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U ヨルダン川を渡る
和田 幹男



 標高2800mを超える主峰ヘルモン山の水を集めてガリラヤ湖に注ぎ、 そこからさらに流れ出して死海に注ぐヨルダン川は、聖書に伝わる出来事の舞台として聖地そのものである。 かつては水量を誇ったこの川も、現在ではイスラエル、ヨルダン両国による取水により、 死海近くになると、昔の面影はない。ただその川に沿って緑の帯が白い泥灰土の丘が連なる中をぬって蛇行し、 死海へと向かっている。この地帯一帯は海抜下の灼熱の地で、独特の蒸し暑さで、汗がにじみ出る。
 この川にまつわる出来事としてまず想起されるのは、かつてイスラエルの民がこの川を渡ったことである。 ネボ山で約束の地を見てモーセは死んだが、出エジプト(Ex-odus)という出来事は約束の地に入るという出来事(Eis-odus)を目標としており、 この使命を託されたのがヌンの子ヨシュアであった。 彼はモーセの後継者として早速、ヨルダン川を渡って神が与えようとする地に行くよう命じられ、 それに従った(ヨシュア記1:1−18)。ヨシュアは向こうの地にあるエリコの町に先遣隊(斥候)を送ったあと(同2章)、 いよいよヨルダン川を渡ることとした(同3−4章)。ヨシュアはシティム(同3:1)を出発し、 ヨルダン川を渡り、ギルガルに着いた。こうして「第1の月の10日に民はヨルダン川から上がって、 エリコの町の東の境にあるギルガルに宿営した」(同4:19)。
 荒れ野の旅を述べるところでたびたび言われてきた年月日はここで終わる。 このように荒れ野の旅がその目標としてきた地に到着して終わったことを言う。 ヨルダン川のすぐ東にあったシティムとまたそのすぐ西にあったギルガルが正確にどこにあったかはわからない。 ギルガルには聖所があり、ここが約束の地を与えられたことを想起して祝う拠点になったのであろう。 ヨルダン川を渡るとき、イスラエルの民は「主の契約の箱」を担いで、これを先頭に進んだ。 「主の契約の箱」は、旅する民の中に現存する主なる神の象徴で、イスラエルの民は荒れ野を移動するとき、 これを持ち歩いてきた。彼らはこの主の契約の箱を先頭にあたかも典礼の行列でもあるかのようにヨルダン川を渡った。
 またそのとき、川の流れがせき止められ、干上がった川床を渡ったという(同3:14−17)。 かつてエジプトを脱出したとき、葦の海で海水がせき止められ、その干上がった中を渡った(出エジプト記14:21−22)。 同じように、ヨルダン川の流れもせき止められ、その中を渡った。荒れ野の旅の始めと終わりに起こったこの二つの不思議には、 異常な類似性がある。写真はローマのサンタ・マリア・マジョーレ教会のモザイク(5世紀):ヨルダン渡河とエリコの町に行く斥候

 ヨルダン川の流れがせき止められるということは、事実として昔からときどきあった。 泥灰土の丘の中を侵食しながら流れるヨルダン川は、その丘の一部が崩落して流れがせき止められることがある。 この自然現象とヨシュアに率いられてのヨルダン渡河が結び付けられ、これが語り継がれたのであろう。 また、これをモデルにして葦の海で起こった不思議も語り継がれることになったのかもしれない。

