TOP> 死海文書・聖書外文書研究>

死海文書入門講座Z 和田 幹男
BACK
Z クムラン教団の基本的性格 
― 律法への情熱 ―
目  次
I 律法への情熱とその徹底
U 教団創設のマニフェスト
V 第4洞窟出土ミクツァト・ママセ・ハトラ(4QMMT)
結論


 

 クムラン教団がいかなるものであったか、その性格を見考える。 その性格と言っても、教団には200年にわたる歴史があり、その間に性格の変遷もあったであろう。 ここでは特にその初期からあった基本的な性格をその最古と思われる死海文書から探ることとする。 それは教団規定(1QS)であり、4Qミクツァト・マアセ(4QMMT)である。
 彼らが基本的に宗教的な性格の共同体であったことは、疑いの余地はない。 それは発掘調査の結果を述べたときにおおよそ見当をつけた。 その水利システムは沐浴儀礼が、食堂とみなされる部屋は宗教的集会が行なわれていたことを示唆していた。 しかし、そこは修道院でもなければ、彼らが修道者であったわけはない。 彼らは、あくまでユダヤ教徒であった。 さて、どのユダヤ教徒にとっても、律法はその信条と実践の基本であったが、クムラン教団にとってもそうであった。 ただその彼らの律法への情熱は、ほかのユダヤ教徒と比べて徹底しており、 この徹底(radicalism)にこそ、その基本的な性格があると言わなければならない。

 T 律法への情熱と徹底

 彼らがどれほど律法を重視していたかは、まず発見された聖書の写本断片の数量から窺がうことができる。 律法とはモーセ五書のことで、聖書の写本断片の中でモーセ五書とイザヤ書と詩編の写本断片が特に多数発見されたと、すでに述べた。 その数量はおおよそつぎのとおりである。 創世記19(または22)、出エジプト記17、レビ記13、民数記8、申命記36で、 モーセ五書全体で89(または92)で圧倒的に多い。ちなみにイザヤ書は21、詩編は34である。 それにモーセ五書の出エジプト記、レビ記、民数記、申命記はギリシア語70訳で、 またレビ記はアラマイ語訳タルグムででも写本断片が見つかっている。 このモーセ五書の写本断片は聖書関連の写本断片の40パーセントを超える。 その中でも特に申命記が多い。この申命記こそ主なる神とイスラエルの民の関係を契約として捉え(申4:44−28:69)、 その主なる神から受けた恵みの働きかけに答える道として、 この民が守るべき掟(申命記法典と言われる申12:1−26:15)を書き記している。
 この掟の実践は時と場所が異なると、実践のしかたも異なる。 このように具体的にどのように掟を実践すべきかの指針はハラハーといわれ、ラビと言われる教師がいて、この指針を与えた。 このラビたちの指針は口伝で受け継がれたが、西暦200年頃、まとめて書きとめられた。 これがミシュナと言われるユダヤ教ラビ文書である。これがさらに解釈されて受け継がれたが。 これをまとめたものがタルムードである。 このように律法の個々の掟は絶えず解釈され実践されながら受け継がれたが、 実はすでに前2世紀に始まるクムラン教団にもあったことが明らかになった。 それはダマスコ文書第9−16欄(CD IX=XVI)や神殿の巻物第48―66欄(11QTa XLVIII−LXVI)にあるが、 特に後者では、申命記法典を基本としてハラハーを展開している。 それはこの教団初期に創設者によって書かれたかもしれないと言われる手紙(4QMMT)の本体をなしており、 そのハラハーは、ミシュナにあるハラハーと比べて異なり、厳しい態度を貫いている。
 ハラハーという用語は、ハラク、つまり「歩く」という動詞から由来し、「歩きかた」ということである。 そこから、ハラハーとは,律法による人生の歩みはいかなるものかを具体的に示したものということができる。 「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」(詩編119・105)というのが、敬虔なユダヤ教徒の律法観で、 律法なしには人の心は定まらず、見定めるべき目標もなく彷徨うことなる。 それゆえ、死海文書にあるかなりの量のハラハーは、律法がどれほど重視され、実践されていたかを示している。 このハラハーにおいて、いっそう厳しい態度を堅持しようとしているところに、律法への彼らの並々ならぬ情熱を見ることができる。

