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子供が主役



 太平洋戦争に破れ、焼け野原となった日本では、食糧も極端に不足していた。 米もなければ、砂糖もなく、天ぷら油もなかった。衣類も、履き物も貧粗であった。 食糧が十分でないので、冬になると手足に霜やけができた。からだにはシラミがわいた。 しかし、子供がたくさんいた。自動車はなく、道端は子供の遊び場、上級生から幼児まで男の子も女の子も一緒になって遊んだ。 両親はその日の食糧を稼ぐのに必死で、日頃は子供の面倒を見る余裕はなかった。 しかし、お正月が近づくと、隣近所が集まって、あちこちで餅つきが行われた。 母親たちがその餅を手でまるめるのを、子供たちがまわりで見つめていた。 その中にはお手伝いをする小さい子供までいた。 手は白い粉でいっぱい、その手で顔を拭くので、白い粉が紅色のほっぺたにつく。その奥で目は輝いていた。
 五十年あまり経った今日、その子供たちは年を取り、長生きするようになった。 他方、心配なことに子供が少なくなってしまった。 超高齢化社会になったのはよいが、超少子化社会になりつつある。 教育関係者はかねてからこの問題を憂いてきたが、最近それがいよいよ深刻に感じられるようになった。 子供が少なくなったが、その子供の目も輝きを失いつつある。 貧しい国々の子供のほうが生き生きしている。 日本ではどうして子供が少なくなり、その目の輝きが失われつつあるのか。 高学歴の女子が増えたためだろうか、教育費の負担増加のためだろうか。 それとも環境ホルモンのためだろうか。いずれにせよ、かつての子供、現在の大人に問題があるようだ。 大人は個人としては別にしても、現在の社会は社会として、はたして子供を慈しみ、歓迎しているだろうか。 産業界、経済界、それに教育界まで、むしろ子供を食いものにしているではないだろうか。 マドリードのプラド美術館には、恐ろしい顔をして子供の手足を食らう神サトゥルヌスの絵がある。 この絵は、まさに現代社会の実態を表している。
 クリスマスは神が人間になったこと祝う。しかも赤ん坊になったことを祝う。 それは、子供が人類社会にとってどれほど大切かを呼びかける日でもあり、大人に反省を促している。 預言者イザヤは新しい時代の到来を予告して、 「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた」(イザヤ9:5)と、 また「小さい子供が彼ら(野獣や家畜)を導く」(イザヤ11:6)と言った。 大人ではなく、子供が主役となるという。確かに大人社会の打算や思惑ではなく、 子供本位が指導原理になるとき、現代社会は逆転し、新しい時代が始まることだろう。 幼子イエスがメシアであるというクリスマスのメッセージは、新しい時代の扉を開く鍵を示唆している。

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