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詩編入門講座T
−時課典礼(教会の祈り)を唱えるために−
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序  詩編にむかう前に

 A) 神の民の祈り
 B) イエスの祈り
 C) 新しい神の民、教会の祈り
 D) われわれの詩編解釈が目指すもの


 A)神の民の祈り
 旧約聖書の詩編は、古代イスラエル宗教がわたしたちへの贈り物として残してくれた祈りの花束である。 この花束はその長い歴史の中で、色々な状況のもとで人の口を突いて出た祈りが徐々に集められ、まとめられた。
 長い歴史ということで、イスラエルが民族として誕生した出エジプトの出来事から、詩編がまとまった書として成立し、受容されたイエス誕生前1、2世紀までが考えられる。 その間、1000年以上の年月が経っている。 イスラエルは、その核心部族によるエジプトにおける束縛からの解放、つまり出エジプト(エクソドス)をもって民として誕生した。 その後荒れ野の旅を経て約束の地への入植を果たし、その地の先住民(カナン人)との融合と排除を繰り返しながら成長し、ダビデとソロモンの登場と共に王国の形成に成功した。 ダビデはシオンとも呼ばれるエルサレムを都とし、その子ソロモンはそこに神殿を建立した。これは前10世紀のことである。 ソロモンの死後その国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂したが、エジプトやアッシリアという世界勢力の中にあってそれぞれ存続を続けた。 やがて前722年に北王国イスラエルが、前586/7年には都エルサレムもバビロニアによって陥落し、南王国ユダも滅ぼされた。 生き残った住民は異国に連行され、その行き先の地で捕囚民としての辛苦を味わった。 前540/39年にはバビロンを征服したペルシア王キュロスによって、彼らは祖国に帰ることを許され、捕囚民の帰還が始まった。 帰還した捕囚民はつぎつぎとエルサレムを中心とする祖国ユダに帰ってきて、サマリアをはじめ近隣諸民族による妨害にあいながらも、 かつてのエルサレム神殿の跡地にまず祭壇を築き、前520−515年には神殿を再建するに至った。 その後、彼らはペルシア、つづいてギリシアの覇権のもとで、この神殿を中心とした民族集団として歴史を刻んだ。 彼らはこの歴史をとおして先祖の神である主がいかなる神であるかに目を開かれ、この神しかほかに真の神がいないという確信をもつことになった。 そのために歴史のいろいろな状況のもとで登場した預言者たちの活動も大きな役割を果たした。 こうしてまた彼らはその神と特別な関係で結ばれた民であることをあらためて確信した。この関係を契約という。
 このような歴史の経過の中で、神殿が建立されれば、そこで行われる祭儀・典礼のために賛美や嘆願の歌が作成されたであろうし、 そこに参拝する信徒たちも病気や死の危機、不当な虐めや追放の中で嘆きを吐露したり、助けを求めたり、不屈の信頼を表明したり、 願いが叶っては感謝したりして、その祈りを歌として残した。 これら個人の祈りも集められて、信仰共同体によって用いられるようにもなった。 その個々の詩編の作成時期について、またその収集の過程について聖書学は解明の努力を行ってきたが、いずれも仮説の域を出ない。 最終的に、150編の詩編からなる詩編の書が作成されることになるのだが、 その前段階の詩編の書が出来上がるのは、前2、1世紀のことと思われる。 その最終的に出来上がった詩編の書は、いろいろな詩編を無造作に寄せ集めたものではなく、 一貫性のある理念をもって詩編の「書」としてまとめあげられたものである。 したがって、従来詩編は Psalmi(複数の詩編)と言われてきたが、もう一つの書名 Psalterium (単数の詩編書)を優先すべきだと言われる。 換言すれば、詩編は祈りの花束と言ったが、実は華道の大師範による見事な生け花というべきであろう。 150本の花がその全体の中で調和しながら、それぞれ生かされ、それぞれ光っている。

 ここで結論として言えることは、詩編が古代イスラエルの歴史の中で作成され、またいろいろな歴史的な出来事に言及するので、 古代イスラエルの歴史を知っておくことが重要である。 特に各詩編が収集され、編集されていく時代の歴史は、できれば詳しく知っておきたい。 それは捕囚民の帰還から神殿の再建、エルサレム復興のペルシャ時代の歴史である。 ただし、詩編には超時代的な側面もあるので、歴史との接点の重要性にも限界がある。 つまり、詩編150編の中には確かにバビロン捕囚期以前に作成されたものもあるが、 これも捕囚期以後に祈りとして編集され、活用されるようになったものばかりであるから、時代を超えていると言えよう。 したがって、詩編を読むのに歴史批判学では不十分で、詩編を詩として、特に宗教詩として評価する術が求められる。 ここでその術とは客観的にヘブライ詩法の知識というだけではなく、詩編を解釈する主観も関わってくると思う。 それは詩編を編集して利用した人々、その信仰共同体と同じ心になるということであろう。 その信仰共同体を受け継いでいるのが、現在のユダヤ教であり、キリスト教である。 この共同体と共に詩編を祈りながら、詩編を読む心が与えられるのではないだろうか。

