そのときイエスは、この死を意味するものとしてパンとぶどう酒をもって象徴行為を説明しながら行われた。 またイエスはご自分の死後その死を記憶して同じように象徴行為を行うよう使徒たちにお命じなった。 その死後、間もなく使徒たちはイエスがお命じになったとおり実行した。 新約聖書はイエスの死後その使徒たちを中心として集まった初期のキリスト教徒たち、 −これはエルサレムで「神の教会」と言われた− が、実践していたことを証言している。 そこにはその最後の晩餐の歴史的事実の本質と共にイエスについての彼らの信仰理解も込めて書かれている。 これがその後の教会の主の晩餐の規範となっている。
 ここでそのエウカリスチアの原初的意味を新約聖書に求めることとしたい。


 最後の晩餐を伝える記事
 マタイ26:26−29、
 マルコ14:22−25、
 ルカ22:14−18、19−20、
 1コリント11:23−26

 イエスは最後の晩餐のときに、エウカリスチアを制定された。それがいかなるものであったかを伝える記事が4つある。 その中で時代的に最古の記事は1コリント11:23−26。 これと共に1コリ10:14−22もその意味を説いている。 これらは最古の記事であっても、この手紙の著者パウロは、1コリ11:23−26ではコリントのキリスト教徒の貧者の差別扱いを戒める文脈の中で、 当時の教会の中で伝承されているイエスの最後の晩餐の本質的部分を引用する。 その中にはイエスの十字架上の死への言及があっても、その受難の記述はない。 それゆえ、最後の晩餐からイエスの受難へと書き連ねる福音書の記事がなければ、最後の晩餐とイエスの死との関係は深くは理解できない。 他方、1コリ10:14−22では、コリントのキリスト教徒に偶像崇拝に参加しないよう呼びかける文脈の中で、 主の晩餐でぶどう酒とパンの装いのもとにキリストの血と体をいただくことに言及し、それがどういうことなのか、 つまりキリストとの「交わり」(コイノニア、コムニオン)の意味を説いている。 この2つの記事は、イエスの最後の晩餐の本質に迫ると同時に、 始まったばかりの教会でその最後の晩餐のときのイエスの意志、意図がどのように受けとめられていたかを知る手がかりとなる。

 共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)は、イエスの受難の直前に行なわれたこととしてその最後の晩餐を書き記している。 そこでは最後の晩餐に居合わせた12使徒たちのことも言われている。 この12使徒も重要な要素で、これがなければ最後の晩餐のときのイエスの意図、意志を証言するものもなく、エウカリスチアに関する伝承もなかったであろう。 またこのように最後の晩餐におけるエウカリスチアの制定とイエスの受難と死との関係も明らかにされている。 この3共観福音書の記事の中で最古のものがマルコ14:22−25であり、 これに基いているのが、マタイ26:29−29。 それに対して ルカ22:14−18、19−20 はむしろ 1コリ11:23−26との親近性をもつ。 これはパウロが引用するので、アンティオキアの教会で伝承されていたものではないかと思われる。 そうすると、マルコとマタイの記事はどこにあった伝承であろうか。 それはカイサリアかもしれない。 いずれにせよ、エルサレムの教会で始まったエウカリスチアは、まもなくその教会の広がりと共に、 各地方に広がることになり、 そのそれぞれの地方教会でその土地の宗教文化的環境に順応させながら伝承された。 それが共観福音書の資料として採用され、福音書それぞれに伝わっている。
 ここでそのエルサレムの教会が、そのごく初期にはユダヤ本国のユダヤ人キリスト教徒によって構成されていたことを指摘しておく。 彼らの言語はアラマイ語であった。ヘブライ語は死後となっていたが、旧約聖書がヘブライ語で書かれていたので、宗教生活では用いられていた。 しかし、その旧約聖書のアラマイ語訳も始められ、公的礼拝で用いられるようになっていた。この翻訳聖書をタルグムという。
 まもなくエルサレムの教会には、離散の地出身のユダヤ人キリスト教徒が洗礼を受けて加わるようになった。 ステファノやバルナバ、それにパウロなど、その名が知られている。彼らは当時の国際言語であるギリシア語に堪能であった。 その離散の地出身のキリスト教徒により、エルサレムの教会は各地方へと広がり始めた。 こうしてやがて異邦人も洗礼を受けて教会に加わるようになった。その地方で用いられる言語がギリシア語であるから、ギリシア語が教会言語となった。 また彼らが用いる旧約聖書も、前3世紀にアレキサンドリアで翻訳されはじめたギリシア語70人訳聖書であった。 こうしてまた新約聖書もすべてギリシア語で書かれることとなる。
 共観福音書の最後の晩餐の記事もすべてこのギリシア語で書かれている。 しかし、その中には始まったばかりのエルサレムの教会で用いられていたヘブライ語ないしアラマイ語に遡る表現も含まれている。 それはギリシア語としてはぎこちないなどの特徴があって、見分けることができる場合がある。 したがって、そこには最後の晩餐における歴史的人物としてのイエスの原初的意図、意志が読み取れると同時に、 それが各地方で文化内順応(インカルチュレーション)されながら伝えられる過程も見ることができる。 このような性格をもつ最後の晩餐の記述が、書きとめられた使徒伝承としてその後の教会の規範となっていた。

