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詩編入門講座U
詩 編 概 説
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序  詩編にむかう前に

 1) 書名
 2) 位置
 3) 本文
 4) 数え方
 5) 表題
 6) 作者


 1)書名
 本書は、ユダヤの伝承では、テヒリム( )と呼ばれてきた。 これは「賛美」(複数)を意味する。テヒリムは、ハレルヤの「ハレル」(語根 hll: 「賛美する」)という動詞を名詞にしたものである。 これが、嘆願や、信頼、感謝、知恵の教訓詩など、多様な文学類型の詩編150編の総称とされている。 詩編全体は、一言で言えば、神への賛美と考えられ、纏められたことを示している。 実際に、その締めくくりの詩編145−150は、賛美の詩編である。
 これが、ギリシア語訳70人訳聖書では、プサルモイ(複数)(: B写本)と呼ばれ、 またプサルテリオン( : A写本)とも呼ばれている。 これは、ある弦楽器ないし詩歌集(単数)を意味している。そこからラテン語の Psalmi と Psalteriumが由来する。 またそこから英語の the Psalms と the Psalter、独語の die Psalmen と der Psalter、仏語の les Psaumes と le Psautier が由来する。
 ラテン語の Psalmi は複数の詩編という意味であり、Psalterium は単数で、詩編150編をまとめた一つの書という意味がある。 詩編150編は、雑多な詩編の単なる寄せ集めではなく、一貫した展望のもとに纏められた一つの書であることが明らかにされるようになった。 それに伴い、Psalterium という名称のほうが本書の性格を適切に表現していると主張されるようになった。
 日本語では詩篇ないし詩編と訳されてきた。 前者の詩篇の「篇」は、元来文字を記す平らな竹簡のことで、日本人には情緒的に快く聞こえるが、あまりにも情緒的であるかもしれない。 詩編の「編」は、個々に作成された詩編が徐々に収集され、最終的に編集されたものであるから、詩編というほうが、その事情を適切に表している。

2)位置
 聖書における詩編の位置は、ユダヤ教では聖書をトーラ(律法)、ネビイム(預言書)、ケトゥビム(諸書)の3部に分けるが、このケトゥビムの最初である。 ギリシア語70人訳聖書では、律法、歴史書、教訓書、預言書と4部に分けられるが、詩編はその教訓書の始めに置かれる。 西欧キリスト教の伝統ではラテン語ウルガタ訳が用いられてきたが、これはおおよそ70人訳と同じように各書を並べており、 詩編は教訓書の中にあるが、ヨブ記のあとに置かれている。 本HPのプロテスタントとカトリックにおける旧約正典の比較中の第2表参照。
 キリスト教徒の旧約聖書にあたるユダヤ教の聖書は、前述のとおり、3部に分けるが、これはかなり古い時代から来る習慣である。 ギリシア語訳シラ書の序文に当時の聖書を「律法の書と預言者の書と先祖たちの他の書物」と書いていが、これが書かれたのは、前2世紀後半である。 それは死海文書中の初期の著作にも「モーセの書と預言者の書、ダビデの書・・・」(4QMMT C10)とあるが、これは前2世紀後半の初期に書かれたものである。 それはルカ24:44の「モーセの書と預言者の書と詩編」に認められる。ここでは第3部にある書を代表して「詩編」と言っている。
 このように聖書を3つに分ける習慣は、正典化の過程を示している。 「正典」とは、ある書物が神の霊感を受けて書かれたものとして信仰共同体によって受容されることを意味する。 この意味で聖書の中で最初に正典とされたのは、律法、つまりモーセ五書であった。 それは前5世紀後半から前4世紀の初頭にかけて活動したエズラに負うと考えられる。 つぎにそれを範として、預言書が正典とされたが、これはエルサレムの信仰共同体においてであった。 他方、サマリアの信仰共同体はこれを認めず、律法だけを正典として保持してきた。 エルサレムの信仰共同体は、さらに詩編やヨブ記などと正典としていった。 しかし、この第3部にどの書を正典ととして加えるか、流動的で、それが厳密に限定されるのは、西暦1世紀の終わり以降のことであった。 しかし、詩編はこの第3部の中に正典と考えられるようになるのは、かなり古く、前2世紀の始め頃と思われる。 前2世紀後半以降のクムランの信仰共同体は詩編の註解を残しているが、これは彼らが詩編を正典としていた証拠であり、 それは彼らだけに留まらず、エルサレムでもそうだったことを窺わせる。 したがって、イエス時代には詩編は正典とされていたことは確かである。 しかし、そのイエス時代の詩編が、われわれの150編からなる詩編と同じであったかどうかとなると、どうも同じではなかったらしい。 ユダヤ教の中で150編からなる詩編が作成され、正典とされるのは、西暦1世紀の終わりで以降であり、イエス時代の詩編は、詩編89までぐらいであったらしい。