 古代イスラエルの人々の祈りがすべてこの詩編の書に集められているわけではない。 モーセ五書や歴史書、預言書にも祈りが挿入されている (その一覧は、拙稿「イスラエルの祈りにおける神」、『神を求める』、上智大学神学講座運営委員会、エンデルレ、昭和52(1977)年、131−145頁参照。 修正すべき箇所あり)。 しかし、古代イスラエル宗教の祈りの主要部がこの書にあると言えよう。 それだけでなく詩編は、ほかの聖書の書と異なり、神の民の祈りの書としてまとめられたものである。 ただし、この詩編の書そのものが、かつてエルサレム神殿の典礼書であったかとなると、そうではない。 その中にかつて祭儀・典礼で用いられていたものや、 これに発想を得たものが含まれているということである。 その詩編の書はけっして典礼書でなく、 瞑想用に、あるいは個人の祈りのために編集されたものである。
 イエスの時代に近づくと、エルサレムの神殿は不敬虔なものの手にあるとして、クムラン教団のように神殿から離れるものも現れたが、 彼らも詩編を大切にし、これをもって祈っていた。 このように、詩編は神殿のみならず、広くイスラエルの民の中に浸透し、愛用されていったことがわかる。 従って、この意味で詩編には祈る神の民の心が現れている。

B)イエスの祈り
 神の民の一人であったイエスにとっても詩編はご自分の瞑想と祈りの本でもあったにちがいない。 イエスは十字架上で死ぬとき、「わたしの神、わたしの神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と言って、息を引き取られたと、福音書にある (マルコ15:34/マタイ27:46)。 これは、詩編22:2を唱えられたものである。 これは最古の福音書の著者マルコも書いているが、マルコはここで以前にあった福音伝承を用いていることもわかっている。 その伝承の起源に何らかその歴史的事実も伺うことができる。 他方、歴史的人物としてのイエスがいかに祈り、いかに詩編を用いられたか、確認するのは容易ではない。 歴史的人物としてイエスを知るために、福音書、特に共観福音書が最重要の資料であるが、これはけっして歴史的事実の報告ではなく、 まずは福音書の著者によるイエスへの信仰の証しである。 福音書を信仰の証しとして解釈しながら、その奥で前提とされている事実に迫る必要がある。 そういうわけて、福音書において詩編がいかに用いられているかということから、 研究を始め、それを踏まえて、歴史的人物としてイエスが詩編をいかに活用されたのか検証しなければならない。
 他方、詩編のほうからも、課題がある。 もしイエスが詩編を活用されたとするなら、その詩編はどのようなものだったのかということである。 換言すれば、イエスが触れられた詩編は、わたしたちが旧約聖書の中で読んでいる同じ詩編だったのか、そもそもイエスの時代に詩編があったのかという問題である。 ここで誤った先入観を排除しておこう。 そのまず第一は、イエスの時代にはわたしたちの詩編のように、150編の詩編からなる書として確立した詩編があったと考えるのは、間違いだということである。 第二にイエスがその詩編の書の一冊をお持ちになっていて、お気に召すままにそれを開いてお読みになることができたと考えることも間違いである。 第三にイエスが詩編をお読みになったとしても、今日の聖書学者と同じようにお読みになったと考えることも間違いである。 イエスも時代の子であるから、当時の詩編はどのようなものであったか、知る必要がある。
 それを知る手がかりとして、ミシュナやタルムード、タルグム、ミドラシュなどユダヤ教文書があるが、 これも以前からあった伝承を書きとめ始められたのが西暦2世紀以降のことであり、しかもファリザイ派のラビの観点で書きとめられている。 従って、西暦70年のローマ軍によるエルサレム破壊以前のパレスチナの状況を知る資料としては、批判的に臨まなければならない。
 そのほか、イエスの時代の詩編の情報元として死海文書と新約聖書がある。 この中で死海文書は前2世紀半ば頃から西暦70年のローマ軍によるエルサレム占領の直前まで、 死海の北西岸近くにいた宗教的集団の所有していた文書で、 それはイエスとその弟子たちが生きていた時代と重なるし、地理的にも近い。 1947年以降、その文書の写本が彼らの本拠地キルベト・クムラン近くの11の洞窟を中心にユダ砂漠の各地で発見された。 写本は大小あるが、小さな断片も含めて、その総数は800を超える。 その中で、わたしたちが所有している旧約聖書の本文の写本断片は220ほどある。 その中でモーセ五書が合わせて90、その中で創世記が20ほど、申命記が32を数える。 ほかではイザヤ書が21、詩編が34と群を抜いて多い。 このように詩編が広く流布されていたことがわかると同時に、旧約聖書の中でどの書物が最も読まれていたかを示唆している。 この傾向は、新約聖書に引用される旧約聖書にも認めることができる。 その中で最も回数が多いのがモーセ五書であり、その中で申命記が42回、ほかにイザヤ書が48回、詩編が54回となっている。 したがって、ここにも死海文書と同じ傾向が認められ、新約聖書を残した初期のキリスト教徒も旧約聖書の中で特に詩編を愛読していたことがわかる。 このことから、イエスもそうだったのではないかと見当をつけることができる。 さらに死海文書について言えば、わたしたちの聖書にある150編の詩編以外の詩編もある。 前者は正典詩編と呼ばれ、後者は偽典詩編と言われるが、これはギリシア語やシリア語の古代訳として知られていたものもある。 そのシリア語訳で詩編151−155にあるものも、部分的ではあるが、そのヘブライ語で発見された。 これらの詩編の起源はエルサレムの神殿であり、そこからキルベト・クムランにもって来られたものであることに間違いはない。 そのほかの偽典詩編もあるし、ペシェルと言われる詩編註解もある。 また聖書ではなくて彼らが書き残した文書の中に引用される詩編もあるし、詩編から発想を得たものもある。 その典型的なものとして「感謝の詩編」と言われる文書がある。 これらすべては、イエス時代のユダヤ教徒の中で詩編がいかに広く普及し、どのように用いられていたかを示唆してくれる。 その中でわかってきた幾つかの重要なことを確認おく。