 その律法への情熱は、出土したテフィリンとメズーザによっても実証される。 テフィリンとは敬虔なユダヤ教徒が朝夕の祈りとして、シェマーの祈りを唱えるが、 そのときに額と腕につける皮革製の小箱のことで、その中には聖句が入っている。 これは「聞け(シェマー)、イスラエルよ、わたしたちの神、主は唯一の主である。 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神,主を愛しなさい」(申6・4―5)で始まる聖句で、 続いて「これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額につけなさい」(申6・9)とあるところにしたがって作られたもの。 その聖句の全文は、申命記6・4―9、11・13―21、出エジプト記13・1―16が義務とされている。 テフィリンは福音書にも出ており、「経札」とか「聖句の入った小箱」と訳される(マタイ23・5)。 メズーザとは同様にシェマーの祈りのところに出ている「あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい」(申6・9)に従って作られた、 聖句の入った小円筒で、これは戸口の柱の上に付けられる。その聖句は申命記6・4―9、11・13―21。 これはお守りでもあり、家庭の聖化を願うものでもある。 テフィリンはキリスト教徒がもっているロザリオに比べるなら、メズーザはその家にある十字架のようなものと言えよう。
 クムラン洞窟からこのテフィリンが28個、メズ−ザが8個見つかっている。 したがってこれらの聖具を用いる習慣が、イエス時代以前のユダヤ教徒の中にあったことが証明された。 ただし、当時そのテフィリンに入れる聖句は固定されておらず、 クムラン出土のテフィリンには申命記5:6−21にある十戒が書かれたものもある。 (写真はクムラン洞窟から出土したテフィリン)
 十戒は聖書の中では出エジプト記20:1−17と申命記5:6−21に出ているが、 このモーセ五書の最後に位置づけられている申命記は、出エジプト記や民数記を前提として振り返りつつ、 モーセが死ぬ前にイスラエルの民に与えた遺言として、その後のユダヤ教に多大の影響を与えた。 この申命記は、主なる神とその民イスラエルの関係を契約として示しており、 この契約はその核心部である申命記4:44−28:69に表わされているが、十戒もその契約の文脈の中で意味づけされている。 つまり、十戒は神から受けた一方的な恵みに答える人の道として提示されている。 つまり、それは重荷として課せられた規則でもなく、法律でもない。それはむしろ恵み受けた者が喜んで守る当然の道である。 その申命記において、主なる神とその民の契約をいう第1部(申命記第4章44節−第11章32節)として説教的訓話があるが、 十戒はその中の第5章6−21節に言われている。さらに注目すべきことは、 この十戒を一言で要約したものとして、第6章4節のシェマーがあるということである。 ここで主なる神への全面的な帰依として愛が諭される。 つまり「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申6・5)といわれる。 このよう申命記を読めば、十戒を守ることと、主なる神への全身全霊を込めた奉献としての愛が密接に結びついていることがわかる。 またこの意味で、神への愛は最大の掟とも言われる。
 実際に、すでにダマスコ文書でも明らかにだったように、契約共同体として自認するかれらにとって、 申命記がいう契約に基いて、十戒と主なる神への愛がどれほど重要なものであったか、 出土した数多くのテフィリンやメズーザは示している。


 U 教団創設のマニフェスト
 彼らがどれほど律法を重んじていたか、彼らが残したほかの文書からも読み取ることができる。 そこで、まず教団規定(1QS)であるが、その最古の部分と思われるところにそれが認められる。 1969年、マーフィー・オコナー(J.Murhy-O'Conner)は教団規定が段階的に形成されたのではないかと見当をつけ、 その過程を明らかにしようとした。この提案を受けて、1976年、プイリ(J.Pouilly)がその形成段階を明らかにした。 その結果を示せば、以下のとおり。

 第1段階(最古): VIII,1-10a; 12b-16a; IX,3-26; X,1-8 (addition: X,4b,6a)
 第2段階付加1 : VIII,10b-12a; 16b-26; IX,1-2
 第3段階付加2 : V,1-13a; VI,8b-26; VII,1-26 (25)
 第4段階付加3 : I,1-26; II,1-26; III,1-12; III,13-26; IV,1-26; X,9-26; XI,1-22
挿入句 : V,13b-26; VI,1-8a; X,4b,6a,

