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Tragedy in WTC,New York

 
悲劇の中で自己をふりかえる勇気


 2001年9月11日午後10時のニュースを見ようとして、 テレビに飛び込んで来たのは、ニュヨークの世界貿易センター北館が黒煙を上げているところだった。 しばらくすると南館にも飛行機が激突し、爆発して黒煙を上げ始めた。 青天の美しいマンハッタンの摩天楼でのことだった。突然起こった悪夢。 まもなくその二つの高層ビルはつぎつぎと崩落し、濛々と湧き上がる煙の中に藻屑と消えてしまった。 ハイジャックした民間機が乗員、乗客もろとも捨て身で突撃するという想像を絶する出来事だった。 しかも、ハイジャクされた民間機は複数で、ひとつはワシントンのペンタゴンを襲った。 まずは、この惨劇の犠牲者に心から哀悼の意を表したい。犠牲者は犯人を除いて何の罪もない民間人だった。 それにテロの恐ろしさに底知れぬ憤りを覚え、その根絶の決意に無条件に賛意を表したい。
 その後、大統領はじめ政府要人による報復の決意表明と犯罪者集団の特定と共に、 崩落現場での決死の生存者救出と遺体収納の作業を、テレビは間断なく伝える。 特にその遺族の深い悲しみは、見るに耐えられない。犠牲者の数は阪神・淡路大震災を上回る勢い。 消防隊のチャップレン(註)だったフランシスコ会司祭も消防隊と共に駆けつけ、命を落とした。 病者の塗油の秘跡を授けるために聖香油をもって黒煙の上がる高層ビルに突入しよう とし、重傷を負った消防隊員の世話をしながらの最期だった。 Requiescat In Pace(「主よ、永遠の安らぎを」)。

 この大きな試練にもかかわらず、アメリカ国民がいかに反応し、立ち直ろうとするのか。 深い悲しみの中で9月14日には、ユダヤ教、イスラーム教、 キリスト教諸派を含む超教派的な「祈りと記憶」の集会がワシントンの大聖堂で行われた。 これにはアメリカにおいて宗教がまだ生きており、重要な機能を果たしていることを改めて思い知らされた。 この集会で犠牲者の永遠の安らぎを願い、その遺族を慰め励まし、 すべての国民の連帯を確かめるだけでなく、突然降りかかった惨劇そのものを冷静にふりかえる機会が与えられた。 こうしてただ単に武力による報復でこの深刻な問題を解決することができるのか、 政府要人も一般国民も考える機会が与えられた。その集会で、 説教する宗教家の口から「愛は憎しみより強い」とか、 「悪には悪をもって報いるのではなく」とか、「悪の秘義」(mystery of iniquity)とか、 政治とは別の次元からの発言があった。
 その後のCNNテレビは、武力による報復の準備および犯罪者集団の追及の進捗状況を伝えると共に、 「報復と正義は区別すべきだ」とか、「怒りと憎しみは違う」とか、 「今こそ忍耐を学ぶべきだ」とか、 「政府要人が安易に口にする報復が若い世代にいかなる悪影響をもたらすか考えるべきだ」とかの冷静な文学者や聖職者の声や、 「イスラーム諸国はアメリカ国民を憎んでいるのではなく、 その力による、正義に欠ける政策に絶望し、今回のテロはその絶望に原因がある」とか、 アラブ世界の見解にまで耳を傾ける放送を流している。 このように今、アメリカは冷静に自己をふりかえり、広く深く問題の根まで見ようとしている。 この大惨劇の中で自己をふりかえるには、大きな勇気が必要だと思うが、ここにアメリカの偉大さを改めて痛感する。 同時に、日本にこのような広くて深く、力強い心があるのかと反省させられる。 自己反省を知らない日本史を次世代に押しつけることを容認する教育行政、 アメリカの真の精神的偉大さに無感覚で、わからないマス・コミ報道に日本の21世紀が思いやられる。

注記
 チャップレン:キリスト教国では軍隊にはチャップレン(従軍司祭)がいて、 出動のときには行動を共にするが、そのようにニュヨークの消防隊にもチャップレンがいる。 チャップレンは、負傷して命の危険が迫る消防隊員のみならず火事の犠牲者がいるとき、 その最期に付き添い、赦しの秘跡または病者(終油)の秘跡を授けて共に祈る。 これはカトリック司際の義務の一つ。

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