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モーセが死んだ場所 ![]() この記念碑を見ながら進むと、教会の裏に行きつくが、その横を通って教会の正面に出ると、 青銅の十字架(現代の彫刻家G.Fantoniの作)が立っており、その向こうにヨルダン渓谷が一望のもとに見渡せる。 そこに立つと、左に死海、正面の眼下にはヨルダン川筋を超えて、イスラエルの山々まで見ることができる。 空気が澄んでいれば、エルサレムの「岩のドーム」まで見えるという。 シヤガの北にはモーセの泉の谷とも言われる涸れ谷があり、ヨルダン川に向かって西に下っているが、 その途中に木立があるところがあり、これが「モーセの泉」の位置で、今日も清水を湧き出している。 他方、ファイサリヤの村から左に2キロほど行ったところがキルベト・エル・ムカイヤトで、これがネボの町があったところとされている。 ここにも幾つかの教会跡が発掘によって明らかになった。 |
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モーセの死の記念聖堂 1932年に、イスラエル、ヨルダン、シリアにあるローマ・カトリック教会の聖地保管部 (Custodia Terrae Sanctae、フランシスコ会に委託)がこの地を購入した。 それ以来フランシスコ会がこの地を保管すると共に、ここにある教会と修道院の遺跡の発掘調査を行い、 その遺跡の一部に聖堂を建て、この地の信徒のため、また巡礼者のために祈りの場を提供してきた。 この地には西暦4世紀以来教会があったことが、エテリア巡礼記などによって知られているが、 その教会が発掘によって明るみに出された。その教会も現在の中央の祭壇のあたりが最も古く、これは西暦4世紀に遡る。 これを中心に2つの列柱によって3つのネーブに分けられる長方形の空間が加えられた。 このとき南側のネーブの先端のナルテックスにモザイクの十字架がある祭壇も造られた。 さらにその南側とこれに対応して北側に埋葬用の小聖堂が造られた。 さらにその北側の小聖堂にディアコニコン(祭儀用の間)兼洗礼堂が造られたが、その床のモザイクがすばらしい。 その枠外に碑文があって、そこには職人たちの名前やマダバの司教や修道院の院長や恩人たちの名前が書かれており、 その日付として531年8月8日が刻まれている。さらに6世紀から7世紀にかけて改造が行われ、 南側の小聖堂のあったところには新しい洗礼堂、さらに神の母マリアにささげられた小聖堂が造られた。 このすべてを含んで現代の聖堂があるが、その周囲にも遺構があり、ここにはかなり大きな規模の修道院があったことがわかっている。 西暦4世紀から6世紀にかけてのビザンツ時代に、ここで教会が大いに賑わっていた。 写真下は、現在の教会の正面。この正面の前からヨルダン渓谷が眺望できる。 |
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この聖堂の内部では、中央祭壇付近が最古の聖堂で、その祭壇の正面奥と左右に、合計3つのアプスがあった。 これに3つのネーブからなる長方形の間がつけられ、バジリカとなった。 その右の奥に美しいモザイクの十字架がある祭壇が造られている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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聖堂の北側に壁で隔てられたディアコニコン(典礼用予備室)兼洗礼堂がある。洗礼用の泉は十字架形をしている。 そこには三方から段があって降りられるようになっており、もう一方は流し台のようになっていて、 これは幼児の洗礼のためのものであろう。 この中央の大モザイク画は、狩猟と牧畜を主題としている。それが4段で描かれているが、 最も奥の第一段にはライオンから牛を守っているところを描き、第2段では熊といのししの狩をしているところを描き、 第3段は左端の木陰に座って家畜の番をしているところを描き、第4段はだちょうを紐で引く黒人、 しま馬とらくだを紐で引く若者を描いている。その間に樹木や草花が描かれている。 |
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参考文献 Le Monde de la Bible 44, Moise au Mont Nebo, mai-juin-juil 1986 |