1)クムランの宗教集団形成は前2世紀半ば以降と考えられているが、その初期にこの集団で指導的立場にあった人物が書いたと思われる手紙がある。 それは第4洞窟出土ミクツァト・マアセー・ハトラと言われるが、 その中で、欠損もあるが「モーセの書と預言者たちの書、ダビ[デ(の書..)] 」(4QMMT C:10)と、読めるところがある。 これは当時の旧約聖書の呼び名で、「モーセの書」でモーセ五書、つまり律法を、「預言者たちの書」で預言書を意味し、 その中にはユダヤ教で「前の預言書」と呼ばれるヨシュア記、士師記、1−2サムエル記、1−2列王記の歴史書と、 それに「後の預言者」と呼ばれるイザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、12小預言書が含まれていたと考えられる。 最後の「ダビデの書」は、ユダヤ教で「諸書」と呼ばれることになる部分の先駆で、その中に詩編が先ず含まれていたのではないかと思われる。 この3つに区分しての旧約聖書の呼び名は、前130年頃ギリシア語で書かれたシラ書の序文の中に窺える(シラ書の序8−10、24−25参照)。 またそれはルカ24:44にある「モーセの律法と預言書と詩編」というところへとつながっている。 その手紙の中の「ダビデの書」の中に詩編も含めて考えられていたと、どうしてわかるのかと言えば、 詩編も預言書と同じように聖霊の霊感によって書かれた書として考えられていたことがわかっているからである。 それは預言書の註解と並んで詩編の註解も死海文書の中にあることによって裏づけられる。 詩編はダビデによって作成されたと考えられていたが、そのダビデは聖霊の霊感を受けて詩編を歌ったと考えられ、 それゆえ詩編も聖書として考えられ、註解されることになった。 註解があるということは聖書だということを前提している。 イエスも、詩編が聖霊の霊感を受けたダビデによって詠まれたものと考えておられた(マルコ12:35−37;マタイ22:41−46;ルカ20:41−44)。 このことにおいてイエスは当時のユダヤ教徒と同じように詩編を受けとめ、読んでおられた。

