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ガリラヤ湖南端からヨルダン川に沿って南におよそ26km下った地点で東に向かうと、
タバカト・ファール(Tabaqat Fahl)という村がある。ここにペルラの遺跡がある。
村は小高い丘の上にあり、涸れ谷ワディ・ジルムを挟んで、南にはテル・エル・フスンがある。
タバカト・ファールの丘(写真の右の丘)の西に教会跡があり、またその南東の麓にも教会跡(写真の手前)があり、
その西には泉があって、昔からここは水に恵まれていた。
テル・エル・フスン(写真の左はその麓)との間の涸れ谷を上っていくと、丘の中腹にもうひとつの教会跡がある。
東側の丘から西を眺望すれば、ヨルダン渓谷およびその向こうのイスラエルの山々がよく見える。
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タバカト・ファールの丘の向こうに見えるイスラエルの山はギルボア山あたりであろう。
その右に白い町が見えると、それはベト・シェアン。ヨルダン川の向こうに、手入れの行き届いたイスラエルの耕作地や養殖池が見える。 |
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テル・エル・フスンは自然の丘で、高さが90mある。その東の高台に東の教会跡がある。
春には周りが緑に覆われ、ことのほか美しいらしい。 |
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ペルラ(Pella)というと、古代マケドニアのアレキサンドロス大王が遠征に出発した都の名だが、
それと区別して、このヨルダン川東部の町は、デカポリスのペルラ(Pella Decapolitana)と言われる。
このペルラは、ヨルダン川を挟んで、西のイスラエルにある古代都市ベト・シェアン(ヘレニズム・ローマ時代にはスキトポリスと呼ばれた)
とあたかも対となっている。そのスキトポリスも、ペルラも、
そのほかヨルダン川東部の高地を南北に走る王の道にあったジェラシュなどと共にデカポリス(10の町)と言われ、
この地方にはヘレニズム風、ローマ風にきわめて洗練され発達した町が多かった。
その町としての発達は、ヘレニズム時代になってからのことではなく、
その歴史は古く、町の名が青銅器時代中期のエジプトの呪術文書(前1800年頃)はじめ幾つかの記録に見られる。
前3世紀にヘレニズム時代になって、町の名はペルラと言われるようになる。
このペルラは聖書には言及されていないが、F・ヨセフスなど古代の歴史家の著作にはしばしば登場している。
この町は特に初期のキリスト教徒が、ユダヤ戦争中(西暦66−70年)、
西暦88年頃エルサレムから逃れてきたところとして知られている(エウセビオスの『教会史』3:5:3−4;秦剛平訳、
同著T、山本書店、139頁)。また西暦140年頃著作を残したアリストンという初期護教教父はペルラ出身と言われる。
それゆえ、ここには古くからキリスト教徒の共同体があった。
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この町は交易の中継地としてかなりの発展を見たが、キリスト教が自由を得てから、
ビザンツ時代にここに司教座も置かれ、西暦431年のエフェソ公会議、
451年のカルケドン公会議に参列した司教たちの中にペルラの司教の名も記録されている。
写真は丘の南東部の麓にある教会跡で、西から階段を上がっていくと教会の玄関に至る。
その手前にローマ時代の公共浴場跡があり、教会の南側には小さな半円形劇場(アンフィテラトルム)ないし音楽堂(オデオン)があった。
それゆえ、このあたりが町の中心だったらしい。考古学者はこのあたりをcivic complexという。
またその上に建てられた教会はカテドラルだったらしいという。教会は西暦5世紀に建てられ、その後徐々に増築されたらしい。
この教会は典型的なバジリカで、階段を上ると、前廊(アトリウム)があり、
中に入ると二つの列柱で3つに区切られた本堂(ネイブ)があり、その奥には半円形の内陣(アプス)がある。
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丘の中腹の教会(西暦5世紀の建造か) |
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635年にイスラーム軍が激戦末、強力なビザンツ軍を破ってから、この町はダマスカスのウマイヤード朝のもとに置かれた。
西暦748の地震によって破壊され、徐々に忘れ去られた。
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参考文献
1. |
R.H.Smith, Pella of the Decapolis, vol.1,
The 1997 Season of the College of Wooster Expedition to Pella, The College of Wooster, 1973
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2. |
R. H. Smith and L. P. Day, Pella of the Decapolis, vol.2, Final Report
on the College of Wooster Excavations in Area IX, The Civic Complex, 1979-1985, The College of Wooster, 1989
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3. |
Th.Weber, Pella Decapolitana, Studien zur Geschichte, architektur und
bildenden Kunst einer hellenisierten Stadt des nördlichen
Ostjordanlandes, Abhandlungen des Deutschen Palästinavereins Band 18, Wiesbaden, 1993
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