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聖なる典礼に関する憲章
和田 幹男 訳


序言
第1章 聖なる典礼の刷新と促進のための一般的諸原理
T 聖なる典礼の本性と教会の命におけるその重要性
U 推進すべき典礼教育と積極的典礼参加について
V 典礼の刷新について
A)一般原則
B)位階的かつ共同体的行為としての典礼固有の性格に基く原則
C)典礼の教育的かつ司牧的性格に基く原則
D)諸民族の特性と伝統に沿って適応を遂行するための原則
W 教区と小教区における典礼生活の促進について
X 典礼司牧活動の推進について
第2章 感謝の祭儀の聖なる秘義について
第3章 ほかの秘跡と準秘跡について
第4章 聖務日課について
第5章 典礼暦年について
第6章 教会音楽について
第7章 教会芸術と祭具について
付記 暦の見直しについての第2ヴァティカン公会議の宣言

 ここに掲載するのは、新試訳。[ ]内の太字は、憲章のラテン語本文にはないが、 主として学術雑誌Ephemerides Liturgicae vol.78(1964)185-420にある小見出しによる。 ( )内は訳者の書き入れ。いずれも本憲章の理解を容易にするため有益と考えるもの。

司教パウロ

神のしもべたちのしもべ、聖なる公会議の教父たちと共に、永久に記憶するために

聖なる典礼に関する憲章


序言

[本公会議全体の目標と典礼改革]
1.この聖なる会議は、キリスト教信仰の命が信徒たちの中で日増しに成長すること、変化すべき諸制度があれば、 それをわたしたちの時代の必要性に即していっそうよく適したものにすること、 すべてのキリスト教徒の一致に貢献するものがあれば、そのすべてを促進させること、 またすべての人を教会に招き入れるために役立つものがあれば、そのすべてを強化することを目指し、 特別に典礼を刷新し、促進させるためにも配慮することを任務と考える。

[教会の秘義における典礼]
2.中でも最もその神聖な感謝の祭儀のいけにえにおいて「わたしたちの贖いの御業が実行される」 聖霊降臨後第9主日の奉納祈願 典礼ほど、 信徒たちがキリストの秘義と真の教会の紛れのない本性を生きながらこれを表現し、 ほかの人々に明らかにするために貢献するものはない。 その教会の本性にとって固有の特徴であるのは、人間的であると同時に神的であり、 目に見えると同時に見えないものを備え、活動に情熱を燃やすと同時に観想に浸り、 この世界の中に現存しながら旅するものであるということだが、その中で人間的なものは神的なもののために、 活動的なものは観想のために、現在あるものは追い求める未来の国のために整えられ ヘブ13:14参照、 そのもとに置かれている。それゆえ、典礼はその中にいる人々を日々、 主における聖なる神殿、霊における神の住まいに築き上げ エフェ2:21−22参照、 キリストが充満する成熟した背だけにまで至らせ エフェ4:13参照、 同時にキリストを宣べ伝えるために驚くほど彼らの力を増し加え、 このように外にいる人々に向かって教会を諸国民の中に掲げられたしるしとして示し イザ11:12参照、 離散する神の子らはそのもとに集められ ヨハ11:12参照、 ついには一つの群れとなり、一人の羊飼いに導かれる ヨハ10:16参照

[この典礼改革が関わるのはローマ典礼]
3.そのため、この聖なる会議は、典礼の促進と刷新について、以下に記す諸原理を念頭に置きながら、 実践上の諸原則を定めなければならないと考える。
 以下に記す実践上の諸原則は、事柄の本質上ローマ典礼以外の諸典礼にも関わるものは別として、 ただローマ典礼に関わるものと理解すべきであるが、この諸原理と諸原則の中にはローマ典礼にも、 他のすべての諸典礼にも適用できるし、また適用しなければならないものも幾つかある。

[ほかの伝統的合法的諸典礼に対する敬意]
4.さらに伝承を忠実に守りながら、この聖なる会議は、 聖にして母なる教会が合法的に承認されたすべての典礼を同等の権利と名誉を有するものとして認め、 そのすべての典礼が将来も保持され、あらゆる方法で促進されることを望むと宣言し、またそのすべての典礼が、 必要な場合健全な伝承の精神にしたがって全面的に、注意深く見直され、 今日の状況と必要性に即してこれに新しい活力が与えられることを期待する。

聖霊降臨後第9主日の奉納祈願
ヘブ13:14参照
エフェ2:21−22参照
エフェ4:13参照
イザ11:12参照
ヨハ11:12参照
ヨハ10:16参照


第 1 章
聖なる典礼の刷新と促進のための一般的諸原理


T 聖なる典礼の本性と教会の命におけるその重要性

[予め告げられた救いの御業はキリストによって実現された]
5.「すべての人が救われ、真理を認めるに至ることをお望みになる」(1テモ2:4)神は、 「昔、預言者たちをとおして、いろいろなときに、いろいろな方法で先祖たちに語られた」(ヘブ1:1)が、 時が満ちると、御自分の御子を遣わしてくださった。この御子は、肉となった御ことば、貧しい人々に福音を告げ、 心の砕かれた人々を癒すために聖霊によって塗油された者 イザ61:1;ルカ4:18参照、 「身体と霊魂の医者」 アンティオキアの聖イグナティオス、『エフェソ人への書簡』、7:2:F.X.Funk, Patres Apostolici, I, Tubingae, 1901, p.218、 神と人間の仲介者であらせられる 1テモ2:5参照。 この御かたの人間としての本性は、御ことばの位格との同一性の中にありながら、わたしたちの救いの道具であった。 そのため、このキリストにおいて「わたしたちの和解の完全な宥めが実現し、神礼拝の充満がわたしたちに与えられた」 『ヴェロナの秘跡書』:Sacramentarium Veronense(Leonianum):Ed.C.Mohlberg, Romae, 1956, n.1265, p.162
 人類を贖い、神にあますところなく栄光を帰すこの御業は、 旧約の民における神の驚くべき御業がそのための前奏となっていたが、主キリストによって成就された。 それは、特にこの御かたの聖なる受難と黄泉からの復活、栄えある昇天という過越し秘義によってであり、 これによって、「その死をもってわたしたちの死を砕き、復活をもって命を回復してくださった」 『ローマ・ミサ典礼書』の復活祭の叙唱。 すべての教会の感嘆すべき秘跡が十字架上に眠るキリストの脇腹に起源をもつことになったからである 聖アウグスティヌス、『詩編講解』:S.Augustinus, Enarr.in ps.138, 2 :Corpus Christianorum, XL, Turhholti.1956, p.1991; 『ローマ・ミサ典礼書』の聖週間改正前の聖土曜日第2朗読後の祈願参照

[教会はそのキリストの御業を続けるが、これを典礼において実現する]
6.それゆえ、キリストが御父から遣わされたように、御自身も聖霊に満たされた使徒たちをお遣わしになった。 それは使徒たちがすべての被造物に福音を宣べ伝えながら 『マルコ16:15参照、 神の御子が御自分の死と復活をもってサタンの権力と死からわたしたちを解き放ち 使26:18参照、 御父の国に移してくださったことを告げるにとどまらず、自分たちが告げる救いの業を、 すべての典礼生活が展開するその要のいけにえと諸秘跡によって現に行うためでもあった。 このように、洗礼をとおして人々はキリストの過越し秘義に組み込まれる。 つまり、キリストと共に死に、共に葬られ、共に復活させていただく ロマ6:4;エフェ2:6;コロ3:1;1テモ2:11参照。 彼らは養子縁組の霊を受けて、「わたしたちはアッバ、父よと呼ぶ」(ロマ8:15)と言われるものとなり、 こうして御父が追い求めておられる真の礼拝者となる ヨハ4:23参照。 同様に、人々は主の晩餐に与るたびに、主が再臨なさるまで、その主の死を告げる 1コリ11:26参照。 そのために、教会が世界に現れることになった聖霊降臨のまさにその日に、ペトロの「説教を聞いた人々は洗礼を受けた」。 こうして、彼らは「ひたすら使徒たちの教え、パンを分かつことの交わりと祈りを続け、神を賛美し、 すべての民に好感をもって迎えられていた」(使2:41−42、47)。 それ以来、教会はけっして欠かすことなく過越し秘義を祝うために集い、 「その御かたについてすべての聖書をとおして書き記されている」(ルカ24:27)ところを読み、 「その御かたの死への勝利と凱旋が現在化される」 トリエント公会議、第13総会(1551年10月11日)、『聖なるエウカリスティアに関する教令』:CONC.TRID.Sess.XIII, 11 oct.1551, Decr.De SS.Eucharist., c.5 :Concilium Tridentinum, Diariorum Actorum, Epistolarum, Tractatuum nova collectio, ed.Soc.Goerresianae, t.VII, Actorum Pars IV, Friburgi Brisgoviae 1961, p.202. 感謝の祭儀を祝い、同時にキリスト・イエスにおける「言語を絶する恵を神に」(2コリ9:1)感謝し、 聖霊の力を受けて、「神の栄光を賛美してきた」(エフェ1:12)。

[典礼におけるキリストの現存]
7.これほどの御業を成し遂げるために、キリストは御自分の教会にいつもおられ、 とくに典礼行為の中におられる。キリストはミサのいけにえの中で、 「かつて十字架上で御自分を奉献なさった同一人物として、祭司たちの奉仕により今も奉献なさりながら」 トリエント公会議、第22総会(1562年9月17日)、『聖なるミサのいけにえに関する教書』:CONC.TRID.Sess.XXII, 17 sept.1562, Doctr.De ss.Missae sacrif., c.2 :Concilium Tridentinum, Ed.cit, t.VIII, Actorum Pars V, Friburgi Brisgoviae 1919, p.960、 その奉仕者の人格の中にも、また何よりも御聖体の両形態の中にも現存しておられる。 キリストは、人が洗礼を授けると、キリスト御自身が洗礼を授けることになる 聖アウグスティヌス、『ヨハネ福音書注解』:S.Augustinus, In Ioannis Evangelium, Tractatus VI.Cap.1.n.7 ;PL 35 ,1428 というその御自分の力をもって、諸秘跡の中に現存しておられる。 キリストは、聖書が教会の中で読まれるとき御自身がお語りになるので、その御自分の言葉の中に現存しておられる。 最後に、教会が嘆願し、賛美するとき、 「わたしの名において二人か三人集まるとき、彼らの中にわたしはいる」(マタ18:20)と約束なさったそのおかたが現存しておられる。
 実際に、神に栄光があますところなく帰せられ、人々が聖化されるこのこれほどの御業において、 キリストは御自分の最愛の花嫁である教会に常に寄り添われ、教会はその自分の主に呼びかけ、 その主をとおして永遠の御父に礼拝をささげる。
 したがって典礼において、まさしくイエス・キリストが祭司としての任務を果たされるのであり、 そこでは人間の聖化が感覚的なしるしによって表示され、そのそれぞれのしるしに固有のしかたで実効力あるものとして行われ、 また公的で十全的な礼拝がイエス・キリストの神秘体によって、つまりその頭と肢体によって果たされる。
 それゆえ、すべての典礼の儀式は、祭司としてのキリストの御業として、またその神秘体としての教会の業として、 最も優れた聖なる行為であり、その効力には内容的にも、段階的にも教会の他のいかなる行為も匹敵するものではない。