 その第1段階は最古の本文で、教団創設の声明、つまりマニフェストというべきものだという。 ここにこの教団の基本的性格が明言されている。 さらに当時、未公表の第4洞窟出土の本文書の写本断片の中に1QSよりも古い写しがあって、 その一つ4Q259(4QSe)には、VIII,15b-IX,11がない。 従って、この第1段階の最古の本文にはこの部分がなかったので、 原本はこの第1段階よりも古いものであるから、その原本にはこの部分がなかったのではないかと推察された。 しかし、1990年代になってメツォ(S.Metso)は、第4洞窟出土の本文書の写しをすべて検証し、 教団規定の形成過程を明らかにしようとした。 その提案は仮説にすぎないが、 4Q259にある本文が1QSよりも原本をいっそう忠実に証しているとは必ずしも言えないことを明らかにした。 同様に、第4洞窟出土の本文書の写本をすべて検証したアレキサンンダー(Ph.S.Alexander)も、 4Q259が1QSより古いとは言えないとした。 他方、彼はマニフェスト説を認めながらも、それを証する本文がどこにあるかについてはマーフィ・オコナーとプイリの説に訂正を加えた。 その説によると、マニフェストは、VIII:1-10a,12b-16a; IX:3-5a.5b-11にあるという。 これにV:1-26;VI:1-23a; X:6-26; XI:1-22が加えられ、ここには古い序文があって、 悪の人々から離れてモーセの律法に「立ち帰る」こと、共同生活に関わること、入会にかかわることなどが言われる。 最後に賛美の歌がある。さらに、VI:23b-26; VII,1-26(25)、VIII; 10b-12a,16b-26; IX,1-2; XI:12-21a.21b-26; XI:1-5と、 「導師」(maśkîl)に宛てられた訓戒が加えられたという。 この提案の妥当性は詳しく検証されなければならないだろうが、教団規定のどこに原初的で重要な箇所があり、 どこから、いかに読めばいいのか、大いに参考になる。 それでは、アレキサンダー説にしたがって、そのマニフェストを読んでみよう。(写真は1QSの第8欄)



 教団規定第8欄1―4a行(1Q VIII:1-4a)
 「教団の会議には、12名の者と3人の祭司がいることになる。 彼らは、すべて啓示されたこと、すべての律法において非の打ちどころがなく、 真実、正義、正しい法、忠実な愛、互いに隣人とは慎みある生活を行い、 固い決意と改悛の霊をもって地において信仰を守り、 法の実践と試練の苦悩によって罪悪を償い、 4a真実の測りと終末時の決まりに従ってすべての者とともに生活する。」


 解説: これは、まだエルサレムにいた教団の創設者がその創設にあたり書きとめたマニフェスト(声明文)の巻頭言のようなもの。 ここで、この教団がいかなるものであるべきか言う。「教団の会議」とあるのは、教団の中核となるべき人々のことで、 それは「12人の者」と「3人の祭司」、合計15名からなる。 神殿があった当時、ユダヤ社会は神殿に奉仕する祭司集団と、そのほかの世俗集団からなっていた。 この世俗集団が「イスラエル」と呼ばれ、 12部族からなると考えられていた(ヤコブ、つまりイスラエルの12人の息子については、創世記35:22b−26参照)。 この世俗集団を代表する者として「12人の者」と言われる。 他方、祭司集団は「アロン」と言われる。これを代表するものとして「3人の祭司」と言われる。 これはレビの子ゲルション、ケハト、メラリという祭司系の三家族を考えて言われているのであろう(1歴代6:1−15参照)。 教団の中核をなす者は合計15名で、皆が「律法」を守ることに「非の打ちどころのない者」でなければならない。 これはヘブライ語ではタミーム(tamim),倫理的に「完全なもの」(perfect)を意味し(マタイ5:48参照)、 カトリックの伝統的訳語「完徳」にあたる。「互いに隣人とは」は、 出18:16から、「慎みある生活」はミカ6:8(日本語訳では「へりくだって」)から取られている。 互いに謙虚であることをいう。
 ここで特に思い出されるのは、イエスが使徒たちを選んだとき、「12人の者」とあること(マルコ3・13―19)。 そのときイエスはまわりにいたのがたまたま12人だったのではなく、12人の者を自覚して選び、使命を託そうとされた。 「12人の者」は神の民としてのイスラエルを意味する技術用語であるなら、 12人の者を使徒として選んだイエスの意図は、新しいイスラエルとして教会を設立するということにあったのではないかということになる。


 教団規定第8欄4b―10a行(1Q VIII:4b-10a)
 「4bこれがイスラエルにおいて実現するとき、 教団の会議は、永遠に植え付けられたものとして真実をもって確固たるものとなる。 それはイスラエルにとって聖なる家となり、アロンにとって至聖なる基となる。 彼らは、正しい法にとっては真実の証人、(神が)喜びとする、選ばれた人々であり、地のためにあがないをなし、 悪人にはその報いを帰する。それは試し済みの城壁、高価な隅の親石であって、 その基は揺らぐことはなく、その位置から移ることもない。 それはアロンにとっては至聖なる住まいとなり、 法の契約のためにすべての知識を備え、宥めの香りの献げ物をささげる。 それはイスラエルにおいて非のうちどころのない、 真実の家となり、10永遠の規定に従って契約を立てる。」


