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この翻訳は、英知大学人文科学研究室紀要『人間文化』、第3巻、2000年3月、 161−175頁に掲載。またその解説、同57−71頁も参照のこと。 | |||
尊敬するわたしの兄弟 エドワード・イドリス・キャッシディ枢機卿に |
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教皇としての在任中数多くの機会をとらえて、 わたしは第2次世界大戦中ユダヤの民が受けた苦しみの数々を、 深い悲しみの情をもって思い出してきました。ショアーとして知られるようになった犯罪は、 幕を閉じようとするこの世紀の歴史の上に、消し去ることのできない汚点として残っています。 キリスト教の第3千年紀の開幕を準備しながら、教会は大聖年の喜びが何はさておき罪の赦し、 および神と、また隣人との和解に基づく喜びであることを知っています。 それゆえ、教会はその子らと娘らに、過去の誤りと不忠実を悔やむことによって心を浄化するよう奨励するのです。 教会は彼らに、主の御前にへりくだり、自分たちも負っているわたしたちの時代の罪悪の責任を吟味するよう呼びかけています。 あなたの御指導のもとに、ユダヤ教徒との宗教的関係のための委員会が準備なさった文書: 『わたしたちは記憶にとどめます』−ショアーを反省して−が過去の誤解と不正の傷を癒すのに、 まさに助けとなることを、わたしは熱望します。この文書によって、 ショアーの言語を絶する極悪非道が再び可能となることがけっしてない未来を構築する歩みにおいて、 記憶がその必要な役割を果たすことができますように。 すべての人間の命と尊厳への真の尊敬のある世界のために、 共に働くカトリック教徒、ユダヤ人、男女を問わず善意のすべての人の骨折りが、 歴史の主である神によって導いていただけますように。 すべての人間が神を映し、神に似せて創造されているからです。 |
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ヴァティカンより、 1998年3月12日 | |||
ヨハネ・パウロ2世 | |||
署名 | |||
ユダヤ教徒との宗教的関係のための委員会 | |||
『わたしたちは記憶にとどめます』 −ショア−を反省して− |
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I.ショアーの悲劇とこの悲劇を記憶する義務 20世紀がまもなく終わり、新しい千年紀の夜明けが近づいています。 イエス・キリスト生誕第2千周年にあたり、この歴史の過渡期に現在働いておられる神の御摂理のしるしと共に、 人間にある創造者なる神の映しが冒され、損なわれてきた道を識別しようとするよう、 すべてのキリスト教徒のみならず、男女を問わずすべての人が呼びかけられ、招かれています。 この反省は、教皇ヨハネ・パウロ2世が使徒的書簡『紀元2000年の到来』の中で呼びかけられた勧めとして カトリック教徒がまじめに考えることができる主要な分野のひとつに関わるものです。 「キリスト教の第二の千年紀の終わりに近づくなか、教会がその子らの罪深さをいっそう深く自覚し、 その子らがキリストの精神と福音から遠ざかり、信仰の価値によって生かされた生活の証言を世界に示すかわりに、 実のところ反信仰的証言であり、つまづきでしかなかった考えや行動にふけった、 歴史の中のすべての時代を思い起こすことは、適切なことです。」 今世紀は言語を絶する悲劇を体験しましたが、これはけっして忘れることができません。 つまり、ユダヤ民族を根絶しようとしたナチス政権の施策とその結果としてのユダヤ人数百萬の虐殺です。 女も男も、老いも若きも、子供も幼児も、出身がユダヤ民族だからというだけの理由で、迫害され、移送されました。 