[地上の典礼と天上の典礼]
8.地上の典礼に与りながら、わたしたちは巡礼者として向かっている聖都エルサレムにおいて執り行われている 天上の典礼に前もって味わいながら与っている。 そこではキリストが神の右に座し、至聖所、真の幕屋の奉仕者を勤めておられる 黙21:2;コロ3:1;ヘブ8:2参照。 わたしたちは天上の軍隊の全勢力と共に、主にむかって栄光の賛美を歌っている。 聖人たちの記憶を恭しく保ちながら、彼らと何らか分ち合うものがあって連なっていることを希望する。 わたしたちの命であるわたしたちの主イエス・キリストがお現れになるまで、 そのときわたしたちもこの御かたと共に栄光に中に現れることになるが フィリ3:20;コロ3:4参照、 この御かたを救い主として待ち望んでいる。

[典礼は教会のすべての活動を包含しない]
9.聖なる典礼は教会の活動を網羅してはいない。 なぜなら人々は典礼に近づくことができる前に、信仰と回心を呼びかけられる必要があるからである。 「信じたことのないかたを、どうして呼び求めることができるでしょうか。 聞いたことのないかたを、どうして信じることができるでしょうか。 宣べ伝える者がなければ、どうして聞くことができるでしょうか。 遣わされなければ、どうして宣べ伝えることができるでしょうか」(ロマ10:14−15)。
 それゆえ、教会はすべての人が唯一の真の神とこの神がお遣わしになったイエス・キリストを認め、 悔い改めて自分の歩みを離れて回心するよう、信仰のない人々に救いの知らせを告げている ヨハ17:3;ルカ24:27;使2:38参照。 信仰のある人々にもたえず信仰と悔い改めを宣べ伝え、また諸秘跡に与れるように、 キリストが委託なさったことをすべて守ることを教えるように マタ28:20参照、 愛と、信心と使徒職のすべての活動に向かわされるようにしなければならない。 これらの活動によって、キリスト教徒がこの世からのものではないが、 世の光であると共に御父に栄光を帰すものであることが人々の前に明らかにされる。

[典礼は教会の命の頂点であり、源泉]
10.しかしながら、典礼は教会の活動が行きつく頂点であると同時にそのすべての力が湧き出る源泉でもある。 なぜなら使徒的働きが目標とするのは、信仰と洗礼によって神の子らとなったすべての者が相集って一つになり、 教会の中で神をたたえ、いけにえに与り、主の晩餐をいただくことにあるからである。
 他方、典礼そのものが信徒たちを促して、「過越しの諸秘跡に」満たされ、「敬虔な心で一つに結ばれる」 復活前夜祭と復活主日の拝領祈願 ようにする。 つまり、「信仰によって把握したことを生きながら守るよう」 復活祭8日間中の火曜日のミサの祈願祈る。 また感謝の祭儀における主が人間と結ばれる契約の更新は、 キリストの迫る愛に信徒たちを引きつけ、燃え上がらせる。 それゆえ、感謝の祭儀を主とする典礼から、あたかもこれを源泉として、恩恵がわたしたちの中に注ぎ込まれ、 最も効果的にキリストにおける人間の聖化と神に栄光を帰すことが実現されるのであり、 これをあたかも目標として教会のほかの活動が集中する。

[典礼に参加する者に求められる心の準備]
11.しかし、この効果が十分得られるために必要なのは、信徒たちが正しい心構えをもって聖なる典礼に近づき、 自分の心を声に合わせ、上からの恩恵を空しく受けることがないようにこれに協力することである 2コリ6:1参照。 それゆえ、聖なる司牧者たちは典礼行為において有効にして合法的な祝祭のための諸規則が守られるようにするだけでなく、 信徒たちが自覚して積極的に、また実り豊かにそれに与るように目覚めていなければならない。

[典礼と個人的な祈り]
12.しかし、霊的生活はただ単に聖なる典礼に参加することにあるのではない。 キリスト教徒は共同で祈るように召されたものであるが、自分の部屋にこもり、隠れておられる御父に祈り マタ6:6参照 しかも使徒パウロが教えるように、絶えず祈らなければならない 1テサ5:17参照。 また同使徒によってわたしたちは、イエスの自己犠牲がわたしたちの身体に帯びてあり、 こうしてまたイエスの命がわたしたちの死すべき肉体に現わされるように 1テサ5:17参照2コリ4:10−11参照 しなければならないと教えられている。 そのためわたしたちは、ミサのいけにえの中で主に向かって、 「この霊的な奉納物をお受け取りになり、わたしたち自身をも」ご自分のために「永遠の供え物」 聖霊降臨祭8日間中の月曜日の奉納祈願 としてくださるよう祈る。

[典礼の息吹を受けた信心行]
13.キリスト教徒の民にある信心行は、教会の規則と原則に即している限り、大いに勧められ、 特に使徒聖座の指令によって行われる場合、そうである。
 合法的に認可された慣習ないし文書に従って、 司教たちの指令によって執り行われる諸個別教会の聖なる信心行も特別な尊厳性を備えている。
 しかし、これらの信心行は典礼の時節を考慮して、聖なる典礼に即したものであるように、 それが何らかこの典礼から由来し、キリストを信じる民をこの典礼に手引きするように整合性のあるものにしなければならない。 聖なる典礼はその本性上これらの信心行をはるかに越えて優れたものだからである。


U 推進すべき典礼教育と積極的典礼参加について

[信徒の積極的参加と聖職者の養成]
14.母なる教会が希求してやまないのは、 すべての信徒が典礼の祝祭に始めから終わりまで自覚して積極的に参加するよう指導されることである。 この参加は、典礼そのものの本性によって求められるものであり、 またこれに「選ばれた民族、王なる祭司団、聖なる民、勝ち取られた民」 (1ペト2:9;また2:4−5も参照)であるキリスト教徒の民は洗礼の効力により権利と義務をもつ。
 このすべての民が始めから終わりまで積極的に参加することが、聖なる典礼の刷新と促進にあたり最も注目されなければならない。 典礼は信徒たちが真のキリスト教精神を汲み取る最初にして、また不可欠の源泉だからである。 それゆえその参加は、魂の司牧者たちがそのすべての司牧活動において適切な教育を行うことにより怠りなく追い求めなければならない。
 しかし、これが可能となるためには、まず魂の司牧者たち自身が典礼の精神と威力を深く身につけ、 その教師に仕立てあげられなければ、何ら希望の光はないので、まずもって聖職者の典礼教育がはかられる必要がある。 そのためにこの聖なる公会議は、以下の事項を定めることを決議した。

[典礼の教師の養成]
15.神学校、修道者の研修所、神学部において聖なる典礼学の授業主任として立てられる教師は、 特別に配慮してそのために設けられた研究所でその任務のために適切な養成を受けなければならない。

[聖職者の典礼教育]
16.聖なる典礼の科目は、神学校と修道者の研修所においては必修重点科目の一つ、 神学部においては主要科目の一つと見なされなければならず、それは神学的かつ歴史的観点のもとでも、 また霊的かつ司牧的、教会法的観点のもとでも講義されなければならない。
 さらに他の科目の教師、特に教義神学と聖書学、霊性神学、司牧神学の教師は、 それぞれ固有の研究対象の内的要請からキリストの秘義と救いの歴史を解明して、 そこからその研究対象と典礼との関連および司祭養成の統一性が明らかに見えるように配慮しなければならない。

[神学校と修道院における典礼生活]
17.聖職志願者は、神学校や修道院において、聖なる秘義そのものを祝うにしても、 聖なる典礼の精神に貫かれた他の信心行を行うにしても、その聖なる儀式を理解し、 心を込めてそれに参加することができるように、適切な指導を受け、 典礼的霊性に生きるための養成を身につけなければならない。 同様に、彼らは典礼の諸規則を遵守することを学び、こうして神学校や修道院における生活が、 深く典礼の精神の行き渡ったものになるようにしなければならない。

[司祭の典礼生活]
18.すでに主のぶどう畑で活動している司祭たちは、在俗司祭にしても、修道司祭にしても、 聖なる儀式を執行して実行していることの理解を日々深め、典礼的生活を生き、 これを自分に委ねられた信徒たちに伝えるようにしなければならない。

[典礼教育と積極的参加]
19.信徒たちの典礼教育と積極的な内面的、外面的参加は、魂の司牧者たちがその信徒たちの年齢、 生活条件、生活形態、宗教的成熟度に応じて、熱心に、また忍耐をもって追い求め、 神の秘義の忠実な分配者としてその主たる任務の一つを果たさなければならない。
 彼らはまた、このことにあたっては自分の羊の群れを言葉だけでなく、模範をもってしても導かなければならない。

[情報機器による典礼報道]
20.ラジオやテレビによる聖なる典礼行為の報道は、特にミサ聖祭に関しては、 司教によりこの任務に指名された適格者の指導と保証のもとに、慎重かつ厳粛に行われなければならない。

V 典礼の刷新について

[典礼改革の本性と目的]
21.敬虔にして母なる教会は、キリスト教徒の民が聖なる典礼において数々の豊かな恩恵にいっそう確かに与れるように、 典礼そのものの全般的刷新に取り組むことを切に欲する。 なぜなら典礼は、神によって設定されたものとして不可変の部分と、時を経ながら多様化することができる可変の部分からなっており、 もしこの中に典礼そのものの内的本性によく即応せず、あるいは適切ではなくなったものがあれば、多様化もしなければならないからである。
 この刷新にあたって、(典礼)本文と儀式は、意味されている聖なるものがいっそう鮮明に表現され、 キリスト教徒の民がこれを可能な限り容易に理解し、欠けたところなく、積極的に、 それぞれ自分の共同体の祝祭に参加できるように、整えることが肝要である。
 そのためにこの聖なる公会議は、以下の一般原則を定める。