 解説: ここでこの教団の基本的性格、真の神殿であることが言われる。 「これがイスラエルにおいて実現するとき」は、第8欄12行、第9欄3行に繰り返される表現で、 前に言われているとおり教団の中核が出来上がるときということ。 そのとき、教団の基礎が固められる。ここでこの教団が「永遠に植え付けられたもの」、つまり植木ないし植物にたとえられる。 これはイザヤ60・21に発想を得たもので、死海文書のほかのところにもある(たとえばCD I:7参照)。 ここでイスラエルとアロンからなる共同体が、前者については「聖なる家」、「真実の家」、後者については「至聖なる基」、 「至聖なる住まい」だと、つまり神殿になると言われる。「試し済みの城壁」はイザヤ28:16、 「高価な隅の親石」は詩編118:22から発想を得ている。
 ここにも、新約聖書に通じるイメージがある。 イエスが教会を種や木など植物にたとえるところ(マタイ13・1―33参照)があるが、 それはイエスの独創的な教えというより、旧約聖書から発想を得たものなのである。 また教会を建造物、特に神殿になぞらえ、それも物理的にではなく、霊的共同体として説くのは、パウロの手紙に見られる。 パウロは「あなたがたは神殿なのである」(1コリ3・17)と言っている。 なお「隅の親石」については、マルコ12:10とその並行箇所および使4:11;1ペト2:7参照。


 教団規定第8欄12b―16a行(1Q VIII:12b-16a)
 「12bこの人々がイスラエルにおいて教団のために実現するとき、 14『荒れに..道を備えよ。わたしたちの神のために広い道を通せ』と書き記されているように、 13彼らはこれらの決まりに従って悪の人々の住むところと決別して荒れ野に赴き、 そこでその御かたの道を備える。15これは、律法を追い求めること、 その御かたがモーセをとおしてお命じになっていることである。 それはその時その時に啓示されたすべてのことにしたがって、 16aまた預言者たちがその御かたの聖なる霊をもって啓示したとおりに行なうためである。」


 解説: 荒れ野を旅する教団。こうしてこの共同体は、 『荒れ野に・・・道を備えよ。わたしたちの神のために広い道を通せ』とイザヤ40・3に書き記されているとおり、 「悪の人の住むところ」、つまりエルサレムと決別して、荒れ野に行くのだと言う。 この聖句の中の点線部には主の御名として聖4文字が書かれているはずだが、畏敬の念から省かれている。 しかし、それはだれににもわかった。この聖句は、かつて預言者(第二)イザヤが、新しいエクソドゥス( Exodus:出エジプト)として主なる神がその民を導いて、再び到来されるので、心の道を準備するようにと呼びかけたことばである。 教団の創設者もこの呼びかけを受け継ぎ、主の到来に備えようとする。 ここに終末待望観を見ることができる。ここで「荒れ野」は文字通りの意味にも取って、 教団の創設者は同志と共に死海がある地方に出かけて行ったのであろう。 それは何のためかというと、その目的は「律法を追い求めること」にある。 「律法」には、契約の民に向けられた神の救いの意志が書かれていると信じ、 これを求めて、律法の書を熱心に「ダラシュ」、つまり「追い求める」ことにつとめた。 これはすべてのユダヤ教徒にとって聖書に向かう基本的な態度であるが、 この教団は実際に荒れ野に出かけて行って、いっそう徹底的にそうしようとしたのだった。


 教団規定第9欄3―5a行(1Q IX:3-5a)
 「これがイスラエルにおいてすべてこれらの定めのとおり実現するとき、聖なる霊を基とし、 永遠に真実なるものとなり、焼き尽くす献げ物の肉はなく、和解の献げ物の脂肪はなくとも、 罪のとがと過ちの悪弊をあがない、地のために(神に)喜ばれるものとなる。 法のための唇の供え物が正義のための香りの献げ物のようになり、 非の打ちどころのない生活が(神の)好意を得る喜んでささげる供え物のようになる。」