2)クムランの宗教集団が詩編を重視していたことは確認されるが、それでは彼らは詩編を共同体の祈りとして利用していたのだろうか。 死海文書の中には毎朝の祈り、各週日の祈り、年間の安息日毎の祈りなどの写本断片があるが、詩編そのものを共同体の祈りとして用いていた痕跡はない。 詩編91を魔よけの祈りとして個人的に用いた例はあっても(11Q11)、共同体の祈りとして用いられることはなかったようである。 これはクムランの宗教集団のみならず、詩編の出所であるエルサレムの神殿でもそうであったらしい。 確かに、多くに詩編はエルサレムの神殿における祭儀を背景に作成され、利用されたものであるが、 詩編150編からなるわれわれの詩編がエルサレムの神殿の典礼書でなかっただけでなく、 礼拝のときに用いられたことはなかった。 あちこちにあったユダヤ教会堂でも、公けの礼拝で用いられた例はない。 ユダヤ教の会堂で詩編が用いられるようになるのは西暦6世紀になってからのことである。 詩編30がその表題が示唆しているようにハヌカの祭りに用いられたり、詩編29が幕屋祭の8日目に用いられたり、 詩編120−134の「巡礼の歌」が巡礼者用に唱えられた形跡はある。それは詩編の一部である。 また過越しのハレル(詩110−118)が過越し祭の夜に唱えられたこともわかっているが、 これは各家庭でも過越し祭が祝われ、そのとき唱えられた。 それゆえ、イエスもその最後の晩餐の後で唱えられた。 それゆえ、詩編がイエス時代に神殿や会堂で公式礼拝の祈りとして用いられていたという先入観があれば、それは間違いである。 それではわれわれの詩編はいかなるものとして広く用いられるようになったのかというと、それは個人的瞑想と祈りの書として普及したらしい。

3)さらに死海文書の詩編の写本から窺えるのは、詩編は聖霊の霊感を受けて書かれたと信じられ、聖書と考えられていたが、 その詩編は150編からなる詩編ではなかったようである。 数々の写本から言えるのは、詩編150編に至るまでに終わっていたらしい。 特に詩編1−89までであったことを示す写本断片があり、その写本の筆写が前2世紀にまで遡るものがあって、 前2世紀に正典とされていた詩編は詩編1−89からなるものであったらしい。 詩編90以下のものもあって、流布していたこともわかっているが、 これらも含めて150編からなる詩編が正典としてユダヤ教の中で成立するのは、イエスの死後のことであり、それは西暦1世紀の終わりの頃と思われる。 他方、詩編は正典詩編も偽典詩編も個人的瞑想と祈りの書としてエルサレムの神殿から離れて、広く広がり始めていたのではないかと思われる。 シュモネー・エズレやアミダ、ベラカーというユダヤ教徒が愛用して、後に公式の祈りになる祈りは詩編の影響を色濃く受けているが、 詩編そのものが公式の祈りになることはなかった。これはイエスにおける詩編の影響を考えるときにも参考になろう。 実際に、イエスがどのように祈ればいいのか教えられたとき、既存の詩編ではなく、 「主の祈り」を教えられた(ルカ11:2−4;マタイ6:9−13)。 実は、この主の祈りに詩編の影響が色濃く滲み出ている。このように、イエスの教えの根幹に触れるところに、詩編が前提されている。 たとえば神の国、父なる神、情けと憐れみのその神、その慈しみが自然界にも現れているという考えは一つの整合性のある信仰的ヴィジョンとして詩編にあるからである。 その詩編とは、たとえば詩編103と詩編104を上げることができる。 この詩編の意味を理解するためには、その前の詩編102、 さらに神の王的支配、つまりイエスが告げ知らせた神の国を主題とした一連の詩編93−100を前提として読んでおく必要がある。 またその理解のためにシオン/エルサレムをたたえ、その中で神なる主が王座に着座することを歌った詩編46−48も前提としてその意味を把握しておく必要があろう。

参考文献
 イエス時代のユダヤ教における詩編について
N.Füglister, Die Verwendung und das Verständnis der Psalmen und des Psalters um die Zeitwende, In:J.Schreiner (Hrsg.), Beiträge zur Psalmenforschung (FzB 60, Würzburg, 1988, 319-384)
Id.,  Die Verwendung des Psalters zur Zeit Jesu, Bibel und Kirche 47, 4/1992, 201-208:前掲論文の縮小版、 死海文書研究はこの論文発表後飛躍的に発展したので、著者の主張は正しくても補う必要がある。

 福音書、新約聖書における詩編について
K.Löning, Der Funktion des Psalters im Neuen Testament, in:Der Psalter in Judentum und Christentum, Hrgn von E.Zenger, HBS 18, Freiburg Basel Wien, 1998, 269-295 (294-295の参考文献も参照)
N.Lohfink, Das Alte Testament und der christliche Tageslauf, Bibel und Kirche 56, 1/2001, 26-34: N・ローフィンク、「旧約聖書とキリスト者の日常生活」−ルカ福音書の幼年物語における詩歌−、 『神学ダイジェスト』92.2002年夏、98−114:ルカ福音書1−2章にある4つの詩歌 (マグニフィカート、ベネディクトゥス、グロリア、ヌンク・ディミッティス)が、相互に関連しあっていることを示し、 それが『教会の祈り(時課典礼)』で毎日この順で唱えることの意義を明らかにした、きわめて啓蒙的な論文。