3)本文

 a)ヘブライ語聖書本文:マソラ本文
 それでは詩編が正典とされたときの原本が残っているかというと、原本はない。残っているのは写本だけである。 70人訳聖書やラテン語訳聖書を除外し、ヘブライ語聖書に限って言えば、詩編150編がまとまって出ている写本となると、 最古のものでも西暦10世紀に筆写されたレニングラード写本とアレッポ写本しかない。 この両方に書き写されている本文はマソラ本文という。マソラ本文については、本HPの和田幹男/旧約聖書の本文参照。 われわれが用いるのは、このマソラ本文である。それゆえ、この写本の事情を知っておく必要がある。 つまり個々の詩編が作成されてからは勿論のこと、詩編が正典とされてからでも、 これがレニングラード写本やアレッポ写本に筆写されるまで、1000年以上の年月が経っている。 そこで疑問が起こる。詩編の原本がレニングラード写本に忠実に筆写されているのだろうか。 またこの写本には、母音符号などをつけて、本文をいかに読むべきか指摘されているが、この指摘を行なった人々(これをマソラたちという)は、 遠い過去の用語の意味や文法などを知っていたのだろうかと。 実際にマソラ本文を読むのはけっして容易なことではない。理解し難い箇所があちこちにある。 これは原本の本文がわれわれの写本に書きとめられるまで、長い年月がかかったことから来ると言えよう。 原本にある本文が神の霊感によって書かれたものであるから、それがいかなる本文であるか、またそれが何を意味しているのかを求めて、 ユダヤ教においても、キリスト教においても多大の努力が積み重ねられてきた。それでも理解し難い箇所が多くある。
 ここで1947年以降発見された死海文書は前2世紀から西暦1世紀にかけて筆写された写本断片であり、 マソラ本文の難解な箇所を理解するのに役に立つのではないかと期待された。 しかし、詩編の写本に関しては、それはあまりにも断片的で、まずはあまり役に立たない。 しかし、忍耐を要するこの写本断片の研究を積み重ねることにより、きわめて貴重な情報も得られるようになっている。 死海文書中の旧約聖書本文一般については、本HP、和田幹男/死海文書入門講座Wを参照。

参考文献
 詩編のマソラ本文については、
 D.Scaiola, Una cosa ha detto Dio, due ne ho udite,Fenomeni di composizione appaiata nel salterio Masoretico, Urbanian University Press, Roma, 2002:41-9
 死海文書中の詩編の写本断片については、
 P.W.Flint, The Dead Sea Psalms Scrolls & the Book of Psalns, STDJ XVII, Leiden New York Kõln, 1997:マソラ本文、70人訳との異読の一覧は、86−116参照。

 b)ギリシア語70人訳
 ヘブライ語聖書は、前3世紀にアレキサンドリアのユダヤ人によってギリシア語に翻訳された。 それはまず律法が翻訳され、続いて預言書や諸書も翻訳された。それが70訳と言われる。その中に、詩編の翻訳もある。 ただし、その時代の翻訳を伝える写本はない。伝存するのは、西暦4世紀のキリスト教徒の手にしていた写本(ヴァチカン写本やシナイ写本)である。 この中にキリスト教徒による読み込みも含まれていると思われる。 実は、キリスト教徒が用いてきた詩編とはこの詩編であり、新約聖書が引用する詩編も7分の6は、このギリシア語訳の詩編からである。 このギリシア語訳はヘブライ語本文の直訳ではないので、その訳文の特徴とその意味内容に特に注意する必要がある。拙稿「聖書翻訳の先駆セプトゥアギンタ」、 月刊『世紀』、1988年12月号68−77頁:高柳俊一編『神の福音に応える民』、リトン、1994年11月、59−92頁に再録。