 解説: 霊的共同体。この共同体が荒れ野に行って主なる神の道を備える、 つまり主なる神が歩まれるように自分たちの心を備えようとすると、エルサレムとその神殿と決別しなければならない。 その荒れ野では祭壇もなく、祭壇の上でささげる動物の「焼き尽くす献げ物」も「和解の献げ物」もない。 しかし、神にささげるものとして、これら動物の献げ物に代えて、「唇の供え物」と「非の打ちどころのない生活」があるという。 「唇の供え物」とは祈りのこと。「非の打ちどころのない生活」とは、律法に忠実にしたがっての生活のこと。 このように祈りと生活によって自己を神に奉献する共同体となる。 これが自分たちと人々の罪を贖い、神に嘉(よみ)せられるものとなる。 この霊的共同体を基かせ、支えるのは何かと言えば、「聖なる霊」、つまり聖霊だと言われる。 このように彼らは聖霊に生かされて祈りと、律法にしたがっての生活によって自己を奉献する共同体となることを目指した。 そこで彼らが祈りをどれほど重視したか、また律法にしたがった生活をどれほど気配りしたか、調べてみると、 その徹底性に目を見張らさせるものがある。
 この霊的共同体は、初期キリスト教の自己理解の中にもある。 聖パウロはコリントの信徒に宛てて、「あなたがたは神の住まいであり、 神の霊が自分たちの中に住んでおられる」(1コリ3:16)、 「わたしたちは生ける神の神殿です」(2コリ6:16)と言っている。

 教団規定第9欄5b―11行(1Q IX:5b-11)
 「5bその時、教団の会員は分け隔てられてアロンのための聖なる家となり、 最も聖なるものとして団結し、非の打ちどころなく生活する者らはイスラエルのために一つの家となる。 ただアロンの子らのみが、法と財産に関してつかさどり、彼らの指図が発せられて、 教団の会員に関するすべての定めの決定がなされる。 非の打ちどころなく生活する聖なる会員の財産に関しては、彼らの財産が、 悪を離れ、非の打ちどころなく生活しようと自分の生活を清めることをしなかった 気ままな人々の財産と混ぜ合わされることがあってはならない。 律法の勧めのどれによっても、10彼らが自分の心に欲を抱いているかぎり 出向いていくことはゆるされない。 11預言者が、アロンとイスラエルの油塗られた者たちが来るまで、 10b彼らは教団の会員が受けた教育の嚆矢となった最初の法規をもってしかるべき扱いを受ける。」


 解説: この共同体は「アロンの子ら」と言われる祭司たちと「イスラエル」と言われる信徒たちからなるが、 その運営にあたって指導的立場にあるのは祭司たちであることが言われる。 少なくともこの共同体の歴史の始めはそうであったが、いつまでもそうであったわけではない。 200年におよぶその歴史の進む中で、宗教思想史的にも、 また組織的にも変遷があったとしても不思議ではない。祭司たちからなる聖職者階級が少数派になっていったらしい。 その変遷の痕跡を第4洞窟出土の本書の断片に見ることができよう。
 ここで興味深いのは、彼らが未来に来るであろうと期待していた人物をここに明らかにしていることである。 それは「預言者が、アロンとイスラエルの油塗られた者たちが来るまで」という句にある。 ここで「預言者」と言われるのは、申命記18:15−18で予告されているモーセのような預言者のことである。 このような預言者の到来をサマリア人も期待していた。 つぎに「アロンとイスラエルの油塗られた者たち」とは、 「アロンの油塗られた者」と「イスラエルの油塗られた者」という意味であり、 「油塗られた者」とはメシアのことである。 したがって、彼らは祭司であるメシアと信徒であるメシアの到来を待望していたということになる。 当時のユダヤ人の中で、この2重のメシアが待望されていたことが、死海文書によってはじめて明らかになった。 従来から知られていたダビデの子孫から出る王としてのメシアは、その信徒であるメシアにあたる。 この未来に到来すると期待されていた預言者、アロンのメシア、 イスラエルのメシアは、第4洞窟出土の証言集(4Q175Testimonia)に最も明らかに確認されるが、ほかの死海文書にもある。 クムラン文書におけるメシア待望観はまた別の機会に検討しよう。         