 共観福音書の中には、イエスが行なわれたパン増加の奇跡物語も書き記されている。 この物語の伝承も主の晩餐を祝う中で、イエスの最後の晩餐を考えながら、語り継がれたと思われる。 それゆえ、この物語の中にも、エウカリスチアの意味が説かれている。 この物語は、マルコ福音書の中でも2回書かれており、重複記事である。それをマタイ福音書も踏襲する。
 マルコ6:30−44; マルコ8:1−9a(重複記事)
 マタイ14:13−21; マタイ15:32−39
 ルカ9:10−17。
 また復活したキリストとの関連で、ルカ24:13−35。

 ヨハネ福音書は、独特の観点からイエスが与えるパンの意味を説明する:ヨハネは最後の晩餐の代わりにイエスが弟子たちの足を洗われたという記事を書いて、 晩餐の意味を説く (ヨハ13:1−20)。 他方、ヨハネ6:1−71でパン増加の奇跡物語を発展させて、秘跡としてのエウカリスチアの意味を説く。
 使徒言行録の中にも始まったばかりの教会で行なわれていた最後の晩餐と十字架の死を記憶する集会に言及するところがある 使2:42−47; 16:32−34[?]; 20:7−11。

 これらの新約聖書の記述は、旧約聖書を前提に書かれていることをつけ加えておく。 特に出エジプトを記憶して祝う過越しの祭り、それに荒れ野の旅、シナイにおける神とその民の契約(出エ1−24)、 新しい契約(エレミヤ31:31−34と出エ34)を前提としている。また主のしもべの歌(イザヤ53)も鍵となる。 これら前提とされる旧約聖書を念頭に最後の晩餐の記事を読めば、イエスがその死をもって、新しい神の民として教会を設立しようとされたことがわかる。 エウカリスチアは、時代と地域を越えてそのイエスの死を「記憶」するものであり、この記憶もその原初的な出来事をたえず現在化するという意味で言われる。

 それがイエスの告げた神の国と父なる神といかなる整合性があるのかを知るためには、 詩編93−99、100を経て、詩編103−104を注意深く読むことが勧められる。 それにその秘跡性を知る手がかりとして詩編47と詩編93の考察も参考になる。 ここで主題は王としての神なる主の登位だが、永遠に王である神が祭儀において繰り返し王として登位するとはどういうことか、 つまり古代イスラエル宗教における祭儀で、永遠性とその出来事としての一時性がいかに考えられていたのか、示唆があるのではないだろうか。 そこにエウカリスチアにおいて繰り返されるイエスの十字架上の死、現存してたえず現在化されるその力ある救いの御業を理解するための示唆があるのではないかと思う。 ただし、どの詩編も注意深く読まなければならない。それでは聖書の記述を、一つ一つ読むこととしよう。
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