あるものはただちに殺され、ほかのものは地位を奪われ、いじめられ、拷問にかけられ、 その人間としての尊厳性を剥奪され、そのあと殺されました。強制収容所に入れられた者で生き残ったのは僅かで、 残った者も生涯癒されない傷を負ったのです。これがショアーです。これは今世紀の歴史の最大の犯罪であり、 今日もなおわたしたちに関わりのある犯罪です。 諸国の指導者たちも、ユダヤ人社会自体も、それが実行に移されたまさにそのときには、 ほとんど信じることができなかったこの恐ろしい民族抹消を前にして、だれも無関心ではいられませんが、 ほかのだれよりも教会は、ユダヤ民族との精神的近親関係のきわめて緊密な絆のゆえに、 また過去に自らが働いた数々の不正の記憶のゆえに、無関心ではいられません。 教会がユダヤ民族ともつ関係は、教会がほかのどの宗教ともつ関係とも異なります。 世界中のカトリック教会の兄弟姉妹の皆さんにこの反省を発送するにあたり、 すべてのキリスト教徒がわたしたちと共に、ユダヤの民が蒙ったこの大惨事について、 また自己本位と憎悪がこのような苦しみと死を播きちらすまでに成長することがけっしてないことを 確固たるものにする道義的至上命令について II.わたしたちが記憶しなければならないこと イスラエルの聖なる神とトーラ(律法)に対して独自の証言を持ち続ける一方、 ユダヤ民族はいろいろな時代に、多くの場所で大いに苦しめられてきました。 しかし、ショアーは確かにそのすべての苦しみの中で最悪のものでした。 ユダヤ人が今世紀に迫害され、虐殺されたその非人道性は、言語の限界を超え、伝えることもできません。 このすべては、彼らがユダヤ人であるというただこの理由で彼らになされたのでした。 このまさに大規模な犯罪は数多くの問題を提起しています。 歴史学者、社会学者、政治哲学者、心理学者、それに神学者はみな、 ショアーの実態とその諸原因について、なおいっそう学ぼうと努めています。 学問的研究としてまだ多くのことがなすべきこととして残っています。 しかし、このような出来事は、歴史研究の通常の判断基準だけでは十分に測りきれるものではありません。 それは「人道的で宗教的な記憶」を要求し、特にキリスト教徒の中で、 そのようなことを引き起こしたものについて、まさに重大な反省を要求しているのです。 ショアーがヨーロッパにおいて、すなわち古くからキリスト教的文明をもつ諸国の中で起こったという事実は、 ナチスによる迫害とユダヤ人に対するキリスト教徒の数世紀このかた続いてきた態度との関係を問題として提起しています。 III.ユダヤ人とキリスト教徒との関係 ユダヤ人とキリスト教徒との関係の歴史は、屈折したものです。 教皇ヨハネ・パウロ2世は、わたしたちがユダヤ民族に対する関係に関してどこに立っているのかを見るようにと、 カトリック教徒に繰り返し訴えられましたが、この中でその事実を認めていす。 キリスト教の黎明期には、イエスの十字架刑のあと、初期の教会と、 一部のユダヤの指導層および民衆との間に論争が起こりました。 この彼らは律法への宗教心をもって、時には福音の宣教者たちと初期のキリスト教徒に激しく立ち向かいました。 異教的ローマ帝国においては、ユダヤ人は皇帝が与えた特権によって法的に保護され、 最初その権威筋はユダヤ社会とキリスト教社会の区別をしませんでした。 しかし、まもなくキリスト教徒は国家の迫害を蒙ることになりました。 あとで、皇帝がキリスト教に改宗すると、最初はユダヤ人の特権を保証し続けました。 しかし、異教の神殿を攻撃したキリスト教徒の暴徒は、時々ユダヤ教の会堂にも同じことをしました。 それは、全体としてのユダヤ民族に関してなされた新約聖書の幾つかの解釈の影響によらないとは言えないものでした。 