 参考文献
  1. Milik, J.T., Texte des variantes des dix manuscrits de la Reglé de la Communauté trouvés dans la grotte 4, RB 65(1960), 411-416 (rec.de Wernberg-Moller, P., The Manual of Discipline)
  2. Murphy-O'Conner, J., La genèse littéraire de la Reglé de la Communauté, RB 74 (1969), 528-549
  3. Pouilly, J., La Reglé de la Communauté de Qumrân, son évolution Littéraire, Paris, 1976
  4. Id., (Rec)Metso, S., The Textual Development of the Qumran Community Rule, RQ 18 (1998), 448-453
  5. Stegemann, H., Zu Textbestand und Grundgedanken von 1QS III, 13 -IV, 26, RQ 13 (1988) 95-131
  6. Brooke, G.J., Isaiah 40:3 and The Wilderness Community, in : New Qumran Texts & Studies, Proceedings of the First Meeting of the Internat.Organ.for Qumran Studies, Paris 1992, edited by G.J.Brooke, 1994, Leiden, 117-132
  7. Dohmen, C., Zur Gründung der Gemeinde von Qumran (1QSVIII-IX), RQ11 (1982) 81-86
  8. Metso, S., The Primary Results of the Reconstruction of 4QSe, JJS 44 (1993) 303-308
  9. Id., The Textual Development of the Qumran Community Rule, Studies on the Texts of the Desert of Judah, 21, Leiden, 1996
  10. Id., The Textual Traditions of the Qumran Community Rule, in Legal Texts & Legal Issues, Proceedings of the Second Meeting of the International Organization for Qumran Studies, published in Honour of J.M.Baumgarten, edited by M.Berstein, F.Garcia Martinez & J.Kampen, Studies on the Texts of the Desert of Judah, 23, Leiden, 1997, 141-147
  11. Charlesworth, J., and Strawn, B.A., Reflections on the Text of Serek ha-Yahad Found in Cave IV, RQ 17 (1996), Hommage à J.T.Milik, 403-435
  12. Alexander, Ph.S., The Redaction History of Serek ha-Yachad: A Proposal, RQ 17 (1996), 437-453
  13. M.Blockmuehl, Redaction and Ideology in the Rule of the Community, RQ 18 (1998), 541-560



  V 第4洞窟出土ミクツァト・マアセ・ハトラ(4QMMT)

 彼らの律法への情熱は、その律法の個々の掟の解釈、つまりハラハーに見ることができる。 彼らは同じ掟であっても、当時のほかのユダヤ教徒、たとえばファリサイ派よりも厳しく解釈し、これを実践しようとしていた。 それが第4洞窟出土ミクツァト・マアセ・ハトラ(4QMMT)に見ることができる。 これは、この教団の創設者と思われる人物によって論争相手に宛てて書かれた手紙と言われる。
 本文書は、クムラン第4洞窟から出土した6つの写本群からなり、そのそれぞれの写本群もかなり小さな複数の断片も含む。 保存状態は劣悪であったので、解読は困難を極めた。 1984年のエルサレムにおける国際聖書考古学会でE・キムロンとJ・ストラグネルは、 本文書がクムラン教団初期にその教団創設者である正義の教師によって書かれたかもしれない重要な手紙であると発表した。 しかし、その全文の公式発表は10年の年月を待たなければならなかった。 解読は、J・ストラグネルに割り当てられ、その作業はかなり進んでいたが、E・キムロンがそれに加わり、 公式の訳文と解説は両者の名のもとに、1994年にDJDシリーズの第10巻として発表された。 これが規範版(editio princeps)である。
 規範版は写本群の各断片の文字を丹念に解読してから、そこで何が問題とされているのかを想定して、 各断片の文字をつなぎあわせて本文の復元を試み、その意味を追求している。 このように合成復元文を作成することによってはじめて、本文書が何を述べているのか、窺がい知ることができるが、 そのためには、類稀な博識が要求される。 本文書の場合、特にラビ文書をはじめユダヤ教の宗教的伝承の莫大な知識が要求される。 E・キムロンの博識には驚かされる。ここで邦訳したのも、その合成復元文による。
 本文書はその題名も冒頭も残存しておらず、元来いかなる題名の文書であったか不明である。 その結びの中に、mqşt m‛śy htwrh()とあり、 これが本書の題名とされている。 その各語の最初の文字を取ってMMTと、その出土したのがクムラン第4洞窟であるから、 4QMMTが本文書の略号とされている。 キムロンは、そのm‛śyを「規則」、「規定」、「法規」の意味で理解したが、m‛śy は一般的に「働き」、 「行動」、「業(わざ)」を意味しており、この意味で理解すべきとの説もあり、 現代訳を避けて、原語のままミクツァト・マアセ・ハトラーと言われる。
 本文書は、内容上3部に分けられる。それは暦、律法の解釈、結びからなり、 規範版はそのそれぞれにA、B、Cの略号をつける。その前に序言があったはずであるが、これは失われたとされている。 またこの結びの後にも何かあったかもしれない。規範版によると、解読された部分はおよそ130行で、 これは本来の本文書全体の40%であるとの推定がある。Aの暦は規範版では21行であるが、 その最初の18行の底本となっている写本断片は今日では4QMMTには属さないと考えられている。 それでも3行ほどの暦の部分があり、ここでは『神殿の巻物』や偽典の『ヨベル書』にあるように、 クムラン教団が重視した太陽暦を提示している。Bの律法の解釈が大部分を占めており、82行ある。 ここで基本的に「 x に関して(も)、わたしたちが考えるところによると」という表現で、 このxで論争の主題を指摘し、しばしば「・・・と書き記されている」という句で聖書を引用し、 論争相手の律法解釈に対して自分たちの解釈を主張している。Cの結びは32行あるが、 最初の7行は内容的にBの続きかもしれない。 この結びは説教ないし勧告で、教団が分離する理由を述べ、また論争相手に「まことの道」に戻るよう説得しようとしている。 この構成自体には問題がなく、本文書を引用する場合、そのA、B、Cの略号が広く用いられている。
 本書の本体はBの律法の解釈にあり、これは一般にハラハ−と言われる律法解釈の羅列である。 勿論、それは西暦1世紀以降にラビ伝承においては発展する以前のものである。 ここで「わたしたち」と書く著者は、律法の解釈について、 「あなた」、「あなたたち」、「彼ら」という相手と論争し、説得しようとしている。 そこから規範版の著者は、本文書をこの教団が分離していくごく初期の段階で、 この教団の創始者と考えられる人物によって教団外部の論争相手に宛てて書かれた手紙ないし書簡ではないかと考える。 その律法の解釈において、論争相手が取る立場が、 西暦2世紀以後に文書化されたラビ文書のミシュナの中でファリサイ派が取るものと共通しており、 「わたしたち」といって本文書の著者が取る立場はサドカイ派が取る立場と共通する。 そういうわけでこの文書の解読は、クムラン教団をエッセネ派とする従来のいわば通説に見直しを迫るものともなった。 その著者として、この教団設立に指導的役割を果たした人物で、 ほかの死海文書の中で登場する正義の教師であるかもしれない。 これは、その教団設立の歴史的実情についてはまだ明らかでなく、 仮説の域を出ないが、このことについてはすでに述べた。規範版の解読はこのような仮説を想定してなされている。 入手された写本断片は、原本ではなく、前75年から西暦50年の間に筆写されたものと判断されている。 それではその中で、比較的明らかな箇所を読んでみよう。 (写真下は4QMMTの断片、 右上:断片A:8×12.9cm、右:断片B:4.3×7cm、左:断片C:9.1×17.4cm、 Scroll from the Dead Sea, edited by A.Sussmann and R.Peled, George Braziller, Inc, New York, 1993より)