 イエスと詩編について
Les psaumes et Jésus, Jésus et les psaumes, cahiers EVANGILE 25, Présenté par M.Gourgues, Paris, 1978
O.Betz, Jesu Lieblingspsalm, Die Bedeutung von Psalm 103 für das Werk Jesu in : Id.,Jesus Der Messias Israels, WUNT 42,
Tübingen, 1987, 185-201
Id., Jesu Tischsegen, Psalm 104 in Lehre und Wirken Jesu, in:Id.,Jesus Der Messias Israels, WUNT 42, Tübingen, 1987, 202-231
Id., Jesu Evangelium vom Gottesreich, in:Id.,Jesus Der Messias Israels, WUNT 42,Tübingen, 1987, 232-254


C)新しい神の民、教会の祈り
 詩編は、神の民イスラエルの中で生まれた。 それは特にシオン/エルサレムの神殿で用いられた祈りが主要部をなすが、それだけではなく、神殿にいます神なる主を思って個人または共同体が神殿を離れて祈る歌も多い。 詩編が徐々に書としてまとめられていく過程で、それは神殿から民衆の間に広がっていった。 この書を最終的に編集したのは、神殿の祭司ではなく、知恵の伝承を担う知恵者、賢人たちであった。 知恵の伝承は、民族の壁を超えて万民に通じる生きる知恵を求める性格がある。 それゆえ、最終的に出来上がった詩編は、万民に開かれたものとなり、すべての人が唱えることのできるものとなったと言えよう。 このような詩編の書としての形成の歩みを見ていると、その不思議を思わずにはいられない。 エルサレムの神殿という特定の場所に根ざしながらも、この場所の制約を脱して広くイスラエルの民衆の中に広まることにより、西暦70年に神殿が破壊された後も、 離散のユダヤ人たちはどこにいても詩編を唱えることができるようになった。 今日のユダヤ教徒もこの祈りを受け継いで大切にしている。
 またナザレのイエスは民衆の中で活動されたが、その教えを注意深く探っていくと、そこに詩編の影響がどれほど大きいものであったか、見えてくる。 前述したとおり、マルコとマタイは詩22:2をもってイエスの人生の締めくくりとする(マルコ15:34/マタイ27:46参照)。 他方、ルカは、イエスの最後のことばが、「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」だったという(ルカ23:46)。 これも詩編31:6の引用である。 いずれもイエスの最後のことばが詩編だったと福音記者たちが書いていることは、示唆に富む。 それはイエスがその生涯をとおして詩編に親しんでおられたからこそ、そう書いているのではないだろうか。 歴史的人物としてのイエスが詩編と深く関わっておられたことが、徐々に明らかになってきた。 それを納得するためには、福音書の厳密な批判的研究と共に詩編の研究も必要となる。
 イエスをメシア(キリスト)と信仰宣言するキリスト教徒は、新しい神の民として詩編を受け継いで愛用してきた。 確かに、150編からなるわたしたちの詩編の書がキリスト教の初期にそのまま典礼書として用いられることはなかった。 それはイエス時代もその後のミシュナ時代のユダヤ教徒にあっても、詩編の書が神殿や各地の会堂で典礼書にならなかったのと同じである。 しかし、教会教父たちの著作から詩編の書がもつ意味はいっそう広く深くなっている。 その詩編の書が、教会の公式の礼拝のための典礼書として幅広く活用されるようになるのは、その教会教父の時代であり、 それは西暦3世紀後半にエジプトで始まった修道者たちの中であった。ここに、現代の『教会の祈り』(時課典礼)の起源がある。