「キリスト教世界の中には、−教会そのものに関して言うのではないがー、 ユダヤ民族とこれに帰せられた犯罪性に関して新約聖書の誤っていて不正な解釈が、 長い間行き巡り、この民族に対する敵意の感情を産み出してきた。」 すべての人に対して、敵に対してさえ愛することを説くキリスト教の宣教にもかかわらず、 数世紀このかた支配的なメンタリティ−は、少数民族や何らかの意味で「異る」人々を不利な立場に追い込んできました。 キリスト教徒の幾つかの地域にある反ユダヤ主義の感情、教会とユダヤ民族の間にある隔たりは、 一般化した差別をもたらし、それは時には追放や、強制改宗の試みにまで至ることがありました。 「キリスト教」世界の大部分の地域で、18世紀の終わりまでは、 非キリスト教徒はまったく保証された法的身分を必ずしも有してはいませんでした。 この事態にもかかわらず、ユダヤ人はキリスト教世界の至るところで自分たちの宗教的伝統と社会的慣習を維持したのでした。 それゆえ、彼らはある種の疑惑と不信の目で見られたのです。 飢饉や戦争、疫病の流行、社会的緊張のような危機の時代に、 ユダヤ人少数民族はときどきスケープゴートとされ、暴力、略奪、殺戮の犠牲になりました。 18世紀の終わりから19世紀の始めまでに、ユダヤ人はほとんどの国で一般的にほかの市民と同等の身分を獲得し、 彼らの中のかなりの者が社会において影響力のある地位につきました。 しかし、その同じ歴史の流れの中で、特に19世紀に、誤っていて激昂したナショナリズムが起こりました。 波乱に富んだ社会変化の雰囲気の中で、ユダヤ人たちはしばしば、 その人口に不釣り合いの影響を及ぼしていると訴えられました。 このようにヨーロッパのほとんどの地域で程度の差はありますが、反ユダヤ主義が広がり始めました。 それは本質的に宗教的というよりは社会的、政治的なものでした。 同じ時代に、諸民族の起源が異なることを主張し、人類が一つであることを否定する学説が現れ始めました。 20世紀になると、ドイツの国家社会主義はこの思想を、 いわゆる北方系アーリア諸民族と劣等と見なす諸民族の区別をするための偽科学的根拠として利用しました。 さらに、極端な形態の国家主義がドイツにおいて、1918年の敗戦と戦勝国が課した賠償条件によって高揚され、 その多くの国民は国家社会主義の中に自分の国の問題解決を見、この運動に政治的に協力したのでした。 ドイツにおける教会は民族主義を非難することによって答えました。 その非難はまず幾人かの聖職者の説教、カトリック司教の公的教書、 カトリック信徒ジャーナリストの記事の中に現れました。 すでに1931年の2月と3月にブレスラウの枢機卿ベルトラム、バイエルンの枢機卿ファウルハバーと司教たち、 ケルン教会管区とフライブルグ教会管区の司教たちは、 民族と国家を偶像崇拝する国家社会主義を非難する司牧書簡を公表しました。 教皇ピオ11世もその回勅『ミト・ブレンネンダー・ゾルゲ』(Mit brennnender Sorge、「焦眉の憂慮をもって」) IV.ナチスの反セム主義とショアー このように、人類が一つであり、すべての民族と国民が同等の尊厳性をもつとの教会の 変わらぬ教えとは対立する学説に基づく反セム主義(Anti-Semitism)と、 反ユダヤ主義(Anti-Judaism)と呼ばれ、 これにはキリスト教徒も有罪とされる不信と敵意の古くからの感情との間には違いがあり、 わたしたちはこれを無視することはできません。 国家社会主義のイデオロギーは、生命の起源として、 また倫理的善悪の判断基準としていかなる超越的実在も承認することを拒否するという意味において、 さらに一歩も二歩も踏み込んだのでした。その結果、自らを同一視するそのひとつの人間集団、 つまり国家が絶対的な地位を簒奪し、ユダヤ民族、 つまり唯一の神と契約の律法を証しするために召された民族のまさに存在そのものを取り除くことを決定したのでした。 