 A)一般原則

[典礼変革は教会の位階的権限のみによる]
22.§1.聖なる典礼の統制は、ただ教会の権威によってのみ行われる。 この権威は使徒座のもとにあり、また教会法の原則にしたがって司教のもとにある。
 §2.教会法によって認められた権能により、定められた限界の中での典礼に関する事柄の統制は、 合法的に構成された所轄の様々な種類の地域司教団にも属する。
 §3.それゆえ、ほかの誰も、司祭であっても、典礼の中に独断で何事も付加したり、削除したり、変更したりしてはならない。

[伝統を守ると共に真正の発展を認めること]
23.健全な伝承を保ちながらも進展への正しい道を開くためには、 改正すべき典礼の個々の部分について常に予め行っておかなければならないのが、正確な神学的、歴史的、司牧的研究である。 さらに考慮しなければならないのが、典礼の構造と精神の一般原則と共に、 最近の典礼刷新と広く認められている特典によって得られた経験である。 最後に、改革は、新しい形態が既存の形態から有機的に何らかの仕方で成長するようにと教会の真にして確かな有用性が要求し、 慎重を期してでなければ、行ってはならない。
 また地域間で儀式の著しい相違が生じないように、可能な限り注意も払わなければならない。

[典礼改革における聖書の重要性]
24.典礼の祝いにおいて聖書が最も重要な位置を占める。 聖書により朗読が行われ、これが説教で説明され、詩編が歌われ、その息吹と発想により祈りと祈願、典礼聖歌が作り出され、 また聖書により動作と象徴がその意味を与えられる。 それゆえ、典礼の刷新、発展、適応に心がけるためには、東西諸教会の儀式の尊敬すべき伝承が証しする、 あの聖書に対する甘美にして生き生きとした感性を促進する必要がある。

[典礼書の早急な改訂]
25.典礼書は世界中の各地で、専門家を活用し、司教に諮って早急に改訂しなければならない。


 B)位階的かつ共同体的行為としての典礼固有の性格に基く原則

[典礼行為の本性]
26.典礼行為は個人的行為ではなく、「一致の秘跡」、すなわち司教たちのもとに一つに集められ、 秩序づけられた聖なる民である教会の祝祭である 聖キプリアヌス、『カトリック教会の一性について』:S.Cyprianus, De cath.Eccl.unitate, 7 : ed.G.Hart,in CSEL, t.III, 1, Vindobonae, 1868, pp.215-216 ; また『第66書簡』: Ep.66, n.8, 3, ed.cit., Vindobonae, 1871, pp.732-733参照
 それゆえ、典礼行為は教会の体全体の行為であり、またこの体全体を表現し、体全体に関わる。 この体の各肢体については、それはその秩序内の身分、職務、実際の参加の相異にしたがって、それぞれ異なる仕方でなされる。

[典礼の祝祭を優先すべきこと]
27.儀式がそのそれぞれ固有の性格に従って、 信徒たちの参列とその積極的参加をもって共同体の祝祭として行われるときにはその度毎に、可能な限り、 この共同体の祝祭を彼らの個人的で、ほとんど私的というべき祝祭に対して優先しなければならないことを強調して教えなければならない。
 このことは、どのミサにも常に公的で社会的性格があることには変わりはないが、 特にミサ聖祭について、また諸秘跡の執行について言わなければならない。

[典礼における役割分担]
28.典礼の祝祭においては、奉仕者であろうと信徒であろうと、その誰もが自己の職務を果たし、 その物事の本性上また典礼の原則上自分に属するものだけを、またそのすべてを行わなければならない。

[役割分担者それぞれの典礼教育]
29.侍者たち、朗読者たち、解説者たち、聖歌隊に属する人たちも、真の意味で典礼の奉仕職を果たす。 それゆえ、彼らはこの大いなる奉仕職にふさわしく、また神の民が自分たちに正しく要求するような真心からの信仰心を込め、 秩序を守って、自分の任務を実行しなければならない。
 そのために、肝要なのは、彼らがそれぞれ各自のあり方で、典礼の精神を熱心に身につけ、 自分の役割を規則正しく整然と取り組めるように養成されることである。

[信徒の積極的参加]
30.積極的な参加を促進するために、会衆の応唱、答唱、詩編唱和、交唱、聖歌、 また種々の行為ないし動作と姿勢にも配慮されなければならない。聖なる沈黙も、守るべき時には守られなければならない。

[典礼書に信徒の役割を予め見ておくこと]
31.典礼書の改訂にあたっては、儀式実施注記に信徒が果す役割も見越して指摘されるように細心の注意が払われなければならない。

[典礼における特権的位置はない]
32.典礼においては、典礼上の職務と聖なる叙階から生じる相異を別にし、 また典礼規則の原則に従って市民的公権力に然るべく認められた名誉を別にして、儀式においてであれ、 外面的荘厳さにおいてであれ、いかなる個人的、あるいは社会身分的優遇処置もあってはならない。


 C)典礼の教育的かつ司牧的性格に基く原則

[典礼の信仰教育的機能]
33.聖なる典礼が主眼とするのは神の尊厳に対する礼拝であるが、 信徒会衆に対する豊かな教育指導もそれに含まれる トリエント公会議、第22総会(1562年9月17日)、『聖なるミサのいけにえに関する教書』:CONC.TRID.Sess.XXII, 17 sept.1562, Doctr.De ss.Missae sacrif., c.8 :CONCILIUM TRIDENTINUM, Ed.cit, t.VIII, , p.961。 実際に、典礼において神はご自分の民に語りかけられる。キリストはまたしても福音を告げられる。 会衆はといえば、その神に聖歌をもって、また祈りをもって答える。
 しかも、キリスト御自身となって集会の座長をつとめる司祭が神にささげる祈りは、 聖なるすべての民とまわりにいるすべての人の名において唱えられる。 最後に、神の見えないものを表示するために用いられる目に見えるしるしは、 キリストによって、または教会によって選定されたものである。 したがって、「わたしたちへの教訓として書かれた」(ロマ15:4)ものが朗読されるときだけでなく、 教会が祈り、あるいは歌い、あるいは行動する間も、参列者の信仰は養われ、 心は神に向かって引き起こされ、こうしてふさわしい礼拝を神にささげ、神の恩恵をいっそう豊かに受けるようにされる。
 それゆえ、刷新を実行するにあたり、以下の一般原則が守られる必要がある。

[儀式の構造]
34.儀式は上品な単純さで輝き、短く明快であり、無益な重複を避け、信徒たちの理解力に応じ、 概して多くの説明を必要としないものでなければならない。

[聖書朗読と説教、信仰教育]
35.典礼において儀式と言葉が密接に結びついていることが明らかに現れるために:
 1) 聖なる祝祭において聖書朗読がいっそう豊富に、多様に、適切になるように刷新すること。
 2) 典礼行為の部分としての説教のいっそう適切な位置が、儀式が許容する限り、 儀式実施注記にも指摘されること。説教の務めは、まことに忠実に、かつ厳正に果たされなければならない。 これは、救いの歴史ないしキリストの秘義における神の驚くべき御業、 このわたしたちの中に、とくに典礼の祝祭の中に常に現存し、働く神の驚くべき御業の告知のようなものとして、 とくに聖書と典礼の泉から汲み取られる。
 3) またいっそう直接的な典礼教育も、あらゆるしかたでたたき込むこと。 もし必要ならば、その儀式の中で短い訓示が、司祭または権限ある奉仕者により、ただ適切な時に、 所定の規定または同様の言葉によって与えられるよう予め見ておく。
 4) 大祝日の前晩や、待降節と四旬節の週日、それに主日と祝日に、御言葉の聖なる祝祭を促進し、 まさに司祭が不在のところでこれを大いに促進すること。 この場合、助祭ないし司教の派遣を受けたほかの者が祝祭を指導する。

[典礼の言語]
36. §1. ラテン語の使用は、特別な法規がある場合を除き、ラテン典礼の儀式においては保持されなければならない。
§2. しかし、ミサにおいても、諸秘跡の執行においても、また典礼のほかの部分においても、 国語の活用が民のもとできわめて有益であり得ることが稀ではないので、 このことに関して以下の数章で個々に定められる諸原則にしたがって、 その活用にいっそう大きな余地が与えられ得るようにしなければならない。
§3. この諸原則を守った上で、所轄の地域の教会裁治主権者が、第22項§2にあるように、 場合によっては、同一言語の隣接地域の司教たちとの協議も経て、国語の使用とその方法について定める。 その決定は、使徒座の承認ないし確認がなされなければならない。
§4. 典礼において用いられる国語へのラテン語本文の翻訳は、前に述べた所轄の地域教会裁治主権者によって承認されなければならない。


 D)諸民族の特性と伝統に沿って適応を遂行するための原則

[統一規格よりも適応を]
37.教会は、その全共同体の信仰または善に触れない事柄に関しては、典礼においても、厳格な画一性を欲しない。 それどころか、それぞれ異なる民族や国民の精神的美点と才能を重んじて生かす。 他方、諸民族の習慣の中に、迷信や誤りとは不解消的絆で結ばれていないものは何事も好意をもって考慮し、 可能であれば、それをそのまま保持し、さらにまた真にして紛れのない典礼的精神の諸側面と整合している限り、 ときには典礼そのものの中に取り込むことさえ認める。

[地域毎の必要性に即した適応]
38.ローマ典礼の本質的統一性を保ちながらも、典礼書が改訂されるときにも、特に宣教地において、 あい異なる諸集団、諸地域、諸民族のためになされる正当な多様化と適応化に余地を残さなければならない。 またこのことは、儀式の構造と儀式実施注記を定めるときに念頭に置かなければならない。

[適応の限界]
39.典礼書の規範版に定められている限界内で、所轄の地域の教会裁治主権者が、 第22項§2にあるように、特に諸秘跡の執行に関して、準秘跡、行列、典礼用語、教会音楽と教会芸術に関して、 諸適応事項を定めなければならない。ただし、本憲章にある基本原則に即してでなければならない。