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モーセの死 モーセはネボ山のピスガの頂から、約束の地を眺望して死んだと言われる(申命記第34章)。 このモーセの死をもって、申命記は締めくくられる。こうして申命記全体は、モーセが死ぬ前に自分の民に与えたことば、 つまり遺言として書かれていることになる(申命記第1章1−5節の序文を参照)。 その内容として、主なる神がイスラエルの民とシナイにおいて結ばれた契約(出エジプト記第19−24章)に代って、 新たにモアブの地において結ばれた契約が書かれている(申命記第28章69節参照)。 この契約は、これが書かれた当時、大王とその従属諸侯の間に交わされた契約の書式で書かれている。 その書式は、おおまかに言って前言、契約条項、祝福と呪いの順に書かれており、 前言で大王と従属諸侯の過去の関係を振り返り、契約条項で従属諸侯が今後守るべきことを述べ、 祝福と呪いでは従属諸侯が今後忠実であれば祝福が約束され、不忠実なら呪いが来ると脅かされる。 申命記も第4章44−49節+第5−11章が前言となり、第12章―26章15節が契約内容、 第26章16−19節+第27章9−10節が契約締結、第28章1−68節が祝福と呪いとして書かれている。 そのイスラエルの民が守るべき契約条項は、十戒の具体的な適用の遵守にほかならない。 この契約が、モーセの死後イスラエルの民がヨルダン川を渡って約束の地に入ってから守らなければならないものとして書かれている。 この申命記の契約が書かれたのは、イスラエルの民が約束の地に入ってから数世紀経ってからのことで、 申命記第4章44節―第28章68節は、前622年のヨシヤ王の宗教改革の時代にこの改革を支持して書かれたと考えられている。 このようにこの契約文書は、主なる神への徹底的な忠実を呼びかけて書かれたが、改革は挫折し、 しかも前586年にはエルサレムはバビロニア王によって陥落し、生き残りの民はバビロンに捕らわれていくこととなった。 そのバビロンの地で、申命記第1−第4章43節、第29−34章が書き足された。 この著者はイスラエルがその契約に対していかに不忠実であったかを意識し、 契約違反の場合に予告されていた呪いが実現したことさえ、体験しているとして書いている。 その捕囚の苦悩の中でイスラエルの宗教伝承の中に伝えられる神のことばに心の目を向け、 その御前で自己を反省しながら書いている。その観点から、申命記第34章でモーセの死も書かれている。 エジプトで虐げられていたイスラエルの民を導き出し、長くて厳しい荒れ野の旅も終わろうとするとき、 その目標としてきた約束の地を見ることをゆるされたが、そのモーセ自身はここで死んでいかなければならない。 このモーセに何の罪もなかったのに、同世代の民の罪のゆえにここで死んでいかなければならない。 この運命にもかかわらず、盲目的とさえいえる徹底的従順をもって、主なる神の意志に自分を委ねた。 そういう意味で「主の僕(しもべ)モーセはモアブの地で死んだ」(申命記34:5)と言われる。 この申命記第34章に言われるモーセの死は、ただ申命記の結びだけではなく、 モーセ五書、つまり律法全体の締めくくりでもある。創世記第1章の天地創造で始まるモーセ五書、 つまり律法は、モーセの死で締めくくられる。実は創世記は序言のようなもので、 モーセ五書は内容的に出エジプト記第1−2章のモーセの誕生をもって始まると言える。 その締めくくりが申命記34章のモーセの死と言である。 約束の地を目前に死んでいかなければならないモーセの無念を思わざるを得ない。これが主の僕の運命なのである。 こうして主の僕はその主から託された使命を果す。ネボ山は、この信仰のありかたを思わせる地である。 |
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申命記第31章―第34章を読んで、モーセの最期について考えてみよう。
ここでは主題としてモーセの死(A)とその後継者ヨシュア(B)と律法(C)があり、 それにモーセの歌へ導入(D)が加わって、それがABCBA、DBCDの順序で書かれ、 モーセの歌、CA、モーセの祝福と続き、最後にモーセの死が言われている。 |
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