 70人訳の詩編については、
 J.Schaper, Der Septuaginta-Psalter.Interpretation, Aktualizierung und liturgische Verwendung der biblischen Psalmen im hellenistischen Judentum, in : E.Zenger, (Hg.).Der Psalter in Judentum und Christentum, HBS 18, Freiburg im Breisgau, 1998, 165-183
 E.Zenger(Hrsg.), Der Septuaginta-Psalter.Sprachliche und theologische Aspekte.Mit Beiträge von A Aejmelaeus, H.Gzella, A.Cordes et al., HBS 32, Freiburg im Breisgau, 2001

 c)シリア語ペッシータ訳
 古代のシリア語圏(現在のイラク、トルコ東部、イラン)のキリスト教に流布していたのが、このシリア語訳聖書である。 その翻訳にしても、写本にしても、西暦4−8世紀と、70人訳と比べると、時代が下がってからのものであるが、ヘブライ語と同じセム系言語への翻訳聖書として参考になる。 またシリア教父が解釈したのも、この詩編。ここには詩編155編まである。

 d)ラテン語訳ウルガタ訳
 西暦2世紀から70人訳にもとづくラテン語訳がなされはじめた。これが古ラテン語訳である。そのなかに詩編もある。 この古ラテン語訳の全聖書を西暦4世紀の終わりにヒエロニムスは校訂した。 このヒエロニムスの校訂したラテン語訳が西欧中世で受容され、広く使用されることとなった。これをウルガタ訳聖書という。 ヒエロニムスは詩編については、3つの校訂を行なった。 最初に校訂したものがヴァチカンに残っており、これはローマ詩編(Psalterium Romanum)と言われる。 ヒエロニムスはそれを、オリゲネスのヘクサプラ(当時流布していた聖書本文を6欄に並べて書いたもの)にもとづいて再校訂したが、それがガリア地方で広がった。 これは、ガリア詩編(Psalterium Gallicanum)と言わる。この詩編が西欧における時課典礼で用いられてきた。 ヒエロニムスは、さらヘブライ語本文にもとづいて全旧約聖書を翻訳したが、その中に詩編もある。 これがヘブライ詩編(Psalterium Hebraicum)である。 しかし、西欧の時課典礼で、これがガリア詩編にとってかわることはなかった。 現に発行されているラテン語ウルガタ訳聖書 Biblia Sacra juxta vulgatam versionem, Deutsche Bibelgesellschaft, Stuttgart, 1969 では、 ガリア詩編とヘブライ詩編が併記されている。 ラテン語訳聖書一般については、拙稿「ラテン語訳聖書の形成」、上智大学キリスト教文化研究所『紀要』第8巻、平成元年(1989)年3月、1−14頁参照。

 西欧中世における聖書については、
 Th.Lentes, Text des Kanons und Heiliger Text.Der Psalter im Mittelalter, in : E.Zenger, (Hg.).Der Psalter in Judentum und Christentum, HBS 18, Freiburg im Breisgau, 1998, 323-354
 古代から現代までのローマ典礼における詩編の受容について
 A.Gerhards, Die Psalmen in der römischen Liturgie.Eine Bestandaufnahme des Psalmengebrauchs in Stundegebet und Messfeier, 前掲書355-379

 第2ヴァチカン公会議(1962−1965)のあと、新たにラテン語訳が作られた。 これは、現代の聖書学が明らかにした知識を生かしたラテン語訳である。 これは新ウルガタ訳(Nova Vulgata)と言われる。 第2ヴァチカン公会議によって刷新された時課典礼のラテン語規範版初版(1971年)では、ウルガタ訳が使用されているが、 その第2版(1987年)ではこの新ウルガタ訳を使用している。