神学的反省のレベルに立てば、わたしたちが無視できないのは、 ナチス党員の少なからざる者が人間の事柄の中に働いておられる神の摂理の考えに拒否反応を示すのみならず、 神ご自身に向かって決然と憎悪を実証してみせたのでした。 論理的に、このような態度はまたキリスト教の拒否に、教会の破壊か、 あるいは少なくともナチスの国家利益へのその隷属を見たいとの願望につながったのです。 ユダヤ人をまずその故郷から追い出し、そこで彼らを絶やすために取られた施策の基礎になったのは、 この極端なイデオロギーでした。ショアーはまったく現代的な新異教的政権の仕業だったのです。 その反セム主義はキリスト教の外にその根を持ち、その目標を達成するためには躊躇することなく教会に立ち向かい、 その教会の信徒たちに対する迫害も行ったのでした。 しかし、このナチスによるユダヤ人迫害は、 何らかキリスト教徒の頭と心の中に埋め込まれた反ユダヤ主義の偏見によって いっそう容易になったのではないかと問うことができましょう。 国家社会主義が政権を掌握して始めたユダヤ人迫害に対して、 キリスト教徒の中にあった反ユダヤ的な感情がキリスト教徒を鈍感にし、 あるいは無関心にさえしたのではないでしょうか。 この疑問に対する返答はどれも、 わたしたちがいろいろな影響のもとにあった人々の態度と考え方の歴史を問題にしているということを 考慮に入れてなされなければなりません。 さらに、多くの人々は全国民に対して実行されつつあった「最終的な解決」についてまったく無知でありました。 ほかの人々は彼ら自身と彼らの近くにいる人々を恐れていました。 ある人々はこの状況を利用しました。ほかの人々はさらに妬みによって動かれました。 返答はそれぞれ一件ごとになされる必要がありましょう。 しかしながら、そうするためには、ある特定の状況のもとで何が正確に人々の動機となったのかを知る必要があります。 まず第三帝国の指導者たちはユダヤ人を追放することを求めました。 不幸なことに、キリスト教的伝統の幾つかの西欧諸国の政府は、北米と南米の幾つかの国も含めて、 迫害されたユダヤ人に国境を開くのをためらうどころではありませんでした。 たとえ彼らはナチス指導層がその極悪な意図をもってどこまで突き進もうとしているのか予測できなかったとはいえ、 これらの諸国の指導者たちは第三帝国の領土に住むユダヤ人が曝されている過酷で危険な状態を知っていました。 この状況のもとでユダヤ人の移住に国境を閉ざしたことは、 これが反ユダヤ的敵意ないし疑惑によるのか、政治的臆病ないし見通しのなさによるのか、 または国家的利己主義によるのか、いずれにしても問題の権威筋に厳しい良心の重荷を課しています。 ナチスが大集団移送を実行した国々では、 この無力な民の強制移住を取り巻いた残忍性は最悪の事態を思わせたはずでした。 キリスト教徒は迫害される人々に、特に迫害されるユダヤ人に可能なかぎり、あらゆる助けを差し出したのでしょうか。 多くのキリスト教徒はそうしましたたが、ほかのキリスト教徒はそうしませんでした。 ユダヤ人の命を救おうと自分に可能なかぎり助け、自分自身の命さえ危険に曝して助けた者は、忘れられてはなりません。 戦争の間、また戦争後、ユダヤ社会とユダヤ人の指導者たちは自分たちのために行われたすべてのことに感謝の意を表わしました。 それには教皇ピオ12世が個人的に、 あるいは自分の代表者をとおして数十万のユダヤ人の命を救うために行ったことも含まれています。 しかしながら、教皇ヨハネ・パウロ2世が認めておられるように、 そのような勇気ある男女と並んで、 ほかのキリスト教徒による精神的な抵抗と具体的な行動はキリストに従う人々に期待されるはずのものではありませんでした。 