 このようにユダヤ教もキリスト教も、詩編を用いて祈るが、この際、大切なのは、同じ詩編を用いても、 ユダヤ教徒が祈る場合とキリスト教徒が祈る場合とでは異なることである。 つまり、同じ詩編をもって祈っても、それぞれその詩編の異なる理解もって祈る。 キリスト教徒は、まずその主イエスが詩編を理解して祈ったように、理解して祈るということである。 イエスは詩編を聖霊の霊感によって書かれたものと理解しておられたが、キリスト教徒もそのように理解して祈る。 またたとえば、「わたしの神、わたしの神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と詩22:2を祈るとき、 十字架上で死の間際で祈ったイエスを思い、同じ心で祈る。 ユダヤ教徒は出エジプトの解放を祝う過越し祭で詩編111−118を唱えるが、 キリスト教徒が同じ詩編を過越し祭に唱えるとき、より高い次元のキリストの過越しを祝って唱える。 このようにキリスト教徒にはキリスト教徒としての固有の詩編の唱え方がある。 これは、詩編のみならず旧約聖書を、キリスト教はいかなる意味をもつものとして受容したかという根本的な問題に触れる。 実はキリスト教徒は、イエス・キリストによって完成された啓示の光のもとで、旧約聖書を理解し、受容してきた。 それは旧約聖書をイエス・キリストの到来を告げて、人々の心を準備したもの、つまり証しをしたものということだけではない。 それはまたイエス・キリストが完成なさった救いの御業(みわざ)によって、旧約聖書にそれまで秘められていた新しい内容が明らかにされたということでもある。 この意味も込めてキリスト教徒は旧約聖書受容し、活用してきた。 このようにキリストの光によって旧約聖書の各用語に加えられた新しい意味は、「より充実した意味」(sensus plenior, the fuller sens)と言われる。 そういうわけで、同じ詩編をもって祈っても、ユダヤ教徒とキリスト教徒では根本的に異なる。
 そこで、新しい神の民、教会にとって、最も重要なことに触れることになる。 詩編の中で「主」とある場合、この主を何と理解して祈るのだろうか。 ユダヤ教徒なら、イスラエルの神である主、アドナイ(ヤーウェ)である。 しかし、キリスト教徒にとって、それは「主イエス」のことである。それゆえ、詩編で「主」に向かって祈るとき、 イエスが父と呼んで祈られたイスラエルの神である主と同時に主イエスにも祈る。 詩編の中で主に祈るとき、「主イエスをとおして」祈るだけではなく、「主イエスに向かって」祈る。 これが、キリスト教徒による詩編の祈りであって、その顕著な例が新約聖書の中にある。 最初の殉教者ステファノは、息を引き取る前に、イエスが息を引き取られてときと同じように、詩編31:6から発想を得た祈りを唱えているが、 異なるのは、ステファノが「主イエス」に向かって唱えていることである。 「主イエス、わたしの霊をお受け取りください」(使7:59)。 ここにキリスト教徒による詩編の祈り方がある。それを応用して、幾つかの例を詩編の中から拾ってみる。

  詩編100:3  知れ、主が神であると。

 ここの「主」はヘブライ語でアドナイ、ないしヤーウェ。 この詩編をユダヤ教徒が祈るときは、ヤーウェを考えて、このヤーウェが神であると理解して祈る。 キリスト教徒がこの詩編を祈るとき、イエスと同じように祈るから、その父である神、つまりヤーウェに祈るのであるが、 同時にキリスト教徒にとって「主」とはイエス・キリストのことである(特にフィリピの教会へのパウロの手紙2:9の「すべての名にまさる名」、つまり「主」を参照)から、 この主イエス・キリストに向かっても祈る。 このように、「知れ、主が神であると」と呼びかけられるとき、イスラエルの神であり、 イエスの父である神と同時に主イエス・キリストも神であると認めるよう呼びかけられている。 このように、イエスによって決定的にその最終の意味が啓示された旧約聖書の意味を念頭に読むのが、キリスト教徒にとっての旧約聖書なのである。 イザヤ7:14にある「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。 その名はインマヌエルと呼ばれる」も何のことかあいまいであったが、キリスト教徒は処女マリアからのイエスの誕生を言うものだと理解してきた。 同様に、旧約聖書で、特にそのギリシア語訳70人訳聖書でキュリオス(「主」)とあるが、これを主イエスのことだと理解してきた。 このようにキリスト教徒は詩編100:3を唱えるとき、ナザレのイエスを主として、その神性を信仰告白してきた。 このように主イエスへの信仰をとおしてその主であり父である神へと、三位一体の神を信仰宣言し、その中にある命の交わり、その充満、時を超えたその至福に招き入れられる。

    
  詩編47:8−9 神は歓声の中を、
主は角笛が響く中を高く上(のぼ)られる。
響かせよ、神のために響かせよ。
響かせよ、わたしたちの王のために響かせよ。
まことに神は全地の王、
見事に響かせよ。
神は諸国民を王として支配される。
神は御自分の聖なる王座に着座される。