 e)日本語訳
 新共同訳の詩編については、まず詩編150編すべてを翻訳するという作業の苦労は並大抵のことではなく、その作業に関わった方々に厚く感謝と敬意を表したい。 またそれは祈りとして使用できるようにとの心遣いもなされてはいる。 ただし、その初版の発行は1987年で、丁度その頃、詩編研究は転機を迎え、20世紀も終盤に来て、大なる展開を見せた。 それゆえ、その実りを翻訳に生かせる直前に新共同訳の詩編は出版されたことになる。今後、この観点からの見直しが必要だと思う。 ここでも、解説する詩編のためには私訳を掲げるが、 その説明のためほかの詩編や、詩編以外の書に言及するときは、この新共同訳聖書を用いる。
 日本語の時課典礼である『教会の祈り』の詩編は、典礼委員会詩編小委員会翻訳の『ともに祈り ともに歌う 詩編』現代語訳、あかし書房、1972年による。 この先駆的な翻訳作業のために苦労された諸師に謝意と敬意を惜しまないが、今から見ると時代的制約を受けたものであることを認めざるを得ない。 この時課典礼のための翻訳も暫定的なものとして出版されたと聞く。翻訳と出版に携わった諸師は改訂を予想していたということである。 実際にその改訂は緊急を要すると思う。司祭、修道者は毎日この祈りを必ず唱えるし、これを唱える信徒も増えてきている。 それゆえ、その訳文は日本の教会の霊性にかかわる。その時課典礼の詩編は、じっくりと読んでみると、解釈し、黙想するにはふさわしくないと思う。 特に神の名の翻訳は、慎重でなければならなかったし、 その前提として旧約聖書はキリスト教にとっていかなる意味で聖書なのかという、聖書の正典性ということまで考慮が及んでいない。
 フランシスコ会聖書研究所訳の詩編がある。これは1968年の出版で、今から見ると、時代的制約があるとはいえ、当時としては絶賛に値する。 これがあったからこそ、典礼委員会の詩編の翻訳もなされたのであろう。
 カトリック以外では、プロテスタントの教会訳と個人訳、それに最近の岩波書店発行の詩編もある。 これらすべて研究用には価値が高いものも多いが、わたしたちが祈りとして用いることができるかどうかとなると、 それは読者に判断してもらいたい。


4)数え方
   150編の詩編の数え方はマソラ本文と70人訳・ウルガタ訳とでは異なる。 現代語訳聖書を用いるとき、そのどちらに従っているかに注意する必要がある。 詩編の番号が同じでも、異なる詩編であることがあるからである。 最近は、ヘブライ語マソラ本文に従うようになっているが、一昔前の聖書ではそうではない場合がある。
〈マソラ本文) 〈70人訳−ウルガタ訳)




9−10
11

113
10

112
114−115 113
116 114−115
117

146
116

145
147 146−147
148

150
148

150

 このようなマソラ本文と70人訳・ウルガタ訳(ラテン語ウルガタ訳は70人訳に従う)における数え方の違いは、 マソラ本文の詩編9と10が70人訳・ウルガタ訳では詩編9と、一つに数えることから起こっている。 またマソラ本文の詩編114と115も同様に113と、一つに数え、他方マソラ本文の詩編116は70人訳・ウルガタ訳では詩編114と115と二つに分けている。 またマソラ本文の詩編147も同様に詩編146と147と、二つに分けている。 このように、たとえば、「主はわたしの羊飼い」(Dominus pascit me)は、マソラ本文では詩編23であるが、70人訳・ウルガタ訳では詩編22である。
 フランシスコ会聖書研究所訳『詩編』(分冊)では、この詩編を、23(22)と指摘している。 つまり、ヘブライ語本文にある数値と共に、70人訳・ウルガタ訳にある数値をカッコに入れて示している。 ラテン語の時課典礼規範版では、伝統的な70人・ウルガタ訳の番号を用いてきたが、1987年発行の改訂版では、ヘブライ語マソラ本文にある番号をカッコで示している。 詩編を学ぶ場合、そのヘブライ語マソラ本文に基いて学ぶ者が一般的になったからである。これはフランシスコ会訳聖書の場合とは逆になっている。
 日本語の時課典礼では、マソラ本文に従ってその番号がつけられている。なお、ここでも最近の傾向に従って、マソラ本文の数え方に従う。

 以上述べたことは、マソラ本文にしても、70人訳・ウルガタ訳にしても、 そこに載せられている単元の詩編が必ずしも元来の単元に相応しているとは限らないことを意味している。 つまり、元来1つの単元の詩編を2つにすることもあれば(例、70人訳・ウルガタ訳にある詩9が元来のものであり、 これがマソラ本文では詩9と詩10と2つに分けられている。 またマソラ本文の詩42と43は元来一続きの詩編である)、 またその逆もある(例、詩27:1−6と7−14が元来2つであったかもしれないが、これについては議論がある)。
 さらに、各詩編の中の節の数え方もマソラ本文、70人訳・ウルガタ訳と現代語訳聖書において呼応せず、1節か2節ずれることがある。 これは、詩編の始めにつけられている表題を節として数えるか(マソラ本文、70人訳・ウルガタ訳の場合)、数えないか(現代語訳の場合)の異なる慣習による。 最近の翻訳聖書では底本となるマソラ本文に従って、節の数がつけられる傾向がある。フランシスコ会聖書研究所発行の『詩編』には、 マソラ本文の詩編の番号と節の番号とともに、それ以外の慣習による番号も並べて記載されている。新共同訳聖書の詩編の節については、巻末(39)参照。
 なお、詩14と詩53、詩40:14−18と詩70は重複している。詩108は詩57:8−12と詩60:7−14から成っている。
 マソラ本文の詩150は、詩150:1−6で終わる。70人訳聖書では、詩151がある。 ウルガタ訳の詩150には、写本によってはそのマソラ本文にない部分が含まれることがある。 この部分のヘブライ語本文はなかったが、1947年以来のクムラン出土の聖書断片のなかに発見された。 またペッシータ訳には詩151−155がある。そのへブライ語本文も部分的に死海写本の中から発見された。 これらマソラ本文以外の詩編は、外典ないし偽典詩編と言われる。
 これらマソラ本文にもなく、また70人訳やウルガタ訳にもない詩編が、死海文書の中に多く入手された。これらはすべて偽典詩編である。