 ヨルダン川にまつわる重要な出来事として預言者エリヤの最期がある。 エリヤはモーセの次に最も偉大の預言者の一人で、前9世紀に主なる神の信仰を、その危機から守るために登場した。 彼の出身地はヨルダン川東部のギレアド地方のヤベシュというところであり、 その活動範囲はカルメル山でバアルの預言者と競い合ったり、またシナイ(ホレブ)山に逃れることもあって広いが、 エリコなどヨルダン川周辺とも縁が深い。その活動は民間伝承の中で語り継がれたが、 それが列王記の中に書きとどめられている(列王上第17−19章、列王下第1−2章参照)。
 エリヤはその最期の日に、弟子のエリシャだけを連れてエリコからヨルダン川に行った。 その岸で外套を丸めて水を打つと、水が左右に分かれたので乾いた土の上を歩いて、向こう岸に渡った。 二人が話し合っていると、火の戦車が火の馬に引かれて現
れ、エリヤを取って 嵐の中を天に昇っていった。エリシャは、エリヤの外套が落ちてきたので、これを丸めて水を打つと、 また川の流れが左右に分かれたので、その中を歩いて帰っていった。これがエリヤの最期、 その昇天の言い伝えである(列王下2:1−14)。 このように昇天したエリヤは、終末の日に先立ってまた遣わされて来ると考えられるようになった。 それが前5世紀の預言者マラキの預言として伝わっている。「見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に、 預言者エリヤをあなたたちに遣わす」(マラキ3:23)。イエスの時代にこのエリヤの再来が期待されていたことが、 死海文書によって確かめられている。写真はローマのサンタ・サビーナ教会の木製の門扉の彫刻(5世紀前半)で、 モーセの昇天の場面。古代キリスト教の木製の彫刻としてはきわまて珍しい。
 最期に、ヨルダン川にまつわる最も重要な出来事はイエスが洗礼者ヨハネから受けられた洗礼である。 写真はイエスが受けられた洗礼を記念する伝統的な場所。

 ガリラヤのナザレの町におられたイエスが、その人生の重大な転機に洗礼者ヨハネのもとに行き、ヨルダン川で洗礼を受けられた。 今日、この事実を疑う者はいない。福音書はこの事実を、事実としてのみならず、この事実に込められた意味も含めて書いている。 それはその十字架上の死をもって果たされることになる、父なる神から授けられたイエスの使命にとって出発点である。 それゆえすでに実現したその十字架上の死を前提とし、 そこから遡ってイエスの宣教活動の始めに行われたその洗礼の意味を追い求めながら書いている。 それだけでなく、イエスが受けられた洗礼は福音書の著者自身も受けた洗礼の出発点でもある。 それゆえ、その著者もキリスト教徒として生きてきたことの意味を考えながら、イエスの洗礼を書いているのではないだろうか。 またイエスが受けた洗礼は、その後のすべてのキリスト教徒が受ける洗礼の出発点でもある。 受けた洗礼の意味は、信仰生活を積み重ねながら見えてくるものではないだろうか。 福音書の著者も同じで、イエスの十字架上の死を前提とし、そのイエスの生に与らせられながら、 見えてきた洗礼の意味を込めて書いている。イエスの洗礼は出発点と言ったが、さらにまたその奥がある。
 イエスの名は、ヘブライ語でヨシュアである。それゆえ、イエスがヨルダン川で洗礼を受けられたという事実の奥に、 イエスは新しいヨシュアであるという意味がある。マルコがイエスの洗礼について、 「その(ヨルダン川の)水から上がられると」(1:10)と書くとき、旧約聖書に親しんでいる読者なら、 「第1の月の10日に民はヨルダン川から上がって」というヨシュア4:19を考えてのことではないかと、思うにちがいない。 このようにそこには、イエスはかつてのヨシュアのようにヨルダン川を渡って、 新たに約束の地にご自分の民を導き入れるおかただということが込められているのではないだろうか。 勿論、この約束の地は別のレベルのもの、つまり、精神的なもの、恩恵として考えられている。 写真はイタリア、ラヴェンナのカテドラル洗礼堂天上のモザイク(5世紀後半)。