ナチス政権またはその同盟軍の占領下ないし支配下にあった諸国で どれほど多くのキリスト教徒が自分たちのユダヤ人の隣人が消え去るのに脅えながらも、 抗議の声をあげるのに十分強くなれなかったか、わたしたちは知りません。 キリスト教徒にとって、第2次世界大戦中の自分たちの兄弟姉妹たちに対するこの厳しい良心の重荷は、 悔悛への呼びかけとならなければなりません。 わたしたちは教会の子ら、娘らの過ちと失敗を深く悔やみます。 わたしたちは第2ヴァティカン公会議の宣言『ノストラ・エターテ』(Nostra Aetate、「わたしたちの時代」) で言われていることを自分のものとして受けとめます。 それはあいまいさを排して明言しています。 「・・・教会は、ユダヤ教徒との共通の遺産を心に留め、政治的な理由からではなく、 福音の精神的愛にかりたてられ、ユダヤ教徒に対する憎しみ、 迫害、反セム主義の運動があれば、それがいつ、 だれによってなされるものでも、これを嘆き悲しむ」 わたしたちは、教皇ヨハネ・パウロ2世が 1988年ストラスブルグにおけるユダヤ社会の指導者たちに向かって表明したことを思い出し、 それに賛同します。「わたしはあなたたちと共に反セム主義と民族主義に最も強い非難を再び繰り返します。 これはキリスト教の原理原則に相反するものです。」 V.共通の未来を共に見つめて ユダヤ人とキリスト教徒の関係の未来を見つめながら、 まず最初にわたしたちはカトリックの兄弟姉妹たちにわたしたちの信仰のヘブライ的ルーツを新たに認識するように訴えます。 イエスがダビデの子孫であったこと、おとめマリアと使徒たちがユダヤ民族に属していたこと、 教会がその良いオリーブの根から命の糧を汲み取っていること、 その良いオリーブの木に異邦人の野生のオリーブの枝が接ぎ木されていること (ロマ11:17−24参照)、ユダヤ人はわたしたちの親愛なる兄弟であり、 実にある意味で、「わたしたちの兄」 この2千年紀の終わりにあたり、カトリック教会はそれぞれの時代にその子ら、 娘らが犯した過失を思い、深い悲しみを表明します。これは悔悛(テシュバ)の行為です。 教会に属する者として、わたしたちはその教会のすべての子らの功績と同様、その罪悪にも結ばれているからです。 教会は第2次世界大戦中ユダヤ人が苦しめられた民族抹消の経験、 ショアーに深い敬意と大きな共感をもって近づきます。これは単なる言葉ではなく、 実に行動をもって関わらなければならない事柄の問題です。 「もしわたしたちが正義への強い願望をもたなければ、 数百万のユダヤ民族の子らに起こったような、悪が善を凌駕するようなことがない世界を、 確固たるものにするために全力を尽くさなければ、 残忍きわまりない死の犠牲者たちに再びその死を招く危険を犯すことになりかねません。」 今世紀にユダヤ民族が蒙った悲劇を思うわたしたちの悲しみが、 ユダヤ民族との新しい関係を結ぶに至ることを祈ります。 過去の罪の認識が新しい未来を築く確固たる決意になることを望みます。 キリスト教徒の中に反ユダヤ主義がもう存在せず、 あるいはユダヤ人の中には反キリスト教的感情がもう存在せず、 むしろ唯一の創造者、主を礼拝し、信仰における共通の父、アブラハムをもつ者にふさわしく、 相互に尊敬を分かち合える未来を築くためです。 最後に、わたしたちは、男女を問わず善意の人みなに、 ショアーの意味について深く反省するよう呼びかけます。 その犠牲者は墓場から、生残者はその経験した苦しみの生きた証言をとおして、 大きな声となって全人類に注意を呼びかけています。この恐ろしい経験を記憶することは、 それが必然的に意味する、救いのための警告を十分自覚するものになるということです。 反ユダヤ主義と反セム主義の腐った種は、どの人間の心にも再び根づくことがけっしてあってはならないのです。 1998年3月16日 | |||
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