[宣教地における典礼の適応作業]
40.しかしながら、さまざまな地域と状況では、典礼の適応はいっそう徹底したものであることが強く求められるので、 それはまたいっそう難しくなる。
 1)所轄の地域教会裁治主権者は、第22項§2にあるとおり、この取り組みにあたり、 それぞれの民族の伝統と特性の中から何を、適切に神聖な礼拝に取り入れることが認められ得るか、 慎重に、また賢明に検討しなければならない。有益あるいは必要だと考えられる適応事項は、 使徒座に提案し、その同意を得て導入しなければならない。
 2)適応が行われるためには細心の検討が必要であるから、場合によっては、そのために適したある幾つかの集団の中で、 一定期間、必要な予行的試験的導入を承認し、指導するために、使徒座により同じ地域教会裁治主権者に権限が与えられる。
 3)典礼法規は、個々の適応事項となれば、特に宣教地では特別な困難を伴うのが常であるから、 それを設定するときには、その筋の専門家の参与が必要である。

W 教区と小教区における典礼生活の促進について

[教区における典礼生活]
41.司教は自分の羊の群れの大祭司とみなされなければならない。 キリストにおけるこの自分の信徒たちの命は、ある意味で司教に由来し、依存する。
 それゆえ、すべての者は特に司教座聖堂における司教を中心とする教区の典礼生活を最も重要視する必要がある。 つまり、司教が自分の司祭団と奉仕者たちに囲まれて座長をつとめる一つの祭壇で、特にその同じ感謝の祭儀をはじめ、 その同じ典礼の祝祭に、一つの祈りに アンティオキアの聖イグナティオス、『マグネシア人への書簡』、7:『フィリピ人への書簡』4:『スミルナ人への書簡』8:ed.F.X.Funk,cit., I, p.236, 266, 281、 神の聖なる民全体が欠けたところなく、 積極的に参加する中に、教会の主たる自己表現があると、すべての者が納得する必要がある。

[小教区における典礼生活]
42.司教は自分の教会にあっていつでも、どこでも自分自身でそのすべての羊の群の座長をつとめることはできない。 したがって、なかでも地域的に司教の代役を果す司牧者のもとに組織化された小教区が卓越した位置を占める、 信徒集団を必然的に設立しなければならない。実際に、ある様相のもとにこの小教区は、 全世界のために設立された目に見える教会そのものの代表なのである。
 それゆえ、小教区の典礼生活とその司教との関係は、信徒と聖職者の心と実践の中で大切にしなければならない。 また小教区の共同体的精神が、とりわけ日曜日のミサを共同体として祝うときに盛んになるように工夫しなければならない。

X 典礼司牧活動の推進について

[教会における典礼運動の重要性]
43.聖なる典礼を大切にし、刷新しようとすることへの熱意は、 まさにわたしたちの時代に向けられた神の摂理的なはからいのしるし、 ご自分の教会への聖霊の渡来と考えられる。それはその教会の命を、 またこのわたしたちの時代のあらゆる宗教的思考と行動までも、その固有の特徴でもって際立たせている。
 そのために、教会の中でこの典礼司牧活動をさらに促進するために、この聖なる公会議は以下のとおり定める。

[地域の典礼委員会]
44.所轄の地域の教会裁治主権者は、第22項§2にあるとおり、 典礼学、教会音楽、教会芸術および司牧関連の専門家の支援を受ける典礼委員会を設けることが望ましい。 この委員会には、典礼司牧研究所のようなものが、可能な限り協力しなければならない。 この研究所を構成する所員として、場合によってはこの分野に秀でた信徒たちも排除されない。 その委員会の任務は、上に述べた地域の教会裁治主権者の導きのもと、自己の管轄内で典礼司牧活動を指導し、 使徒座に提案するはずの適応事例があるときにはその度に、研究と必要な試行的導入を推進することである。

[教区の典礼委員会]
45.同様に、司教の指導のもと、典礼運動を推進するために、個々の教区に典礼委員会がなければならない。
 協議して典礼運動を押し進める一つの委員会を、複数の教区が設立するのが、ときには適切であるかもしれない。

[教会音楽と教会芸術の委員会]
46.聖なる典礼の委員会のほかに、どの教区にも、可能な限り、教会音楽と教会芸術の委員会も設立しなければならない。
 この三つの委員会は協力して働くことが必要である。しかも適切なことが稀ではないのが、 この三つが一つの委員会にまとまることである。

イザ61:1;ルカ4:18参照
アンティオキアの聖イグナティオス、『エフェソ人への書簡』、7:2:F.X.Funk, Patres Apostolici, I, Tubingae, 1901, p.218
10 1テモ2:5参照
11 『ヴェロナの秘跡書』:Sacramentarium Veronense(Leonianum):Ed.C.Mohlberg, Romae, 1956, n.1265, p.162
12 『ローマ・ミサ典礼書』の復活祭の叙唱
13 聖アウグスティヌス、『詩編講解』:S.Augustinus, Enarr.in Ps.138, 2:Corpus Christianorum, XL, Turhholti.1956, p.1991; 『ローマ・ミサ典礼書』の聖週間改正前の聖土曜日第2朗読後の祈願参照
14 マルコ16:15参照
15 使26:18参照
16 ロマ6:4;エフェ2:6;コロ3:1;1テモ2:11参照
17 ヨハ4:23参照
18 1コリ11:26参照
19 トリエント公会議、第13総会(1551年10月11日)、『聖なるエウカリスティアに関する教令』:CONC.TRID.Sess.XIII, 11 oct.1551, Decr.De SS.Eucharist., c.5 :Concilium Tridentinum, Diariorum Actorum, Epistolarum, Tractatuum nova collectio, ed.Soc.Goerresianae, t.VII, Actorum Pars IV, Friburgi Brisgoviae 1961, p.202.
20 トリエント公会議、第22総会(1562年9月17日)、『聖なるミサのいけにえに関する教書』:CONC.TRID.Sess.XXII, 17 sept.1562, Doctr.De ss.Missae sacrif., c.2 :Concilium Tridentinum, Ed.cit, t.VIII, Actorum Pars V, Friburgi Brisgoviae 1919, p.960
21 聖アウグスティヌス、『ヨハネ福音書注解』:S.Augustinus, In Ioannis Evangelium, Tractatus VI.Cap.1.n.7 ;PL 35 ,1428
22 黙21:2;コロ3:1;ヘブ8:2参照
23 フィリ3:20;コロ3:4参照
24 ヨハ17:3;ルカ24:27;使2:38参照
25 マタ28:20参照
26 復活前夜祭と復活主日の拝領祈願
27 復活祭8日間中の火曜日のミサの祈願
28 2コリ6:1参照
29 マタ6:6参照
30 1テサ5:17参照
31 1テサ5:17参照2コリ4:10−11参照
32 聖霊降臨祭8日間中の月曜日の奉納祈願
33 聖キプリアヌス、『カトリック教会の一性について』:S.Cyprianus, De cath.Eccl.unitate, 7 : ed.G.Hart,in CSEL, t.III, 1, Vindobonae, 1868, pp.215-216 ; また『第66書簡』: Ep.66, n.8, 3, ed.cit., Vindobonae, 1871, pp.732-733参照
34 トリエント公会議、第22総会(1562年9月17日)、『聖なるミサのいけにえに関する教書』:CONC.TRID.Sess.XXII, 17 sept.1562, Doctr.De ss.Missae sacrif., c.8 :CONCILIUM TRIDENTINUM, Ed.cit, t.VIII, , p.961
35 アンティオキアの聖イグナティオス、『マグネシア人への書簡』、7:『フィリピ人への書簡』4:『スミルナ人への書簡』8:ed.F.X.Funk,cit., I, p.236, 266, 281


第 2 章
感謝の祭儀の聖なる秘義について


[十字架のいけにえとしての感謝の祭儀]
47.わたしたちの救い主は、死に渡される夜のこと、最後の晩餐において、 ご自分の御体と御血による感謝の祭儀のいけにえを制定し、 それにより再び来られるまで、十字架のいけにえをいつまでも続け、 それほど最愛の花嫁である教会にご自分の死と復活の記憶を委託された。 これは親愛の秘跡、一致のしるし、愛の絆 聖アウグスティヌス、『ヨハネ福音書注解』:S.Augustinus, In Ioannis Evangelium, Tractatus XXXVI.cap.6.n.13 ;PL 35, 1613参照、 過越しの宴であって、ここでキリストが食べ物となってくださり、心は恩恵で満たされ、 そのわたしたちに未来の栄光の保証が与えられる 『ローマ聖務日課』、聖体の祝日の第2晩課、新約の歌の交唱

[信徒が自覚をもって敬虔に積極的に参加すること]
48.そういうわけで、教会は信徒たちがあたかも場外の、または発言できない観客のようにこの信仰の秘義に居合わせるのではなく、 儀式と祈りをとおしてこれをよく理解しながら、自覚をもって、敬虔に、積極的に聖なる行為に与り、 神のことばに教えられ、主の御体の食卓で養われ、神に感謝し、汚れのない供え物をただ司祭の手によるだけでなく、 司祭と共にこれをささげながら、自分自身もささげることを学び、キリストを仲介者として アレクサンドリアの聖キュリロス、『ヨハネ福音書注解』:S.Cyrillus Alex.Commentarium in Ioannis Evangelium, Lib.XI, cap.XI-XII:PG 74, 557-564参照、 日毎に神との一致と信徒たち相互の一致に向かって成長を遂げ、 ついには神がすべてにおいてすべてとなるようにと意図して、こまやかな配慮を怠らない。

[ミサの改革の目的]
49.そのため、ミサのいけにえが、儀式の形式においても司牧的効力を十分発揮するように、 聖なる公会議は、特に主日と守るべき祝日に会衆が参列して行われるミサを考慮しながら、以下のことを決定する。

[通常ミサの改革]
50.ミサの式次第は、その個々の部分の固有の意味とその相互の関連がいっそう鮮明になるように、 また信徒たちの敬虔で積極的な参加がいっそう容易になるように再検討されなければならない。
 そのために、儀式はその本質を純正に保存しながら、単純にされなければならない。 つまり、時を経る中で重複して増やされたり、無益に加えられたものは省かなければならない。 他方、時のいたずらで抜け落ちたものの中に、以前の聖なる教父たちの規範にしたがって、 適切または必要と思われるものがあれば、その限りにおいて復元されなければならない。

[ミサにおける聖書朗読]
51.神の言葉の宴が信徒たちの前にいっそう豊かに備えられるために、 聖書の宝庫をいっそう広く開放し、こうして一定の年数を周期として、聖書の主要な部分を会衆に朗読しなければならない。

