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シナイ半島の聖地
和田 幹男



 エジプトで過酷な労働に束縛されていたイスラエルの先祖は、モーセに率いられて脱出を敢行した。 不可能と思われたこの脱出に成功し、彼らはそこに父祖アブラハム、イサク、ヤコブの神の働きを見た。 この出来事はイスラエルの民にとって救いの原体験であった。 これをエクソドス(,exodus)という。 エクソドスがなければイスラエルの民も、その独特な神信仰もなかったであろう。 その出来事は出エジプト記に"語り"として伝えられている(出1−1521)。
 エジプト脱出の後、彼らは長い荒れ野の旅に出た(写真はシナイ半島南部の荒れ野)。 その旅も苦難に満ちていた。水もなく、食べ物もなかった。外敵の攻撃も受けた。彼らの中には後戻りしたいというものもあらわれた。 しかし、主なる神の加護に欠けることもなかった。この荒れ野の旅には、われわれの信仰の歩みと重なるところも多い。 こうして彼らはまずエジプトからシナイ山の麓まできた(出1522−1827)。
 イスラエルの民がシナイ山、別名ホレブ山まで来ると、山の上に主なる神が顕現し、 モーセを仲介者としてその民と契約を結ばれた(出19−2411)。これをシナイ契約という。 このとき、その民は、守るべき契約条項として十戒(出201−17)を受け取った。 この十戒を守る限り、主なる神との契約は有効で、祝福が約束されていた。 しかし、その民はまもなく金の子牛を礼拝して十戒の第1戒に背き、契約は破られた(出3118:321−6)。 しかし、主なる神はその民を見捨てず、新たに契約を結んでくださった。 シナイ山の麓を発って、彼らは旅を続け、カデシュ・バルネアのオアシスを経て、ヨルダン川東部にあるモアブの野まできた。 モーセがネボ山で死ぬ前に、神はここでも新たに契約を結んでくださった。これがモアブ契約で、それが申命記に書き記されている。
 このエジプトからモアブの間にあるシナイ半島はその全体が聖地と言えよう(写真はシナイ半島南部の山岳地帯)。
 イスラエルの先祖がどのルートをとおってエジプトを脱出し、荒れ野の旅を成し遂げたか、その歴史的事実はほとんどわからない。 聖書には地名が出ているが、当時その地はどこにあったか、同定できないからである。 この意味で、シナイ山の位置すらわからない。聖書は歴史的な事実の記録として書かれ、伝えられたものではなく、 ユダヤ教でもキリスト教でも、典礼の場でこれに参加する信徒に語りかけられる神の言葉として写し伝えられたからである。 それは聖書の写本の知識が少しでもあれば、頷ける。(写真はシナイ半島の遊牧民の天幕)

 さて、西暦4世紀に始まるキリスト教の伝承は、 シナイ山をシナイ半島南部の名峰ジェベル・ムサ(アラビア語で「モーセの山」の意)と見てきた。 ここに昔から巡礼者は押しかけ、それは今日も続いている。歴史的事実は別にして、 イスラエルの先祖が体験したシナイでの出来事を偲ぶには絶好の場所である。 またその麓にサンタ・カタリーナ修道院があるが、これは世界最古の修道院として修道生活史上最も豊かな霊性を培う道場となってきた。 このシナイ山とその麓の修道院を中心に紹介しよう。(写真はシナイ半島南部の荒れ野)

 拙著『聖書年表・聖書地図』(女子パウロ会、1989年)、52頁。
 ジェベル・ムサは、シナイ(ホレブ)山のこと。 フェイランとアイン・フードラはオアシス。セラビト・エル・ハディムは鉱山。点線は荒れ野の道。


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