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The Faith in the Mystery of Incarnation for the World to come

 
新年にあたり、あらためて思う「受肉の秘義」


 わたしたちは20世紀から21世紀へと、時代の節目を生きながら、 まわりの世界が著しく変化するのを実感しています。 いわゆるバブルがはじけて、かなりの年数を数えますが、あの繁栄は何だったのでしょうか。 土地や建物の値上がりは激しく、ブランド商品が飛ぶように売れました。 香港のルイ・ヴィトンの店頭には開店前から日本人が列をなしておりました。 わたしも当時の風潮に流されて浮かれていました。 香港から日本へと飛行機で旅しながら、ジャパン・アズ・ナンバーワンという言葉を考えたりもしていました。 しかし今、それは夢のようです。これは時代の変化の一例に過ぎませんが、 人類社会はさまざまな分野で既成の秩序が壊れ、世界的規模で構造的に根底から変わろうとしています。 そこにはいいこともあります。時代が変わって、これまで見えなかったものが見えるようになったものもあります。 日本の政界も金融界も、司法も教育界も、官僚も警察もちょっとおかしいのではないかと、 首を傾げたくなる罪悪が明るみ出されています。これも氷山の一角でしょう。 時を刻んでみると、何がホンモノで、何がマガイモノかが、見えてくる。これが歴史というものです。
 このような現状が人々の心に影響しないはずがありません。 信用していたものから裏切られ、何を信じて生きればよいのか、わからなくなることもありましょう。 特に若い世代に不信感が広がると、刹那主義、絶望感、自暴自棄、さらに暴力容認など悪影響が懸念されます。 こうして、この世界の未来はどうなるのかと、不安が襲ってくることでしょう。 実際、人類は出口のない暗闇の中に入って行くかのようです。 この暗闇は、昨年の対米同時多発テロおよびその後起こった惨事によって、否応なしに実感させられました。
 一昨年、教皇ヨハネ・パウロ2世は2000年を大聖年と宣言し、 21世紀に備えて、心を整えるよう、全世界に呼びかけられました。 これは、ほんとによかったと思います。わたしたちは何となく新世紀を迎えるのではなく、 自覚をもって未来に立ち向かっていくことができたからです。 それは過去を反省し、汚れた記憶を清め、心を新たにして未来に向かって出発するためでした。
 その呼びかけの前提になっているのが、この歴史が目的のないものではなく、 神によって導かれているものだという信仰です。神は天地万物の創造者であるばかりではありません。 一回限りの出来事の連続である歴史を導かれる主でもあるのです。 「わたしは初めであり、終わりである」(イザヤ44の6)と神は言われたと、預言者イザヤは告げています。 わたしたちの神は歴史の主なのです。さらに、神はこの歴史を生きるわたしたちを救う意志をもっておられるのです。 この神の救いの意志を信じることができれば、何も恐れることなく、未来に向かってゆくことができます。 この神の救いの意志が最も驚くべきかたちで現されたのが、神ご自身が人間になるという、いわゆる受肉の秘義です。 イエスは人間になった神の独り子です。

 「みことばは肉となり、われわれのうちに住んだ」(ヨハネ1:14)。
 「父のふところにいる神、独り子こそ、神を現した」(ヨハネ1:18)。

 こうしてわたしたちはみな罪深い人間ですが、神はわたしたちと同じような人間になろうとするほど、 わたしたちと連帯されるのです。これは人間に対する神の限りのない慈愛にほかなりません。 わたしたちはこの受肉の秘義をクリスマスで記憶し、祝ったところです。 この世界は神にとってどうでもいいものではなく、愛しいものなのです。 実は教皇ヨハネ・パウロ2世が大聖年のテーマとしてお選びになったのも、この受肉の秘義でありました。 対米同時多発テロ事件を体験した今、なんと重要で適切なテーマをお選びになったのかと、 あらためて感心させられます。受肉の秘義への信仰がなければ、 21世紀のわたしたちはますます混迷を深め、出口のない暗闇をさまよい続けるかもわかりません。

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