[説教]
52.説教は、典礼暦の経過に沿って聖書によって信仰の秘義とキリスト者として生きる基準を説明するものであり、 典礼そのものの部分として大いに勧められる。しかもまた主日と守るべき祝日に、 参列する会衆と共に祝われるミサでは、重大な理由がなければ、説教は省いてはならない。

[共同祈願]
53.「共同祈願」ないし「信徒の祈願」が、特に主日と守るべき祝日に、福音朗読と説教のあとで復元され、 これに与る会衆と共に、聖なる教会のため、権威をもってわたしたちを治めている人々のため、 種々の必要性に苦悩している人々のため、すべての人々と世界の救いのために祈願が行われるようにしなければならない 1テモ2:1−2参照

[言語]
54.国語には、会衆と共に祝うミサで、特にその聖書朗読と「共同祈願」の中で、 また地域の事情によっては、会衆に関わる諸部分においても、 本憲章の36条の原則にしたがって適切な位置が与えられることができるようにしなければならない。
 しかしながら、キリストの信徒たちがラテン語を用いてでも、 彼らに関わるミサの通常の諸部分を共に唱えたり、歌ったりできるように配慮しなければならない。
 しかしながら、ミサにおける国語のいっそう広範な活用が適当と思われるところでは、 本憲章の第40条の規定を守らなければならない。

[同一のいけにえからの聖体拝領と両形態による聖体拝領]
55.信徒たちが司祭の拝領後、同じいけにえから主の御体を受領するという、いっそう完全な参加が大いに勧められる。
 両形態のもとでの聖体拝領は、トリエント公会議によって決定された教義的原則は確固たるものだが 第21総会(1582年7月16日)、『両形態による聖体拝領と子供の聖体拝領に関する教書』、第1―3章:Doctrina de Communione sub utraque specie et parvulorum, capp.1-3: CONCIUM TRIDENTINUM, Ed. cit,t.VIII, pp.698-699、 使徒座が定める場合に、司教の判断により、たとえば自ら司式する聖なる叙階のミサにおいて受階者たちにとか、 自ら司式する修道誓願のミサにおいて立願者たちにとか、洗礼に続いて行われるミサにおいて受洗者たちにとか、 聖職者と修道者にも、また一般信徒にも認めることができる。

[ミサ全体に参加すること]
56.いわばミサを構成する二つの部分、つまりことばの典礼と感謝の祭儀の典礼は、 一つの礼拝行為となるように、密接に結合しあっている。 聖なる公会議が魂の司牧者たちに激しく勧めるのは、信仰教育において信徒たちに、 ミサには始めから終わりまで参加しなければならないことを熱心に教えることである。

[共同司式ミサを広げること]
57. §1. 祭司職の同一性が適切にも明らかに示されるのが共同司式で、 これは東方教会でも、西方教会でも現在に至るまで慣用とされてきた。 それゆえ、本公会議は共同司式を行う権限を以下の場合に喜んで広げる。
1. a) 聖木曜日に、聖香油のミサでも、夕のミサでも、主の晩餐を祝うミサで。
b) 公会議、司教の会合と司教会議におけるミサで。
c) 大修道院長の祝別のミサで。
2. さらに、共同司式について適切かどうかを判断する務めがある裁治権者の 許可のもとに、
a) 修道院のミサと各教会における主要ミサで。 ただし、信徒たちにとってそこに居合わせるすべての司祭が個別にミサをささげることが有益である場合は除く。
b) 在俗司祭であれ、修道司祭であれ、司祭のあらゆる種類の会合に おけるミサで。
§2. 1. 司教区の中で共同司式の規律を統制するのは司教の任務である。
2. しかし、個別にミサをささげる権限はどの司祭にも常に確保されなければならない。 ただし、この権限は同一の教会で、同一の時間にささげるミサと、聖木曜日の主の晩餐を祝うミサにはない。

[共同司式ミサの儀式の作成]
58.共同司式の新しい儀式が作成され、ローマ司教典礼書とミサ典礼書に挿入されなければならない。


36 聖アウグスティヌス、『ヨハネ福音書注解』:S.Augustinus, In Ioannis Evangelium, Tractatus XXXVI.cap.6.n.13 ;PL 35, 1613参照
37 『ローマ聖務日課』、聖体の祝日の第2晩課、新約の歌の交唱
38 アレクサンドリアの聖キュリロス、『ヨハネ福音書注解』:S.Cyrillus Alex.Commentarium in Ioannis Evangelium, Lib.XI, cap.XI-XII:PG 74, 557-564参照
39 1テモ2:1−2参照
40 第21総会(1582年7月16日)、『両形態による聖体拝領と子供の聖体拝領に関する教書』、第1―3章:Doctrina de Communione sub utraque specie et parvulorum, capp.1-3: CONCIUM TRIDENTINUM, Ed. cit,t.VIII, pp.698-699


第 3 章
ほかの秘跡と準秘跡について

[秘跡の本性]
59.秘跡は人間の聖化のため、キリストの体の形成のため、最後に神に礼拝をささげるためにあるが、 しるしとしては養成にも関わる。秘跡は信仰を前提とするだけでなく、言葉と事物をもって信仰を養い、強め、表現する。 それゆえ、秘跡は信仰の秘跡と言われる。秘跡は恩恵を授けるが、その祝いの執行は、 信徒たちにこの同じ恩恵を実り豊かに受け取り、神をふさわしく礼拝し、愛を実践するために最善の心の準備ともなる。
 したがって、信徒たちが諸秘跡のしるしを容易に理解し、 キリスト教信仰の命を養うために制定されたこれら諸秘跡に足しげく通うことは、きわめて肝要である。

[準秘跡の本性]
60.さらにまた聖にして母なる教会は準秘跡を制定した。 これは聖なるしるしであって、このしるしによって、何らか秘跡と類似して、特に霊的な効果のあることが意味され、 その効果が教会の祈念によって得られる。その準秘跡によって、 人々は秘跡の主たる効果を受け取るために心の準備がなされ、多様にある生活環境が聖化される。

[秘跡と準秘跡の効果]
61.それゆえ秘跡と準秘跡の典礼の働きは、 心の準備がよく整った信徒たちのためにその人生のほとんどすべての出来事を恩恵によって聖化することにあり、 この恩恵の起源はすべての秘跡と準秘跡がその効力を得ているキリストの受難と死、復活の過越し秘義にある。 物理的な事物を正しく使用して、人間を聖化し、神を賛美するという目的に向けることができないものは、ほとんどない。

[秘跡と準秘跡の改革]
62.これら諸秘跡と諸準秘跡の儀式の中には、時が経つにつれ、 その本性と目的がわたしたちの時代には明らかとはいえなくなったものが幾つか入り込み、 その中のあるものは、わたしたちの時代の要請に即して適したものにすることが必要でさえあるので、 聖なる公会議はその見直しに関して、以下のことを決定する。

[国語の使用]
63.諸秘跡と諸準秘跡の執行にあたって、会衆の中では国語の使用が大いに有益であり得ることが稀ではないので、 以下の原則にしたがって、この国語の使用にいっそう大きい余地が与えられなければならない。
 a) 諸秘跡と諸準秘跡の執行にあたり、第36項の原則にしたがって国語を使用することができる。
 b) ローマ典礼書の新しい発行に沿って、言語に関してもそれぞれの地域の必要性に適応して作成された個別典礼書が、 本憲章第22項§2にあるとおり、所轄の地域教会裁治主権者により、早急に準備され、使徒座の承認を得て、 その関連の地域で用いられるようにしなければならない。この儀式書または個別の儀式集の作成にあたり、 ローマ典礼書の中で個々の儀式の前書きにある訓示を省いてはならない。 これは司牧と典礼の具体的執行に関わるものもあれば、社会的に特に重要なものもある。

[洗礼準備]
64.異なる複数の段階からなる成人のための求道期を復興し、 地区裁治権者の判断によって使用されるようにしなければならない。 こうしてふさわしい養成を行うために定められたこの洗礼準備の期間が、 時の順を追って祝われる聖なる儀式によって聖化されることができるようにしなければならない。

[通過儀礼の要素の採用]
65.宣教地においては、キリスト教の伝承にあるもののほかに、 それぞれの民族の中で用いられている通過儀礼の要素も、 キリスト教の儀式に適応させることができる限り、本憲章の第37−40項の原則にしたがって承認することができる。

[洗礼]
66.成人洗礼の儀式は、単純形式のものも、復興される求道期を考慮に入れた荘厳形式のものも、 両方とも見直さなければならない。ローマ典礼書には「洗礼を授けるとき」の固有ミサを挿入しなければならない。

67.幼児洗礼の儀式を見直し、幼児の実情に適応しなければならない。 両親および代父母の役割と務めがその儀式の中でいっそう明らかになるようにしなければならない。

68.洗礼の儀式において、受洗者が多数いる場合、そのための適応処置がいろいろとないわけではなく、 これは地区裁治権者の判断により利用されなければならない。 同様に、特に宣教地において信仰教育の教師たちが、また一般に死の危険があるとき、 司祭ないし助祭が不在でも信徒たちが使用できる短い洗礼式次第を作成しなければならない。

69.「幼児洗礼の省略部を補完する式次第」と呼ばれる儀式の代わりに、新しい儀式を作成し、 短い洗礼式で受洗した幼児がすでに教会の中に受け入れられていることがいっそう明解に、 いっそう適切に示されるようにしなければならない。
 同様に、すでに有効な洗礼を受けていて、聖なるカトリック教会に改宗した信徒たちのために新しい儀式が作成され、 彼らが教会の交わりの中に受け入れられることが示されるようにしなければならない。

70.洗礼用の水は、復活節以外のときに、洗礼の儀式そのものの中で、認可された短い式文を唱えて祝別することができる。

[堅信]
71.堅信の儀式は、この秘跡にあるキリスト教的通過(入信)儀礼全体との内的関連がいっそう明らかになるように見直さなければならない。 それゆえ、洗礼の約束の更新がこの秘跡を受ける前に行われることが適切である。
 堅信は、ミサの中で授けることができれば、それは適切である。ミサ以外のときに授ける堅信に関しては、 導入として用いるべき式文を作成しなければならない。

72.赦しの秘跡の儀式と式文は、この秘跡の本質と効果がいっそう明らかに表示されるように見直さなければならない。

[赦しの秘跡]
73.「終油の秘跡」は、「病者の塗油」とも呼ばれ、こう呼ぶほうが良いかもしれない。 これは危篤状態にある人々のためだけの秘跡ではない。 したがって、信徒が病気や老齢のために死の危険にさしかかった場合、この秘跡を受けるにふさわしい時が確かに来ている。