 それに伴い、洗礼者ヨハネも再来のエリヤとして表現されている。洗礼者ヨハネは「駱駝の毛皮を身にまとい、 皮の帯をその腰に締め、・・・」(マルコ1:6)とあるが、これは疑いもなく、 エリヤについて「毛衣を着て、腰には皮帯を締めていました」(列王下1:8)とあるのを考えて書かれている。 また洗礼者ヨハネについて、「預言者イザヤの書に書き記されているとおり」(マルコ1:2)と言って 、旧約聖書を引用するが、その実はイザヤ書40:3のみならず、出エジプト記23:10とマラキ書3:1の混合引用である。 「見よ、わたしはあなたの顔のまえに…使いを送る」は、出エジプト記23:20、「あなたの道を整えるわたしの使いを送る」は、 マラ3:1、「『主の道を備えよ、そのおかたの道路をまっ直ぐにせよ』と、荒れ野の中で呼びかける者の声」は、 イザ40:3の引用である。ただし、マラ3:1の「わたしの前に」が、マルコ1:2では「あなたの前に」と、 イザヤ40:3では「荒れ野」は整えるべき道のあるところであるが、マルコでは「声」のあるところに変えられている。 とはいえ、出エジプト記の引用でモーセのことが、マラキ書の引用でエリヤのことが考えられている。このモーセのことで、 ネボ山におけるその死で締めくくられるモーセ五書、つまり律法が、エリヤのことで全預言書が考えられていると言えよう。 この後者については、マラキ書は全預言書の締めくくりだからである。このように旧約聖書の全律法と預言書の続きとして、 またその新たな展開として洗礼者ヨハネの登場を、またこの洗礼者ヨハネから受けられたイエスの洗礼を書いていると言えよう。
 ただし、このときイエスが受けられた霊は、洗礼者ヨハネによるものではなく、天から下ったものとして、 イエスの使命が別のレベルのものであること、そのため別のレベルの力を与えられたものであることを示唆する。 この力によってイエスは最終的に死をも克服する。キリスト教徒も洗礼を受けるとき、この霊を受ける。 写真はイタリア、ラヴェンナのアリウス派洗礼堂のモザイク(6世紀)。

 マルコ福音書の序文(マルコ1:1−15)は、旧約聖書全書に証しされるモーセとヨシュア、 預言者たちをとおしてなされた神の働きの延長として、またそれを踏み台に、 これを超える新しい神の働きとしてイエスの宣教活動の始めを書いている。 これは、その前提のもとにこの福音書全体を読むようにとの招きでもある。以下その直訳。


マルコ福音書序文

 神の子イエス・キリストの福音の始め。
 預言者イザヤの書に、
「見よ、わたしはあなたの顔のまえに、
あなたの道を整えるわたしの使いを、
『主の道を備えよ、
そのおかたの道路をまっ直ぐにせよ』と、
荒れ野の中で呼びかける者の声を送る」と、

 書き記されているとおり、
 洗礼者ヨハネが荒れ野の中に登場し、
 罪の赦しのための回心の洗礼を告げ知らせていた。
 すべてのユダヤとすべてのエルサレム人が
 彼のもとに出かけて行き、
 自分たちの罪を告白して、
 彼によってヨルダン川で洗礼を授けられた。
 彼は駱駝の毛皮を身にまとい、皮の帯をその腰に締め、
 いなごと野蜜を食べ物としていた。
 彼は告げ知らせて言った。
 「わたしのあとにわたしよりも力ある者が来る。
 わたしはそのおかたの履き物の紐を
 かがんですら解くのにふさわしくない。
 わたしはおまえたちに水で洗礼を授けたが、
 このおかたはおまえたちに聖なる霊で洗礼をお授けになる。」

 その頃、イエスがガリラヤのナザレから来て、
 ヨルダン川に入ってヨハネによって洗礼を授けられた。
 するとすぐにその水から上がられると、
 天が裂け、霊が鳩のように自分の中に下るのをご覧になり、
 天から声があった
 「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜びとする」。
 するとすぐその霊は彼を荒れ野に追いやった。
 彼は40日荒れ野においてサタンによって試みられた。
 獣たちと共におられたが、御使いたちがその彼に仕えていた。
 ヨハネが渡された後、イエスはガリラヤに来て、
 神の福音を告げ知らせ、言われた。
 「時は満ちた。神の国は近い。
 回心して、福音を信じよ」と。


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