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T シナイ山
和田 幹男



 シナイ山といえば、モーセが神から十戒を授けられた山として広く知られている。 それは特に出エジプト記第19−24章で、エジプト脱出後、荒れ野の旅をしているイスラエルの先祖に主なる神が顕現し、 契約を結ばれたという文脈の中で出る。 このシナイ山は、4世紀以来のキリスト教の伝承では、シナイ半島南部の山のひとつ、ジェベル・ムサだとされている。 ここではこの山を紹介しながら、聖書の理解も深めるよう努めたい (写真はエル・ラハ平原から夕日に輝くジェベル・ムサ、中央からやや左よりの山陰にサンタ・カタリーナ修道院があり、 その背後の小高い丘の頂上にはモーセとアロンがとどまったことを記念する小聖堂がある)。

 モーセが十戒を授けられてシナイ山は、本来どの山か。
 「シナイ山」は、別名「ホレブ」とも、「神の山」とも、また単に「山」(冠詞づき)とも言われる。 名前は異なるが同じ山を指している。 では、この山は元来どこにあったのだろうか。 西暦4世紀以来のキリスト教の伝承によって確認されるところによると、 このシナイ山はジェベル・ムサ(標高2285m)ということになっている。 そのほかフェイランのオアシスの近くにあるジェベル・モネイジャまたは ジェベル・セルバル(2070m)も遊牧民によって聖なる山として尊ばれているので、 これがモーセのシナイ山かもしれない。 また鉱山があるセラビト・エル・ハディムの近くにあるウム・リグライムかもしれない。 または北シナイ最大のオアシス、カデシュ・バルネアの比較的近くにあるジェベル・ハラルかもしれない。 また聖書を読めば、シナイ山は活火山の様相を呈しているので、このあたりにある休火山を捜してみると、 アラビア半島北部にハラ・エル・ベドルという山があり、これがシナイ山かもしれない。 また最近イタリアの学者E・アナティは、岩に文字のあとが残っているネゲブ南部の山、ハル・カルコムがシナイ山ではないかと、 新しい提案を掲げている。
 このようにシナイ山であり得るものが多くあることから、古代イスラエルの揺籃時代には実際に多くの神の山があったことが考えられる。 つまり、イスラエルが12部族からなるひとつの民を形成する前に、諸部族はそれぞれその部族の歴史をもっていたのであり、 こうしてまたそれぞれ自分の山を持っていたのではないか。 そのそれぞれの部族にあった聖なる山の記憶が、部族の結合とともに融合し、 混合しあって受け継がれるようになったのではないかとも考えられる。 こうして、実際にモーセに率いられてエジプト脱出に成功し、ある山で神の顕現に接して、 その神と契約を結んだというのもそのひとつの部族の体験であったが、 歴史が経過し、他の諸部族と結びついていく中で、その山についての記憶も他の諸部族にある山の記憶と融合し、 他方その元来の山の正確な位置はわからなくなったことも考えられる。 事実、シナイがどこにあったか、聖書にある伝承は曖昧である。
 「主よ、あなたがセイルを出、エドムの地から進まれたとき、...