[病者の塗油]
74.病者の塗油と旅路の糧のための別々の儀式のほかに、病者の塗油が罪の告白後、 旅路の糧の拝領前に授けられる式次第を作成しなければならない。

75.塗油の回数は状況によって適応するものとし、 病者の塗油の儀式に用いられる祈りはこの秘跡を受ける病者の異なる状態に応ずるものとなるように見直さなければならない。

[叙階]
76.叙階の儀式は、儀礼作法にしても、祭式文にしても見直さなければならない。 それぞれの叙階または聖別の始めの司教訓話は、国語で行うことができる。
 司教の聖別において、按手は列席するすべての司教たちによって行うことができる。

[結婚]
77.ローマ儀式書にある結婚を祝う儀式は見直して、いっそう豊かにし、いっそう明らかにこの秘跡の恩恵が示され、 夫婦の務めが力説されるようにしなければならない。
 「もし地方によって結婚の秘跡を祝うにあたり、ほかの賞賛すべき習慣や儀礼作法が用いられているなら、 聖なる教会会議はそれをそのまま保持することを激しく望む」 トリエント公会議、第24総会(1563年11月11日)、『改革について』第1章:Concilium Tridentinum.Sess.XXIV, 11 nov.1563, De reformatione.c.8 :CONCILIUM TRIDENTINUM, Ed.cit, t.IX, Actorum pars VI, Friburgi Brisgoviae 1924, p.969.また『ローマ儀式書』:Rituale Romanum, tit.VIII.c.II, n.6も参照
 さらに、所轄の地域の教会裁治主権者には、本憲章の第22項§2にあるとおり、 第63項の原則にしたがって土地と住民の習慣に適合した固有の儀式を案出する権限が残される。 ただし、立ち会う司祭が結婚を誓いあう両者相互の同意を要求し、了承するとの法規は確固たるものである。

78.結婚は通常、ミサの中で、福音朗読と説教の後、「信徒の祈願」の前に行われる。 新婦のための祈願は、新郎新婦に互いに忠実であるという義務が同等にあることを力説するように適切に改訂した上で、 国語で言うことができる。
 もし結婚の秘跡がミサなしで行われるときには、儀式の始めに結婚のミサの書簡と福音を朗読し、 新郎新婦には常に祝別を授けなければならない。

[準秘跡の承認]
79.準秘跡は、信徒たちが自覚して、積極的に、容易に参加するようにとの主たる原則を考慮し、 わたしたちの時代の必要性に注意して見直さなければならない。 第63項の原則にしたがって見直すべき儀式書の中には、新しい準秘跡も、必要性の要請があれば、加えることができる。
 祝別の保留はごく僅かでなければならず、ただ司教ないし裁治権者のための保留に限られる。
 ある準秘跡が、少なくとも特別な事情のもと、また裁治権者の判断により、 ふさわしい資格を備えた信徒たちによって執り行うことができるように、見当しなければならない。

[修道誓願]
80.ローマ司教儀式書にある修道処女の聖別の儀式は、見直しに付する必要がある。
 さらに修道誓願宣立と誓願更新の儀式も、いっそう整合性があって、 簡素で、威厳があるようにして作成し、ミサの中で誓願宣立または誓願更新を行う者が、 特殊権を別にして、採用するようにしなければならない。
 称賛に値するのは、誓願宣立がミサの中で行われることである。

[葬儀]
81.葬送の儀式は、キリスト教徒の死にある過越しの性格をいっそう鮮明に示し、 典礼の色も含めて、それぞれの地方の事情や伝統にいっそうよく適したものでなければならない。

82.幼児を埋葬する儀式を見直し、固有のミサを加えなければならない。


41 トリエント公会議、第24総会(1563年11月11日)、『改革について』第1章:Concilium Tridentinum.Sess.XXIV, 11 nov.1563, De reformatione.c.8 :CONCILIUM TRIDENTINUM, Ed.cit, t.IX, Actorum pars VI, Friburgi Brisgoviae 1924, p.969.また『ローマ儀式書』:Rituale Romanum, tit.VIII.c.II, n.6も参照


第 4 章
聖務日課について

[キリストの祈りであり、教会の祈りである聖務日課]
83.新しくて永遠の契約の大祭司キリスト・イエスは、人間としての本性を取って、 わたしたちこの地上の捕囚民に、すべての時代をとおしてあの天上の住まいで歌い続けられる賛美をもたらされた。 全人類共同体をご自分に連なるものとし、この神の賛美の歌を共に歌うようにされた。
 事実、ご自分の教会そのものをとおしてあの祭司としての務めを果し続けておられるが、 この教会は感謝の祭儀を祝うだけでなく、ほかにも、特に聖務日課を実践しながら、 絶え間なく主を賛美し、全世界の救いのために取り次いでいる。

84.聖務日課は古いキリスト教の伝承に基いて、昼も夜もその全行程が神への賛美によって聖別されるように構成されている。 司祭たちをはじめ、そのために教会によって代表として立てられたほかの人々が、 または司祭と共に信徒たちが、認可された形式で祈りながら、その感嘆すべき賛美の歌を正しく実行するとき、 それはその花婿(キリスト)に語りかける花嫁(教会)の声そのものであり、 さらにまたキリストがご自分の体(教会)と共に御父にささげられる祈りでもある。

85.したがって、これに参与するすべての者は、教会の(教会としての)務めを果し、 キリストの花嫁の最高の誉れに与るのであり、それは神に賛美をささげながら、母なる教会の名をもって神の王座の前に立つからである。

[聖務日課の司牧的意味]
86.聖なる司牧の任務に従事する司祭たちは、時課の賛美(教会の祈り)を、 なおいっそう大いなる情熱をもって唱え、こうしてなおいっそう生き生きと、 「絶えず祈りなさい」(1テサ5:17)とのパウロの戒めを守る必要があると自覚するようにならなければならない。 「わたしを離れては、あなたたちは何もすることができない」(ヨハネ15:5)と言われた主だけが、 彼らの従事する働きの効果と発展を実現することができるからである。 そのために、使徒たちは、奉仕者(助祭)たちを選定して、 「わたしたちはもっぱら祈りとことばの務めに励みます」(使6:4)と言ったのだった。

87.司祭たちにしても、ほかの教会の成員にしても現実の状況の中で聖務日課の務めをいっそう良く、 またいっそう完全に果すために、聖なる公会議は、幸いにも使徒座によって始められた刷新を続け、 ローマ儀式書による聖務日課について、喜んで以下のとおり決定する。

[聖務日課の見直し]
88.聖務日課の目的は毎日その日を聖化することにあるから、 各時課を唱えるための伝統的な時の行程は、可能な限り各時課にその時の真理が戻されると同時に、 特に使徒的活動に携わる者が置かれている今日の生活条件も考慮して改革しなければならない。
a)  朝の祈りとしての「賛課」(ラウデス)と夕の祈りとしての「晩課」(ヴェスペレ)は、 尊敬すべき普遍教会の伝承により、毎日の聖務日課の二つの軸であり、主たる時課と見なされ、そのようなものとして祝わなければならない。
b) 終課は、一日の終わりにまさにふさわしいように構成しなければならない。
c)  「朝課」(マトゥティヌム)と呼ばれる時課(読書課)は、歌隊では夜の賛美の性格を持っていても、 その日のどの時にでも唱えることができるように、また以前より数が少ない詩編と、 より長い読書で構成されるように適切なものにしなければならない。
d)  1時課は廃止される。
e) 歌隊では3時課、6時課、9時課の小時課は守り続けなければならない。 歌隊のほかでは、1日の時の中で最も都合の良い、この3つの中の1つを選ぶことができる。

[信仰生活の源泉、個人的祈りの糧としての聖務日課]
90.さらに聖務日課は教会の公的祈りとして、信仰生活の源泉であり、個人的祈りの糧であるから、 司祭たちをはじめ聖務日課に参加するほかのすべての者に、主において切に求められるのは、 その勤めを果すときに心を声に合わせることである。 この目標をいっそうよく達成するためには、典礼と聖書、特に詩編のいっそう豊かな教養を身につけなければならない。
 改革を遂行しながら、あの敬うべきローマ典礼の聖務日課にある数世紀以来の宝庫を、これを託されたすべての者がいっそう広く、 かつ容易に生かすことができるように適したものにしなければならない。

[詩編の配分]
91.第89項に提案された諸々の時課の行程を実際に守ることができるようにするために、 詩編はもはや一週間ではなく、より長い時を単位として、その中で配分しなければならない。
 幸いにも始まっている詩編の改訂作業は、そのキリスト教ラテン語としての性格、 歌う場合も含めてその典礼における活用、それにラテン典礼の教会の全伝承も勘案して、 可能な限り早急になし遂げなければならない。

[読書課の原則]
92.読書に関しては、以下のことを守らなければならない。
a) 聖書の朗読は、神のことばの宝庫がいっそう広く容易に近づくことができるように整理しなければならない。
b) 教父や教会博士、教会著作家たちの作品の抜粋の読書は、選択を改善しなければならない。
c) 聖人たちの受難記ないし伝記は歴史的に確かなものにしなければならない。

[賛歌の見直しの原則]
93.賛歌は、有益と思われる限り、神話的なものやキリスト教信仰生活に馴染まないものを廃止したり変更したりして、 その原初的な形態に戻さなければならない。賛歌の宝庫にあるほかのものを、適宜に採用もしなければならない。

[時課を唱える時]
94.一日をまことに聖化するためにも、霊的に実り豊かに時課を唱えるためにも、 時課の務めを果すにあたり、それぞれの法規上の時課の実際の時にごく近い時を守ることが肝要である。

[聖務日課を唱える義務]
95.歌隊で聖務日課を唱える義務を負う共同体は、通常のミサのほか、 毎日、聖務日課を歌隊で祝わなければならない。またこのことに関して、
a)  全聖務日課を唱えるのは、教会法または会憲により歌隊で唱える義務をもつ祭式者である者、 隠世修道者である者、隠世修道女である者、および他の盛式修道会会員である者。
b)  司教座付き祭式者会または教団的祭式者会は、 共通(普遍)法または局部(局地)法によって自らに課せられた聖務日課の部分を唱える。
c)  前掲の共同体の成員で、上級叙階の受階者または荘厳誓願宣立者は全員、還俗者を除いて、 歌隊で果さなかった法規上の時課を単独で唱えなければならない。