5)表題
 34の詩編を除いて、詩編の始めに短い指摘がつけられている。これは表題(title)と言われる。 これは詩編本体には属するものではない。しかし、70人訳など古代訳にもあり、キリスト教以前の古い時代に起源をもっている。 それは内容的に、a)各詩編の作者の名称ないし編集上の名称、b)各詩編の詩としての性格を言うもの、c)典礼上の使途を指摘するもの、 d)歌うときの音楽上の指示などに分けられる。その表題が複数付けられていることもある。 またマソラ本文と70人訳で、必ずしも同じではない場合もある。その個々について詳細なことは不明のものが多い。 詳しくはフランシスコ会聖書研究所発行の『詩編』の解説3−8頁参照。ただし、その翻訳はここでは新共同訳に従う。

 a)作者ないし編集上の名称
 前置詞(l) が、ダビデとか、アサフなどの名前に付けられているもの。 この前置詞が「の作」という意味なのか、「のための」という意味なのか、はっきりしない。 このあいまいな意味を込めて、新共同訳でも「・・・の詩」と訳されている。
 「ダビデの詩」: ヘブライ語のマソラ本文では73の詩編にある。その中には、ダビデがどのようなときにこの詩編を歌ったか、その生涯の出来事などの指摘を加えることもある。
 「アサフの詩」: 12の編(50、73−83)
 「コラの子らの詩」: 12の詩編(42−49、84−85、87−88:42と43を2つと数えて)
 「ソロモンの詩」: 2つの詩編(72,127)
 「ヘマンの詩」: 1つの詩編(88)
 「エタンの詩」: 1つの詩編(89)
 「モーセの詩」: 1つの詩編(90)
 「指揮者によって」: 55の詩編。ヘブライ語の原語()の意味は必ずしも明らかではないが、 指揮者か、歌隊長のことではないかと、解釈して「指揮者のために/によって」と訳される。この表題が作者や編集上の名称と共に出ることがある。

 この表題は、その意味もあいまいで、明らかではない。それは確かにその作者をいうものではない。 「ダビデの詩」とあっても、この歴史的人物としてのダビデが歌ったものであるとは証明できない。 しかし、このダビデが歌った詩として伝えられていることは事実である。 それも、ダビデが幼少の頃から音楽の才能を示し(1サム16:16−18)、作詞し(2サム1:17−27;2:33−34)、契約の櫃をエルサレムに運び入れて、 あとでエルサレムの神殿で行なわれる祭儀・典礼の起源の一翼を担った(2サム6参照)と知られていたことによるのであろう。 他方、ソロモンは神殿を建立し、その至聖所に契約の櫃を安置したことで知られている。 またアサフ、ヘマン、エタンは、神殿に仕えたレビ族の歌い手であったことが知られている(1歴代6:16−31;15:17−24;2歴代29:30参照)。 コラの子らも、歌い手でもあった(2歴代20:19参照)。 したがって、彼らの詩と言われる詩編は、彼らを先祖と自認する人々のもとにあった詩編ないし詩編収集かもしれない。 したがって、これらの表題も、詩編150編全体の収集、編集の過程を明らかするためには手がかりになるのではないかということで、注目されるようになった。 たとえば、「コラの子らの詩」は、最終編集される以前に一つのまとまった詩編集としてあったのではないか。 それは「アサフの詩」、また「ダビデの詩」についても言える。 そういうわけで、詩編全体の構造を見るときに、この問題に戻ることとする。