 シナイの主、すなはちイスラエルの神、主のまえに(山)は揺れ動いた。」(士54ー5
 「主はシナイから来られ、セイルから...パランの山から」(申332
 「神はテマンから来られ、聖なるかたはパランの山から」(ハバクク37
 シナイ山は、セイル、エドム、パラン、テマンともに言われる地方にあったが、 これらの地名はどれも、昔どこにあったものか、正確にはわからない。 他方、イスラエルの先祖がパレスティナに定着し、その宗教的中心をエルサレムに置いてからも、 かならずしも友好的関係とは言えない異民族が住むようになったシナイなど南方の地で起こったことの記憶をとどめている点は注目に値する。 とくに燃え尽きぬ柴の中に神が現れたというミディアン(出31ー6.41ー5参照)は、 ヤーウェ宗教にとって重要な所の一つであるが、このミディアン人とは関係が悪くなっている。 このこと自体、イスラエルの重要な宗教伝承をになった、ある中心的な部族が実際に南方から移ってきたことを示していると言えよう。
 かれらはどこか、YHWHという神の聖所のあるで山に来て、この神を自分たちの先祖の神と同一視し、 自分たちの神の固有の名をYHWHとするようになったことが考えられる。 実際、このイスラエルの神の名はモーセとエジプト脱出のみならず、南の地方とも深い関係があったように思われる。
 さらにまた主なる神の指示で、シナイ山で始められた祭儀は、その後エルサレムの神殿で続けられるようになったが、 この神殿が立つシオンの山がシナイ山にかわって重要視されるようになったということも考えておく必要がある。 それにシナイ山で主なる神と結ばれた契約が時代を超えて祭儀において記憶されてきたのだが、 その祭儀をとおして伝えられてきた伝承を書きとめるたものが、聖書の本文にある記述となっている。 ここに正確な歴史的な事実の報告を期待すること自体問題だという理由がある。
 このような限界があるにもかかわらず、ジェベル・ムサをシナイ山とする伝承は、無視できない (写真左はジェベル・ムサへの登り道、小高い丘の頂上にある小聖堂はモーセとアロンがとどまったという場所、 写真左はジェベル・ムサの頂上、背後に見えるのはこの山塊の最高峰ジェベル・カタリーナ、標高2642m)。 それは実際に主なる神がお現れになってもいいような、実に峻厳、静粛、優美な山である。 ここを訪れる者は皆深い感銘を受ける。その聖書の本文をしばらく瞑想してみよう。
出エジプト記19:1−9の朗読
 イスラエルの子らがエジプトを出てから第3の月のこと、この日に、シナイの荒れ野に来た。 彼らはレフィディムから旅して、シナイの荒れ野に来て、その荒れ野に宿営した。 イスラエルはそこで、山を前にして宿営した。モーセが神に向かって登っていくと、主は山から彼に呼びかけて、言われた。
 「このようにヤコブの家に言い、
イスラエルの子らに告げなさい。
  『あなたたちは、わたしがエジプト人に行ったこと、
あなたたちを鷲の翼にのせて
わたしのほうに来させたことを見た。
  今、もしわたしの声に聞き従い、
わたしの契約を守るなら、
  あなたたちは諸々の民の中から、わたしにとって宝となるであろう。
  全地はわたしのものだからである。
  あなたたちは、わたしにとって祭司たちの国、
聖なる民族となるであろう。』
 これらの言葉は、おまえがイスラエルの子らに言わなければならない」。
 モーセは来て、民の長老たちを呼び、主がお託しになったこれらの言葉を彼らの前に置いた。 すべての民は一同に答えて、「主が言われたことをすべて行います」と言った。 モーセは主に民の言葉を答えとして告げた。主はモーセに言われた。 「見よ、わたしは雲が厚くかかる中を来る。わたしがおまえと語るのを民が聞くため、またおまえにもいつまでも信頼するためである」
 モーセは民の言葉を主に告げたのだった。
シナイにおける神顕現概説
  エジプトを脱出したイスラエルの先祖たちは、シナイの荒れ野に来て、ある山の麓に宿営した (写真はジェベル・ムサの麓に広がる荒野の平原で、アラビア語でエル・ラハという。 ラハとは安息、休息の意、手前の山陰になったところにサンタ・カタリーナ修道院がある)。 そのとき、この山の上に主なる神が顕現し、モーセを仲介者として、その先祖たちと契約を結ばれた(出エ191ー2411)。 出エ19:1−9は、荘厳にその到着したときのことを書く。 「第3の月」、「この日」は、その顕現という出来事があった日付ではなく、そのとき結ばれた契約を記憶する祝祭日があって、 これをその聖書記者の時代にあった典礼暦にしたがって指摘したもの。 「この日」とあいまいなのは、その祝祭日が年によって変わる移動日だったからかもしれない。 このようにシナイにおける神顕現は祭儀をとおして伝えられたことがわかる。