96.歌隊で聖務日課を唱える義務を負わない聖職者は、上級叙階の受階者であるなら、 毎日、共同または単独で、第89項の原則にしたがって全聖務日課を唱える務めを果さなければならない。

97.典礼行為をもって聖務日課の代替とするのが適切な場合は、典礼注記として規定されなければならない。
 個々の場合、正当な理由があれば、裁治権者は自分の従属者に、 聖務日課を唱える義務を全部または部分的に免除したり、他のものをもってその代替とすることができる。

98.完徳を志す身分のいかなる修道会の兄弟姉妹も、会憲の効力により、ある部分でも聖務日課の義務を果す場合、 教会の公的祈りを遂行していることになる。
 同様に、小聖務日課を、会憲の効力により唱える者は、これが聖務日課を模して作成され、 正式に認可されたものである限り、教会の公的祈りを遂行していることになる。

[共同体の祈りとしての聖務日課の性格]
99.聖務日課は教会の声ないし神を公的に賛美するキリストの神秘体全体の声であるから、 歌隊で唱える義務を負わない聖職者たち、特に共同生活をしていたり、 一同に集まったりする司祭たちには、少なくとも聖務日課の務めのある部分を共同で果すことが勧められる。
 歌隊においてにしても、共唱によるにしても聖務日課を唱える義務を果す者は皆、内面的に信仰心を込め、 また外面的にその振る舞いかたで、可能な限り完全に、自分に託された任務を果さなければならない。
 その上、歌隊および共唱における聖務日課は、適宜に歌うことが肝要である。

[聖務日課への信徒の参加]
100.魂の司牧者たちは、主要な時課、特に晩課(夕の祈り) を主日や荘厳な祝日に教会において共同で祝うように配慮しなければならない。 信徒たち自身が司祭たちと共に、あるいは自分たちで集まって、また各自単独ででも聖務日課を唱えることが勧められる。

[聖務日課の言語]
101.§1.数世紀以来のラテン典礼の伝承により、聖務日課において聖職者にとってはラテン語を守り続けなければならないが、 第36項の原則にしたがって作成されたその国語訳の使用を、個々の場合に、 ラテン語の使用が聖務日課の務めをふさわしく果すには重大な障害になる聖職者たちに承諾する権能が裁治権者に与えられる。
 §2.隠世修道女、完徳を志す身分の修道会の非聖職者の男性にしても女性にしても、 その兄弟姉妹には、聖務日課を歌隊で祝うときも含めて、翻訳が認可されている限り、国語の使用を認めることができる。
 §3.聖務日課の義務を負う聖職者は誰でも、信徒たちの集いや、 §2で考えられている人々と共に国語で聖務日課を祝う場合、その訳文が認可されている限り、自分の義務を果すことになる。


第 5 章
典礼暦年について

[典礼暦年の意味]
102.聖にして母なる教会は、自分の花婿(キリスト)がなされた救いの御業を、 年間をとおして日を決めて、聖なる想起の中に祝うことを自分の務めと考える。 毎週、主の日と呼ばれてきた日には、その主の復活を記憶し、これは年に一度、 過越しの最も荘厳な祝祭をもって、その花婿の聖なる受難と共に繰り返してきた。
 それは1年周期で、受肉と聖誕から昇天まで、さらに聖霊降臨まで、 幸いなる希望がかなえられ、主が再び来られるまでの、キリストのすべての秘義を繰り広げる。
 そのように贖いの秘義を瞑想しながら、その秘義をどの時代にもある意味で現在化してまで、 教会は自分の主の威力と功徳の富を信徒たちに開放し、信徒たちがそれを得て、救いの恵みに満たされるようにする。

103.キリストの秘義を祝うこの1年周期の中で、聖なる教会は神の母聖マリアを特別な愛情を込めて敬う。 聖母マリアはそのご自分の御子の救いの働きとは不可解消的絆で結びつけられているからである。 この聖母マリアの中に、教会は贖いの御業の最も秀でた実りを感嘆して称え、 また最も純粋な映像を見るかのように、自分もまったくそうありたいと願い、希望するものを、喜びをもって瞑想する。

104.その上、神の多彩な恵みにより完徳の域に達せしめられ、すでに永遠の救いを得、 天において神にむかって完全な賛美を歌うと共に、わたしたちのために取り次ぎの祈りをささげる殉教者たちやほかの聖人たちの記念も、 教会は1年周期の間に挿入してきた。教会は聖人たちの誕生の日に、 キリストと共に苦しみ、栄光を受けた聖人たちの中にある過越しの秘義を宣べ伝え、 すべての人をキリストによって御父に引き寄せる彼らの模範を信徒たちに掲げ、彼らの功徳によって神に数々の恩恵を願うからである。

105.最後に教会は、1年の様々な時節に伝統的な規律にしたがって、 魂と体の敬虔な修業や訓話、祈り、悔い改めと憐れみの行為によって信徒教育をなし遂げる。
 そのため聖なる公会議は、以下のことを喜んで決定する。

[主日の重要性]
106.教会は、キリストの復活のその日に起源をもつ使徒伝承に基き、 そのどの8日目にも過越し秘義を祝うが、これはまさに主の日または主日と呼ばれる。 この日、キリスト教徒たちは、神のことばを聞き、感謝の祭儀に与り、 主イエスの受難と復活、栄光を記憶し、自分たちを「イエス・キリストの死者からの復活によって新たに生まれさせ、 生ける希望をもたせてくださった」(1ペト1:3)神に感謝するためにひとつに集わなければならない。 そのように主日は原初的な祝日であって、これは信徒たちの信仰生活に明らかに示され、 たたき込まれ、喜びの日、労働を休む日ともなるようにしなければならない。 ほかの祝祭は、まことに最重要のものを除いて、主日に優先させてはならない。この日は典礼上の1年の基礎、中核だからである。

[典礼暦年の改革]
107.典礼上の1年は、伝統的な聖なる時節の習慣と規律をわたしたちの時代の生活条件にしたがって守り続けるにしても、 復興するにしても、キリストの贖いの数々の秘義、 なかでも最も過越しの秘義を祝うことによって信徒たちの信仰生活を養うために、 その本来の性格を保持して見直さなければならない。各地の条件による適応は、 もし必要となれば、第39項と第40項の原則にしたがって行わなければならない。

108.信徒たちの魂は、とりわけ1年をとおして救いの数々の秘義が祝われる主の祝日に向かうようにしなければならない。 したがって、救いの数々の秘義が周期全体をとおして想起されるために、時節固有の祝祭には、 聖人たちの祝日に優先して適切な位置が与えられなければならない。

[四旬節]
109.特に洗礼の記憶ないし準備をとおして、また悔い改めをとおして信徒たちが神のことばをいっそう熱心に聞き、 祈りに励んで過越しの秘義を祝う心の準備をさせるという四旬節の二つの性格は、 典礼の中でも、典礼信仰教育の中でもいっそう鮮明になるようにしなければならない。したがって、
a)  四旬節の典礼に固有の洗礼の要素をいっそう豊かに用いなければならない。 過去の伝承にある幾つかの要素は、適宜に復興しなければならない。
b)  悔い改めの要素についても同じことを言わなければならない。 信仰教育に関しては、罪がもたらす数々の社会的結果と共に、 神に背くこととしてその罪を忌み嫌うという悔い改め固有の本性を、信徒たちの魂にたたき込まなければならない。 悔い改めの行為において教会が分かちあう部分も疎かにせず、罪人たちのために祈ることも強く勧めなければならない。

110.四旬節の悔い改めは、内面的で個人的なものにとどまることなく、 外面的で社会的なものでもなければならない。しかし、悔い改めの実践は、 わたしたちの時代とそれぞれ異なる地域の可能性、それに信徒たちの生活条件にしたがって促進され、 教会裁治主権者によって、第22項にあるとおり勧められなければならない。
 聖なる過越しの断食は、主の御受難と御死去の金曜日にはどこでも実行しなければならない。 またそれは機を見て、続いて聖土曜日も実行し、こうして心を高め、開いて主の復活の喜びを迎えるようにしなければならない。

[聖人たちの祝祭日]
111.聖人たちは伝統的に教会の中で崇敬され、彼らの真正な遺物も映像も尊敬の的である。 聖人たちの祝日は、キリストがご自分のしもべたちの中で行われた驚くべき御業を告げ知らせ、倣うにふさわしい模範を信徒たちに示す。
 聖人たちの祝日は、救いの秘義そのものを想起する祝日に優先させてはならない。 この中から、それぞれの教会別ないし国別、修道家族別に祝うことができる個別的な祝日が多く残されるが、 普遍教会にまで広げて祝われるのは、真に普遍的な重要性をもつ聖人たちを記念する祝日に限られる。


第 6 章
教会音楽について

[教会音楽の尊厳性]
112.全世界の教会にある音楽の伝承は宝となっており、ほかの芸術的表現を凌いで、その価値ははかり知れない。 それは特にことばと結びついた聖なる歌として荘厳な典礼の必要ないし不可欠の部分をなしているからである。
 実際に、聖なる歌は聖書により エフェ5:19;コロ3:16参照、 また聖なる教父たちによっても、 ローマの教皇たちによっても大いに称賛されてきたが、近年では聖ピオ10世教皇以来、 主なる神の礼拝における教会音楽の奉仕的任務がいっそう強調され明らかにされてきた。
 それゆえ、教会音楽は祈りをいっそう味わい深く表現したり、心の一致を増し加えたり、 あるいは聖なる儀式をいっそう荘厳に豊かにしたりして、典礼行為と密接に結びつけば結びつくほど聖なるものとなる。 教会は真の芸術であればそのすべての形態を、ふさわしい性格を備えている限り承認し、神礼拝の中に受容する。
 したがって聖なる公会議は教会の伝承と規律の原則と規定を守りながら、 また神の栄光と信徒の聖化という教会音楽の目的に留意して、以下のことを決定する。

[荘厳な典礼]
113.聖なる奉仕者がいて、会衆が積極的に与って神への務めが歌をもって荘厳に祝われるとき、 典礼行為はいっそう高貴な形態を帯びる。
 言語の使用に関しては第36項、ミサに関しては第54項、秘跡に関しては第63項、 聖務日課に関しては第101項の規定を守らなければならない。

114.教会音楽の宝は最大の配慮をもって守り、重視しなければならない。 聖歌隊は、特に司教座聖堂において弛まず向上させなければならない。 司教と魂の司牧者は、歌をもって執り行われるどの典礼行為においても、 第28項と第30項の原則にしたがって、信徒の全集会が自分自身積極的に参加すべきものに参加できるように、 努めて心を配らなければならない。