 これは祭儀ないし典礼の中で神なる主が天の王座に「上り」、「王として支配し」、「着座される」ことを歌ったものだが、 キリスト教徒がこの詩編を祈るとき、イスラエルの主なる神と同時に、「主イエス」を考えて祈る。 キリスト教徒にとって「王」とは、主キリストにほかならない。 実際に、教会は主の昇天の祝日のミサの答唱詩編として、また晩課の中でこの詩編47を唱えてきた。
 現行の教会の祈りでは、詩編100:3は「ヤーウェを神と悟れ」となっているが、これはユダヤ教徒の祈りであって、キリスト教徒としての詩編の祈りではない。 詩編47:6の「主」は「神」と変えられている。そのほか教会の祈りとミサなどの詩編では「ヤーウェ」は徹底して「神」と変えられている。 この詩編はユダヤ教徒が唱えることができるかもしれないが、キリスト教徒の祈りとしては用いることができないものになっている。 さらにこれは聖書本文そのものの変更であれば、もう聖書ではないという結果になる。 こうして教会は聖書でないものを聖書として世に送るという欺瞞を垂れ流していることになる。 批判はさておき、キリスト教徒として詩編を読む素晴らしさを、もう一つの例をもって示したい。

  詩編1:2−3 主の律法を愛し、
その律法を昼も夜も口づさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。・・・


 ここで大切なのか「律法」という用語。律法はユダヤ教徒にとって最重要事項で、神なる主の意志そのもの、 ないしそのモーセをとおしての啓示、それが書き記された書のことである。それはキリスト教徒にとっては何であろうか。 キリスト教徒は、神が新しい契約を結ぶ日に「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す」(エレミヤ31:31−34)と、 約束してくださったことが、主イエスによって実現されたと信じ、その胸の中、心に記される内面的な律法とは聖霊のことだと理解してきた (「キリスト・イエスにおける命の霊の律法」、ロマ8:2;これは命の霊としての律法のことで、前述のエレミヤの預言を前提として言われる)。 それゆえ、詩編の中で律法という用語が出ると、聖霊を考えて祈る。 このような理解をもって、詩編を唱えると、そこに霊性的に実に味わい深い広大な世界が広がっていることに驚かされる。

参考文献
教皇庁聖書委員会『教会における聖書の解釈』(1993年)。
N.Lohfink, Der Psalter und die Christliche Meditation, Die Bedeutun der Endredaktion für das Verständnis des Psalters, Bibel und Kirche, 47, 4/1992,195-200:N・ローフィンク、 「詩編とキリスト教の黙想」−詩編を理解するための最終編集の意義−、『神学ダイジェスト』85・77−88

 カトリック教会は、教会の公的礼拝において詩編を重要視してきた。 ミサにおいては、答唱詩編はもちろんのこと、入祭唱、アレルヤ唱、拝領唱もしばしば詩編から取られてきた。 特に「教会の祈り」(時課典礼)は主として詩編から構成されている。第2ヴァチカン公会議(1962−1965)による典礼改革は以前にもまして適切に、 効果的に聖書を活用するよう指示し、それを実行するようにしてきた。 従来、修道者と聖職者の唱えるべき祈りであったこの時課典礼はいまや各国語に翻訳され、信徒も含めて神の民である教会全体で唱えることができるようになった。
 ミサと時課典礼で詩編を祈るとき、それはわたし個人の祈りであることを越えて、全世界の教会とともに、その一員として祈るということである。 このように、わたし個人は飢えていなくても、飢える兄弟たちとともに祈り、そこからわたしも真に飢えを満たしてくれるものに満たされる。 わたし個人は暴力に悩まされていなくても、実際に暴力に悩まされている兄弟たちとともに祈り、わたし自身も真に解放されていく。 その私の心の奥底で、私ではなくて私を通じてキリストが満たされ、解放されていく。 このように、詩編を祈るということは、単なる信心ではない。
 詩編の深い意味は尽くせないが、この古代に作られた詩編を、古代人とはまったく異なる世界像とメンタリティ、表現法をもつ現代の我々の祈りとして唱えようとすると、問題が起こる。 その言葉の意味も、表現法もわからないことが多々あり、そのままそれをどうして我々の祈りとして用いることが出来よう。 そこで詩編への手ほどきが必要ということになる。

 N.B.「教会の祈り」は、従来「聖務日課」(Officium Divinum)とか、「座右の書」(breviarium)と呼ばれてきた。 これらの呼称は現在も用いられてはいるが、「聖務日課」はほかの典礼にも言えるので、あいまいさをぬぐいきれない上、義務としての祈りという意味もある。 「座右の書」もそれと同じ意味で理解されてきた。「時課典礼」(Liturgia Horarum)は、第2ヴァチカン公会議直前から現れた用語であり、 同公会議も「時課典礼」(Liturgia Horarum)を主として用いた。それが各国語に翻訳され、用いられるようになった。 この呼称は、一日の中の時間毎にその時の祈りを唱えて、時間を神に奉献するという固有の意味を表現していると共に、 義務ではなく典礼としてのこの祈りの本質を効果的に表現しているので、広く用いられるようになった(R・タフト)。 ここでは時課典礼と訳して用いる。