 モーセは山の上に現れた神と山の麓にいるイスラエルの民との間で働く仲介者である。 神はそのモーセを呼んで、契約を結ぼうという意志をそのイスラエルの民に告げさせる(写真はジェベル・ムサの頂上への最後の登り)。 その契約は神と民の関係を言うものだが、その内容が4−6a節に凝縮されている。 その関係の過去を4節で、現在を5節で、未来を6a節でいう。 4節では、イスラエルの先祖たち(「あなたたち」)が、 エジプトの苦役からの解放(「わたしがエジプト人に行ったこと」: 出エ1−1521、特に1317−1431)と荒れ野の旅 (「わたしのほうに来させたこと」: 出エ1522−1827)を可能にした神の慈愛と力強い働きの目撃証人であることを言う。 「鷲の翼」とは、彼らが荒れ野を旅したとき「契約の箱」を神の臨在の象徴として持ち歩いたが、 その箱にある天的な守り手ケルビムの翼に発想を得たものかもしれない。 5節では、この恩恵を受けたイスラエルの先祖たちは、現在(「今」)何をすべきかを言う。 それは、一言でいうなら、その神の「声に聞き従う」ということ。その神の声とは何か、あとで具体的に示されるが、 これは「契約を守る」とも要約される。ここで「わたしの声に聞き従うなら」、 「わたしの契約を守るなら」と条件文で言われることに注目したい。 つまり、神はその民が聞き従うこと、契約を守ることを強制しないということである。 神はあくまで民がそのことを自発的に受諾することを望んでおられる。この神と人間の心の通いあうことこそ、 契約という言葉で神と人間の関係を表現しようとした本意がある。 第6節では、イスラエルが神の呼びかける契約を受諾するなら、彼らはこの地上のすべての民の中で、神の宝となるという。 「宝」の原語セグラ(segulla)は珍しい用語で、特別な寵愛のみならず特別な権利も付与された民として、 ほかにマラキ317;詩編135;申命記7;14;2618に出る。 契約の書式では、契約を守る場合に祝福が約束され、契約を破る場合に呪いが予告されるが、 これを念頭において解釈すれば、神の「宝となる」ということは祝福として約束されている。 同様に「祭司たちの国、聖なる民族」も祝福として約束されるものであるが、その意味は明らかではなく、色々な解釈がある。 大別すると、その一つは、それは民の全員が祭司である国であり、聖なる民族となるということを意味していると理解する。 このようにイスラエルの民のみが真の神の礼拝者として奉献され、ほかの諸民族から分け隔てられた聖なる民族ということと説明する。 もう一つは、「祭司たちの国」とは祭司たちが治める国だということ、「聖なる民族」とはこうして治められる民のことだという解釈。 このように捕囚期以後の祭司階級主導の時代に祭司が果たす役割を述べると共に、 捕囚期以前のようにイスラエルに罪を犯させることとなった王をとおしてではなく、祭司をとおしてであるが、 神がいっそう直接に支配して聖なる民族になることが言われていると説明する。 この「聖なる民族」は、「祭司たちの国」なしに、申命記289−10と2616−19の中で述べられているが、 いずれにおいても聖なる民族になることが祝福として約束されている。 このように、イスラエルの民は聖なるものだから、神がこの民と契約を結ばれたのではなく、 神との契約を守ることによって、聖なるものにならせていただく民だと説かれている。
 モーセはこの神の提案を山の麓にいる民に告げると、民はその長老をとおして、 「主が言われたことをすべて行います」と答え、モーセはこの答えを神に伝えた。

 こうして主が言われるように、契約を結ぶ前に3日間の準備を行わせた(出エ1910−15)。 3日目に、山は朝、声と稲妻と濃い雲に包まれ、角笛が鳴り響く中を、民は恐れに震える民を宿営から出して、 山の麓に発たせると、主なる神は火を吹いて煙を上げ、揺れ動く中を山頂にお降りになり、 モーセをお呼びになった(同1916−20)。これら自然現象から取られた表現は、神顕現をいうための常套句である。 主なる神は、民を麓に残し、モーセとアロンのみ山に登ってくるようにされた(同1921−25+2018−21)。 こうして主なる神は、民が守るべき契約条項として十戒をモーセに伝授された(出エ201−17)。 モーセはそれを民に告げると、民はこれを受諾したので、 契約締結の儀式を行った(出エ243−8;241−29−11も。 ただし出エ2022−2334の契約法典は、飛び越えて読む)。
ジェベル・ムサの山頂にある小聖堂
山頂からの眺め

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