[教会音楽教育]
115.音楽教育とその実践は神学校において、男女の修道者の修練院と修学院において、 またほかのカトリック教育機関と学校において重視しなければならない。 この教育を実行するために、教会音楽を教えるために主任とされる教師の養成を疎かにしてはならない。
 さらに教会音楽の高等教育機関が適宜に設立されることが勧められる。
 音楽家、聖歌隊員、特に子供たちには、真正の典礼教育もなさなければならない。

[グレゴリオ聖歌と多声音楽]
116.教会はグレゴリオ聖歌をローマ典礼固有の聖歌として承認する。 それゆえ、これは典礼行為の中で、ほかに同等の価値をもつ聖歌があるが、主たる位置を占めるようにしなければならない。
 ほかの種類の教会音楽、特に多声音楽は神への奉仕の務めを祝う中で、 第30項の原則にしたがって典礼行為の精神に沿うものである限り、けっして排除されてはならない。

117.グレゴリオ聖歌の楽譜書の規範版が完成されなければならない。 さらに聖ピオ10世教皇の改革後、すでに出版された数々の楽譜書のいっそうの批判的な出版が準備されなければならない。
 望ましいのは、小さい教会で用いるために、より単純な曲を含んだ出版物の準備がなされることである。

[会衆用の教会音楽]
118.会衆用の宗教音楽は、信心深く聖なる活動やまた典礼行為そのものの中で、 典礼注記にある原則と規定にしたがって信徒たちの声を響かせることができるように、賢明に発展するようにしなければならない。

[宣教地における教会音楽]
119.ある地域、特に宣教地には、音楽に関して固有の伝承をもつ民族がいて、 それは彼らの宗教的社会的生活においてきわめて重要なものとなっている。 彼らの宗教的感性を育成するにしても、第39項と第40項の精神に沿って礼拝を彼らの性格に適応させるにしても、 その音楽にふさわしい評価と、また適切な位置が認められなければならない。
 そのため、宣教師の音樂教育の中では、その諸民族の伝統的な音楽を学校においも、 聖なる典礼行為においても発展させることができるように配慮を怠ってはならない。

[パイプオルガンおよびほかの楽器]
120.パイプオルガンは、ラテン教会では伝統的な楽器として大いに誉れあるものとされなければならない。 その音色は教会の儀礼に驚くべき輝きを添え、神と天上にあるものに心を激しく高めることができる。
 ほかの楽器は、第22項§2と第37項、第40項の原則にしたがって、 所轄の地域裁治主権者の判断と同意により、それが聖なるもののために使用するのに適しているか、 適したものにすることができ、神殿の品位にかなっており、 まことに信徒たちの育成に利する限り、神への礼拝に取り入れることが許される。

[作曲家の使命]
121.キリスト教の精神に生かされている音楽家たちは、教会音楽を開拓し、 この自分の宝を増し加えるために召命を受けていることを痛感しなければならない。
 彼らが作曲する曲目は、真の教会音楽の特徴を帯び、大きな聖歌隊が歌えるものだけでなく、 小さな聖歌隊にも歓迎され、信徒たちの全集会の積極的参加を促すものでもなければならない。
 教会音楽用の歌詞は、カトリックの教えと調和するものであり、 それはまた主として聖書と典礼の源泉から汲み取らなければならない。


42 エフェ5:19;コロ3:16参照


第 7 章
教会芸術と祭具について

[教会芸術の尊厳性]
122.人間の才能が最高の気品をもって発揮される活動の中に、 まったく反論の余地なく芸術、特に宗教芸術とその頂点として教会芸術が数えられる。 これが本性として目指すのは、人間の活動をもって神の無限の美を何らか表現することである。 それが人々の心を敬虔に神に向かわせるためにその作品をもって最大限貢献しようとの、 ただこの決意のみをもってなされれば、それだけにいっそう神のため、その賛美と栄光をいや増すために寄与するものとなる。
 それゆえ、敬愛すべき母なる教会は、常に芸術の友であったし、聖なる礼拝に関わるものがまことに上品で、 壮麗で、美しくあり、天上にあるもののしるしとなり、象徴となるようにとの芸術の貴い奉仕を絶えず求め、 芸術家を指導してきた。さらにまた敬虔に受け継がれてきた信仰と信仰心と法則に適っていて、 聖なるもののために用いるのに適性あるものを、芸術家の作品の中で判別して、 教会が常に芸術の判定者として自認してきたのは間違ってはいない。
 教会は、聖なる祭具が礼拝の美しい装いとして利用されるように、特に熱意を込めて配慮し、 時を経る中で技術の進歩がもたらした素材にしても、形式にしても、飾りつけにしてもその変化を認めてきた。
 したがって、公会議教父たちは、これらのことについて、以下のことを喜んで決定する。

[教会芸術における表現様式の自由]
123.教会は自己本来のものとしてはいかなる芸術様式も持たないが、 各民族の性格と条件および様々の典礼の必要性にしたがってそれぞれの時代の表現法を認め、 数世紀をかけて芸術の宝庫を築きあげてきた。これはあらゆる心遣いをもって保存すべきものである。 わたしたちの時代も、すべての民族と地域で自分たちの芸術を教会の中で自由に発展するようにしなければならない。 ただし、それは聖なる建造物と聖なる儀式に当然の尊敬と当然の誉れを帰して利用されるものに限られる。 こうしてこれも、過去数世紀の傑人たちがカトリック信仰を歌いあげた驚嘆すべきあの栄光の賛歌に 自分の声を加えることができるようにしなければならない。

124.裁治権者は、真の教会芸術を促進し、これを擁護し、単なる豪華さよりも気品ある美を志向するように、配慮しなければならない。
 司教は、芸術家の作品が表現上退廃していたり、欠陥作品、駄作、模作であったりして、 信仰と倫理、キリスト教の信仰生活に反し、真の宗教的感性を損なう場合、 これを神の建物やほかの聖なる場所からひたすら遠ざけるように、配慮しなけれはならない。
 聖なる建物を建築するときには、それが典礼行為を執り行うため、 また信徒たちの積極的な参加を可能にするために適したものであるように、注意深く配慮しなければならない。

[聖画]
125.信徒が崇敬するように教会の中に聖画を掲げる習慣は、確固として保持しなければならない。 しかし、キリスト教徒の感動をゆがめたり、不適正な信心を容認したりしないように、 その数量を制限し、配置を適切なものにして掲げなければならない。

[教会芸術の諮問機関]
126.芸術作品を判別するにあたり、地域の裁治権者は教区教会芸術委員会に、 場合によっては、ほかのきわめて専門的な有識者ないし第44項、45項、46項に言われる委員会に諮問しなければならない。
 裁治権者は、神の家を飾るものとしての聖なる祭具や貴重な作品が流用されたり、失われたりしないように警戒を怠ってはならない。

[教会芸術家の養成]
127.司教は、自分自身で、または芸術の造詣と愛を備えた適性のある司祭によって 芸術家たちが教会芸術と聖なる典礼の精神を身につけるように、彼らの世話をしなければならない。
 さらに、芸術家を養成するために教会芸術の学校ないし高等教育機関を、適切と思われる地域に設立することが勧められる。
 自分の才能が導くままに聖なる教会の中で神の栄光のために奉仕しようとするすべての芸術家が 常に心に銘記しておかなければならないのは、ある意味で創造者である神の聖なる模倣を行っているということ、 カトリックの礼拝と信徒たちの養成および信仰生活のため、彼らの宗教教育のための活動を行っているということである。

[教会芸術に関する教会の法規の見直し]
128.聖なる礼拝に附随する外的物品の総体に関わる教会法規定と教会の取り決めは、 特に聖なる建物のふさわしく適切な建築、祭壇の形態と設置、ご聖体を納める聖櫃の高貴さ、 位置と安全性、洗礼堂の活用法と品位、聖画と装備品と装飾品の適切な扱いに関して、 第25項の原則にしたがって、典礼書と共に、可能な限り早急に見直さなければならない。 その刷新後の典礼にそぐわないと思われるものは、修正するか、廃止しなければならず、 その典礼に役立つものは保持するか、導入しなければならない。
 そのために、特に聖なる祭具と祭服の材料と形式に関して、本憲章の第22項の原則にしたがって、 各地域の必要性と慣習に物事を適応させる権限が、それぞれの地域裁治権者会議に与えられる。

[教会芸術を理解する聖職者の養成]
129.哲学と神学の修学過程にある聖職者は、教会芸術の歴史とその発展についても、 また教会芸術が基礎とすべき健全な諸原理についても、教育を受け、 こうして教会の尊敬すべき文化的業績を評価し、利用し、 作品の創作にあたる芸術家たちに適切な勧めを与えることができるようにならなければならない。

[司教の紋章]
130.適切なことに、司教用紋章の使用は司教の霊印、またはある特別な権限を有する教会法上の人物に保留される。


付 記
暦の見直しについての第2ヴァティカン公会議の宣言

 聖なる第2ヴァティカン公会議は、過越しの祝日をある日曜日に指定し、 暦を固定したいとの大勢の人々の願望を重視しなければならないと考え、 新しい暦の導入により起こり得るすべてのことを慎重に考慮し、以下のことを宣言する。
1. 聖なる公会議は、特に使徒座との交わりを断たれている兄弟たちをはじめ、 このことに関わりのある人々の同意を得て、過越しの祝日をグレゴリオ暦の中の、ある日曜日に指定することに何ら反対するものではない。
2. 同様に、同公会議は市民社会に万年暦を取り入れるためになされる先駆的活動を妨げるものではないことを宣言する。
 万年暦を固定し、市民社会に取り入れるために考案されるいろいろな体系の中で、 教会は、日曜日を含む7日として週を守り、これを擁護し、この週のほかに何ら日を加えることなく、 こうして週毎の継続をそのまま残すようなものにだけ、使徒座の判断により重大な理由がある場合を除いて、反対しない。



 この憲章の中で定められたこのすべてのこと、そのそれぞれのことはこの聖なる公会議の教父たちの意にかなうものであった。 わたしも、キリストによって委ねられた使徒的権能をもって、 尊敬すべき公会議教父たちとともにそれを聖霊のうちに承認し、 決議し、決定し、こうして公会議をもって決定されことが神の栄光のために公布されることを命じる。
ローマの聖ペトロ大聖堂にて、1963年12月4日

わたし、カトリック教会の司教パウロ
(公会議教父たちの署名がつづく)

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