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Lamentations for the collapse of Manhattan,New York from Kobe

 
哀歌 ―廃虚と化したニュヨークのマンハッタンを前にして―


 2001年9月11日のニュヨークにおける悲劇は、 1995年1月17日の阪神・淡路大震災を体験したわたしたちにとって、 特に悲しく苦しい衝撃的な出来事であった。あの破壊の記憶を呼び覚ました。 天災と人災の違いはあるものの、両惨事は被災者にとって変わらない。 まわりの世界は瞬く間に崩壊した。その場で命を落とした者、瓦礫の中でうめく者、危うく難を逃れても、 ただ唖然と立ちすくむだけ、やがて火の手が上がり、炎が迫った。前日まで賑わっていた町が、 瞬く間に元の形をまったくとどめず瓦礫と化し、命の鼓動は消え、夜がくればただ沈黙の暗闇があるだけ。 阪神・淡路大震災では、その範囲は広かったが、ニュヨークでは、百階を超える高層ビルが崩壊し、 その破壊の現実は映画のTowering Infer noより凄まじかった。それはまさに地獄を思わせた。 いずれの場合も被災者は何の罪もない一般市民。彼らが味わった恐怖と狼狽、無念はどれほどだったろうか。 その遺族、親族の悲痛もどれほどだったろうか。それは言葉を絶する。その言葉を絶する苦悩と悲痛を、 大震災の被災者は少しでも深く共感できるはずであろう。
 阪神・淡路大震災の直後、わたしは聖書にある『哀歌』をむさぼり読んだ。 そのときまで、この嘆きの歌にはあまり興味がもてなかった。 大震災はこの嘆きの歌の価値に目を開いてくれた。 これは紀元前586年、バビロン軍によって攻め落とされ、 荒廃に帰した都エルサレムを前に詠まれた歌である。 これは天災ではなかったし、荒廃に帰した神戸とは異なるが、不思議と通じていて、目頭が熱くなった。 このたびもまた、荒廃したニュヨークを目に浮かべながら、この嘆きの歌を詠んでみた。 また目頭が熱くなった。詠み手は都エルサレムを婦人になぞらえて、こう始める。

なにゆえ、独りで座っているのか
  人に溢れていたこの都が。
やもめとなってしまったのか
  多くの民の女王であったこの都が。
奴隷となってしまったのか
  国々の姫君であったこの都が。
夜もすがら泣き、頬には涙が流れる。
彼女を愛した人のだれも、今は慰めを与えない。
友は皆、彼女を欺き、ことごとく敵となった。
(哀歌1:1―2)

 「人に溢れていたこの都」、「多くの民の女王であったこの都」、 「国々の姫君であったこの都」とは、震災以前の華やかな神戸、 それにもまして世界経済の中心ニュヨークのマンハッタンにぴったりではないか。 それが孤独なやもめのようになってしまった。なぜ神戸が、なぜニュヨークがと孤独感が襲う。 確かに現在では慰め、励まし、神に祈ってくれる人は世界中にいる。ボランティヤの活躍もある。 しかし、それが悲劇の渦の中にいる被災者にとってどれほど慰めや励ましになろうか。 神に祈ってくれる人がいても、どれほど心からありがとうと言えようか。 亡くなった親、兄弟、息子や娘が戻ってくるわけではない。 それはむしろ虚言、空言のように響こう。この大惨劇を前にして、 愛の神をなお信じることができようか。神はいても、それは残酷な神ではなかろうか。 「主は高い天から火を送り、わたしの骨に火を下し、足もとに網を投げてわたしを引き倒し、 荒廃にまかせ、ひねもす病み衰えさせる」(哀歌1:13)。 高層ビルの爆破を思わせるようなこの一節に驚かされると同時に、 この大惨劇をゆるす主なる神を前にして精神的にも、信仰的にも真っ暗になる。 はたして神などいないのではないか。Oh my God! (おお、神様)と言ったあと、 Where is God?(神様はどこにいるのか)と呟いた一ニュヨーク市民の言葉が忘れられない。 このたびの惨劇は、その渦の中にいる人にとって信仰の危機ともなりうる。 しかも、熱心であればあるほど、その危機は深刻になりうる。 神も仏もあるものか、と言いたくなろう。信仰を失えば、絶望が残る。 そのとき、復讐への誘惑は抑えられない。 この言語を絶する苦悩とともに信仰の試練にも立たされているかもしれないこのたびの被災者に、 わたしたち阪神・淡路大震災の体験者は、心でいっそう近く寄り添っていたい。 しらじらしい慰めや励まし、解説や説教は彼らを欺く。被災者の苦悩に少しでも深く共感し、 同じ心になるようにつとめよう。絶望の境にあって共に嘆きながらも、 なお愛の神を信じ、その摂理に信頼し、やはり祈ることから始めよう。 De profundis clamavi ad Te,Domine!、 「深い淵の底から、主よ、わたしはあなたを呼びます」(詩編130:1)と。

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