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 復活節の聖母賛歌 ―レジナ・チェリ―
和田 幹男


 イエスの死後、聖母マリアはこのご自分の息子の亡骸(なきがら)を抱いて深い悲しみに沈まれた。 これは聖書には出ていないが、古来、特に東方教会で瞑想されてきた。 これは西方教会でも忘れられてはいない。 ミケランジェロも生涯中、幾たびもこの聖母子の悲劇を石に刻もうとした。 これは「ピエタ像」と言われる。 ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるピエタ像は最も有名である(カトリック甲子園教会にその複製がある)。 これは若い時の作品で、最も完全な完成品と評された。 ミケランジェロ自身はそれに満足しないで、晩年に至るまで幾度もピエタ像を刻もうとした (写真はフィレツェ、ドゥオモ博物館にあるミケランジェロ晩年のピエタ像、聖母子を背後で支えるニコデモに作者は自分を重ねている)。 このピエタ像へのミケランジェロのこだわりは、どこにその理由があったのだろうか。 わたしがピエタ像をはじめて見たのが40年以上も昔になるが、今、そのミケランジェロのこだわりを思いめぐらしている。
 この世界に起こる悲劇の中で、親が子に先立たれること、 特に母が自分の腹を痛めた子に先立たれることほど大きい悲劇はなかろう。 ピエタ像は、イエスとその母に起こった悲劇であるが、それだけでなく、この最大の悲劇の象徴でもあろう。 イエスの亡骸(なきがら)を抱くその母の心痛は、どれほどであっただろうか。 また最愛の母にこの心痛を強いることになるのを知って、イエスの心痛も、どれほどであっただろうか。 これは、十字架上のイエスの胸に突き刺さった数々の苦痛の中で最も深く厳しいものだったにちがいない。 この聖母子の苦痛が深く、厳しいものであっただけに、 イエスの復活はその母にとっても言語を絶する喜びとなったにちがいない。 キリスト教徒は、主の復活を祝うときに、この聖母マリアの喜びにも心を寄せ、共に喜んで神を賛美してきた。 アレルヤとは「主を賛美せよ」ということ。 復活節(復活の主日から聖霊降臨の週が終わるまで)には、 御告げの祈り(「アンジェルス」)に代えて、「レジナ・チェリ、アレルヤ」(アレルヤの祈り)と、 朝、昼、晩と日に3回唱える習慣がある。この信心も絶やしてなならない。
 Regina Coeli, Laetare, Alleluia :
 Quia quem meruisti portare, Alleluia :
 Resurrexit, sicut dixit, Alleluia :
 Ora pro nobis Deum, Alleluia.
 Gaude et laetare Virgo Maria, Alleluia,
 Quia surrexit Dominus vere, Alleluia.
 Oremus : Deus, qui per resurrectionem Filii Tui Domini Nosri Jesu Christi mundum laetificare dignatus es : praesta, quaesumus, ut per ejus Genitricem Virginem Mariam perpetuae capiamus gaudia vitae, per Christum Dominum Nostrum.Amen

 [私訳]

 天のお妃さま、喜んでください、アレルヤ、
 御身にお宿しになったかたが、アレルヤ、
 仰せのとおり、復活なさったからです、アレルヤ、
 わたしたちのために神に祈ってください、アレルヤ、
 おとめマリア、喜び祝ってください、アレルヤ、
 主はまことに復活なさったからです、アレルヤ、
 祈りましょう、あなたの子、わたしたちの主イエス・キリストの復活をとおして世界に喜びを与えてくださった神よ、お願いいたします。 その母、おとめマリアをとおして、わたしたちが終わりのない命の喜びを得られますように。わたしたちの主キリストによって、アーメン


 [伝統的な訳文] アレルヤの祈り

 天の元后喜び給え。アレルヤ。
 御身に宿り給いし者は。アレルヤ。
 宣(のたま)える如くよみがえり給えり。アレルヤ。
 われらのために天主に祈り給え。アレルヤ。
 童貞マリア喜び給え。アレルヤ。
 主まことによみがえり給いたればなり。アレルヤ。
 祈願 御子イエズス・キリストの御復活をもって世界を喜ばしめ給いし天主、 願わくはその御母童貞マリアによりて、終わりなき命の喜びをわれらに得しめ給え。 われらの主キリストによりて願い奉(たてまつ)る。アーメン。
カトリック甲子園教会のピエタ像

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