 B:9b−13a
 「10和[解の][いけにえの穀物の供え物に関して]、 10ある日からつぎの日まで彼らが残したままにしておく場合、 [ わたしたちが考えるところによると]、 11その穀物の供え物は、脂肪と肉を捧げた上で、これがいけ[にえにされる]日に、 [食べてしまわなければならない]。 11[なぜなら12祭司[たちの子らは]、 13民が罰を負わせられる12ことのないように、このことに関して警戒していなければならないからである。]


 解説: 穀物の供え物を食べる時について、その供え物をささげた日にこれを食べてしまい、翌日に残さないことが主張される。 この供え物を食べる時について規定がなかったので、レビ記第7章16節に基いてその時を決めたが、 これについて論争があったことが想定される。 その中の「これがささげられる日に」とはいつまでのことかについて論争があったようである。 クムラン教団は神殿の巻物にも(11QTa20:12−13)あるように「日」というと「日没まで」と考えていた。 これに対して、ラビ伝承は「真夜中まで」(ミシュナ・ゼバ6:1)と考えていた。 その背後に一方では、日没をもって日の始まりとしたのに対し、 他方では翌朝とするという一日の区切りをどこに見るかの見解の相違があったのであろう。 ここでは「日没まで」かどうか、その限定まで言われていないが、 これについてはつぎのハラハーで取り上げられる。祭司たちには、 民、つまり一般信徒がこの慣習を正確に守るように警戒を怠ってはならないといわれる。 この祭司の役割が強調されているところに、このハラハーがこの教団の歴史の初期のものであることを示している。


 B:13b−17
 「13贖罪のいけにえの雌牛の清さに関して、 14それを屠殺する者、それを焼く者、その灰を集める者、 15清めの14[水]を灌水する者、そのすべてが清くなるのは日没においてであり、 こうして清い者が不浄の者に潅水することができる。なぜなら17アロンの16子ら [....]」