 第2ヴァチカン公会議(1962−1965年)は、その最初の実りとして、 1963年12月3日に、典礼の全般的改革を目指した『聖なる典礼に関する憲章』(以下典礼憲章と略す)を公布した。 この憲章は、時課典礼については、第4章で取り上げている。その方針に沿って、新しい時課典礼のラテン語規範版版が、 教皇パウロ6世の使徒憲章ラウディス・カンティクム(Constitutio Apostolica, Laudis canticum 、1970年11月1日)をもって公認され、 1971年4月11日に発行された。 それに先立って、1970年2月2日に『時課典礼総則』(Institutio Generalis de Liturgia Horarum)が公表されたが、これは広く読まれた。 時課典礼のラテン語規範版第2版が1987年に発行された。この第2版の新しさは、 時課典礼中の聖書が、1979年4月25日に教皇ヨハネ・パウロ2世の使徒憲章スクリプトラールム・テザウルス (Constitutio Apostolica, Scripturarum Thesaurus )によって公認された新ウルガタ訳聖書の改訂版を採用していることである。 もう一つの新しさは詩編の数え方について、従来のものにヘブライ語聖書にあるものを併記していることである。
 第2ヴァチカン公会議によって刷新された時課典礼については、
R.Taft, The Liturgy of the Hours in East and West, The Origines of the Divine Office and Its meanings for today, St.John's Abbey, Colleeville ,1986: 仏訳 La Liturgie des Heures en Orient et en Occident, 1991 (Brepol)
Pontificio Istituto Liturgico Sant'Anselmo, Scientia Liturgica, dir.di A.J.Chupungco, OSB, Manuale di Liturgia V, Tempo e Spazio litugico ,Asti (PIEMME), 1998, 109-130

D)われわれの詩編解釈が目指すもの
   21世紀になって、祈りの重要性がますます感じられるようになった。 物質文明は栄えても、人間の心の最も深いところから出てくる渇望を満たしてはくれない。 またそこには心の中にある深い病いを癒してくれるものはない。 心理学やカウンセリングの知識や技術も応急処置には何らかの助けになろうが、根本的な解決の道を示してくれるものではない。 どの人間の心の底にある渇きを率直に認めて、その渇きを最終的に潤してくれるものに心を開いて、それに呼びかけることに気がつく必要があろう。 それに呼びかけて、さらに気がつかされるのは、その最終的に潤してくれるもののほうが、先に呼びかけてくれているのではないかということである。 この「心を上げて」、その呼びかけてくれているものと心の奥深いところで会話に入る。それが祈りである。 このような祈りが人間個人にとっても、人類社会にとっても真の癒しと救いの道標となろう。
 詩編はわれわれが祈るときの手本であり、われわれの祈りとなるものである。 したがって、われわれが祈るとき、いかに詩編をもって祈ればいいのかということを念頭に置いて、詩編を学んでみたいと思う。

 聖書学は、特に20世紀になって詩編各編の歴史的成立事情やその用語、語句、文学様式の解明に大きな貢献をしてくれた。 聖書学には聖書学各分野の目指すところ、その学問方法があり、その成果は学問的に貴重なものであっても、われわれが詩編をもって祈るときに直接役に立つものではないものもある。 概して言えば、これまで聖書学の詩編研究は、その歴史的背景を想定してその通時的成立の過程やその最終的形態の詩編それぞれの原初的意味を明らかにすることに努めてきた。 こうして、これまで闇に包まれていたその原初的な意味が明らかになり、それがあらためて現代に通じるメッセージをもつものであると示してくれる研究も多々あった。 実際に役に立つ知識が山済みになっている。 しかし、聖書学には、明らかにされるその詩編の原初的な意味が現代のわれわれにいかに意義あるものかには、関心が十分あったかどうかは疑ってよい。 われわれは聖書学が蓄積した貴重な成果を利用させていただきながら、 現代に生きる人間として、またキリスト教徒として、いかに詩編を用いて祈ればいいのか、ここで追及したいと思う。
 そういうわけでここではマソラ本文のヘブライ語の詩編を忠実に翻訳しながら、ます主として共時的に各詩編の原初的な意味を読み取るように努める。 しかし、その各詩編のもつ意味が詩編の書全体の中で、また新約聖書も含めた聖書全体の中での意味もあること、 また教会の伝承の中で読まれた意味もあることを意識しながら、わたしたちにとってのその意味も探りたいと思う。
 しかし、まず詩編全体について基礎的なことを確認しておこう。
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