 b)詩としての性格をいうもの
 「歌」():30の詩編
 「賛歌」():57の詩編
 「マスキール」():13の詩編
 「ミクタム」():6つの詩編(詩16、56−60)
 「シガヨン」():1つの詩編(詩7)
 「賛美」():1つの詩編(詩145)
 「祈り」():5つの詩編(詩17、86、90、102、142)
 「教え」():2つの詩編(詩60、80)

 c)典礼上の使途を指摘するもの
 「安息日に」(詩92):安息日用の詩編。ヘブライ語聖書で日を指定しているのはこれのみ。
 「神殿奉献の歌」(詩30):
 「感謝のために」(詩100):感謝のささげものを奉献する典礼用。
 「記念するために」(詩38、70):穀物のささげ物をささげる典礼用(レビ2:2参照)
 70人訳では週の第1日用(詩24)、第2日用(詩48)、第3日用(詩94)、第6日用(詩93)が指摘されている。 ウルガタでは第5日用(詩81)、ユダヤ教(ミシュナによると)では、第3日用(詩82)の指摘がある。 70人訳の詩29に「幕屋から出ること」とある。これは、7日間の幕屋祭の最終日の翌日(レビ23:36参照)のこと。
 ヘブライ語聖書の「都に上る歌」(詩120−134)は、 直訳では「上りの歌」で、祝祭のためにエルサレムに「上る」、つまり上京するという意味で、巡礼のための詩編というのが一般的解釈。

 d)伴奏、声、ふしなどをさす表題
 「伴奏付き」: bingînôtは、直訳では「琴に合わせて」と訳せようが、このヘブライ語は「琴」と訳せ るかどうかは問題で、弦楽器であることは確かなようである(詩4,6、54、55、 61,67、76)
 「笛に合わせて」: 詩5:このヘブライ語も「笛」かどうかわからないが、管楽器らしい。
 「第八調」: 詩6、12:つぎの「アラモト調」と共に、ヘブライ語の意味は不明。声の高低をいうかも。
 アラモト調」: 詩46
 当時の民謡の題名と思われるもの:
「"ムトラベン"に合わせて」:詩9。
「"暁の雌鹿"に合わせて」:詩22。
「"はるかな沈黙の鳩"に合わせて」:詩56。
「"ゆり"に合わせて」:詩45、69、それに60、80も付加つきで。
「"滅ぼさないでください"に合わせて」:詩57−59、75。
「"ギディト"に合わせて」:詩8、81、84
「"マハラト"に合わせて」:詩53、88。この詩88ではさらに「レアノト」が加えられている。
「エドトンの詩」:詩39、「エドトンに合わせて」:詩62、77。
「セラ」: 表題ではなく、詩編の中の節のあとに、あたかも欄外に挿入されている。 39の詩編の中にあり、合計91回(70人訳では92回)出る。詩9:17では「ヒガヨン・セラ」。

 詩編は、そのすべてではなくても、元来歌われていた。しかし、古代イスラエルにおいて、この詩編がどのように歌われていたか、わからない。 それがどのようなメロディで、どのようなリスムであったか、推論はできるし、研究はある。 また楽器にしても、管楽器か弦楽器はわかっても、それがどのような形をしていたか、考古学的調査で得られた出土品を手がかりに推し量ることはできる。 しかし、確かなことは不明のままである。それゆえ、音楽に関して指摘していると思われるヘブライ語の翻訳は便宜的なものでしかない。

 参考文献
 S.H.Vantoura, La musique de la Bible révélée, Paris (Robert Dumas), 1971
 Le monde de la Bible, No.37, janvier-février 1985 (聖書の音楽特集号)

6)作者
 これまで述べてきたことから、詩編150編の中、一つとしてその作者が特定されたものはない。 すべて「詠み人知らず」である。そうわけで、詩編はそれぞれいかなる人が読んだものかは、ただそのそれぞれの詩編の内証によって推察するしかない。 それがまたいろいろと解釈される。それがいつ、どこで、どのような作者によって歌われたものか、詩編の個性を明らかにしてくれるものはない。 その作成年代にしても、前2世紀のマカバイ時代まで下るものがあるかどうか、議論がある。 コラの子ら、アサフ、へマン、エタンはレビ族で、第2神殿時代にエルサレム神殿で詠唱者としての任務に就いていたとある。 それゆえ、神殿に奉仕していたレビ族によって作成されたものがあることは確かである。 しかし、時代が下がって作成された詩編には知恵の伝承の特徴を示すものがあり、イスラエルの知恵者たちによるものもある。
 他方、女性の作と思われる詩編もある(詩16と詩131)。
 (つづく)
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