 解説: 赤毛の雌牛を準備する者の清めについての問題が取り上げられている。 死体の汚れを清める水を準備するために赤毛の雌牛の灰が用いられた(民19:1-10)。 この灰を準備する人の清めが問題となった。クムラン教団では清めには沐浴してから日没まで待つことが要求された。 ラビ伝承では、日没以前でも沐浴すれば清められたとされており(ミシュナ・パラ)、 そうしないサドカイ派を非難している。「日没まで」は、重い皮膚病からの清めのところでも言われる(B:64−72)。 ここでも、クムラン教団は論争相手に「日没まで」待つ必要性を強調する。 汚れた人の清めの期間の終わりに沐浴し、その日の日没まで待たなければならないとされたが、 その沐浴から日没までの中間の状態はテブル・ヨムと言われる。 このテブル・ヨムについてファリサイ派とサドカイ派の間に論争があったが、クムラン教団はサドカイ派の立場を取っている。


 B:64−72
 「64重い皮膚病患者に関して、わたしたちが65主[張するところによると]、 彼らは聖[なる]食べ物がある[場所はどこにも]入ることを許されず、隔離され、 66[家の外にいなければならない]。また、毛を剃り、 洗った彼は677[日間自分の天幕の]外にとどまる、と書き記されている。 しかし、今は不浄が彼らについたまま、68[重い皮膚病患者は入って]家で聖なる食べ物にあずかっている。 69[禁令を破るのが故意にではないなら]、責を免れ、 70[贖罪の献げ物を] 69ささげなければならないと、 68あなたたちは知っている。70[故意に破る者に関しては]、 彼は侮蔑し、冒涜していると書き記されている。 71[さらに彼らには重い皮膚病の不浄がついているのだか]ら、 72八日目の日没まで、71彼らに聖なるものを食べるのを許してはならない。」


 解説: これはレビ記14:1−20を解釈したものであるから、まずそのレビ記を見ておこう。 ここで、病人が癒されると、まず宿営の外で毛を剃り、身を洗った後、宿営に入るが、七日間天幕に入ることはできない(1―8節)。 7日目に再び毛を剃り、身を洗う(9節)。 最後に8日目に、彼が献げ物をもってきて、祭司が贖いの儀式を行うと、彼は清くなる(10―20)。 ファリサイ派によるこの規定のハラハーはラビ伝承、ミシュナ・ネガイム篇に書かれており、 それによると、快復した病人が毛を剃って町に入るとき、重い不浄はなくなり、 7日目に身を洗うと、彼は儀式的に清いと見なされ、7日目の日没まで待って、八日目に献げ物をもってくると、清いとされる。 これに対してこの4QMMTによると、快復した病人が町に入っても、家に入ってはならないのに、 「家で聖なる食べ物にあずかっている」と、論争相手が許容していることを非難している。 つまり、8日目になって清くなる前に、家で聖なる食べ物に与らせているという。 その「8日目」も「8日目の日没まで」待たないと、「彼らに聖なるものを食べるのを許してはならない」と主張する。 これは8日目が過ぎてからという意味で、八日目に献げ者をもってくると清くなるというファリサイ派のハラハーより厳しい。 このようにクムラン教団は、ほかのところでもわかるのだが、サドカイ派のハラハーの立場を取る。 またこのように律法にいっそう厳しく忠実であろうとしたことがわかるが、ここに彼らの律法遵守の徹底性を見ることができる。


 参考文献
  1. Qimron, E., Strugnell, J., Qumran Cave 4 : MIQSAT MA‛AŚE HA-TORAH 4Q394-399, DJD X, 1994
  2. Kampen, J., Bernstein, M.J., editors, Reading 4QMMT, New Perspectives on Qumran Law and History, Atlanta, 1996
  3. 拙稿「4Qミクツァト・マアセ・ハトラ(4QMMT=4Q394−399)―日本語訳と若干の解説―、 英知大学論叢『サピエンチア』第37号、平成15(2003)年、27−45頁


 結論

 キルベト・クムランにいた人々は、前2−1世紀のユダヤ教徒の中でも、 ユダヤ教の信仰と実践を最も忠実に、最も純粋に追求しようとした集団ではないかと思う。 それがその律法への徹底した情熱に現れている。 ユダヤ教とは律法、つまりモーセの律法に基く宗教であるゆえ、彼らはユダヤ教徒中のユダヤ教徒と言えよう。 確かに、その初期から対外的にも対内的にも論争、抗争の運命を避けて通ることはできなかったが、 彼らは政治的権力あるいは経済的利益を目指した集団ではなかった。 彼らはあくまで宗教的理想を追求しようとする集団であり、これを徹底的に追求しようとした集団ではないかと思う。 この宗教的理想追求の徹底性に、宗教の相違を超えて心を惹くものがあるのではなかろうか。 またこの意味で、イエスの宗教的態度に通じるものがあるのではないかと思うし、 またこのイエスの福音を、より忠実に、より純粋に追求しようとしたキリスト教の修道者とも通じるものがあるのではないかと思う。 
BACK